<ジエッデイン・デデン>のCD こんなことがあった その5
「あのう、昔のトルコの軍隊の行進曲で、ずいぶん前にテレビドラマの阿修羅のごとくのバックに使われていた曲が入っているCDはないかなあ?」
外出して相方がレコード店に入る度に、自分はもう何年も行進曲の棚を探して来たが、この曲が入ったCDを見つけることが出来なかった。
テレビドラマの「阿修羅のごとく」は昭和54年と55年にNHKで放送された。そしてそのバックにこの曲が使用された。
なんとも不思議なメロデイーとリズムの曲だが、一度聞いていいなあと思った。そしてシリーズが終わる頃には何とか口笛で吹けるようになっていた。放送が終わってから録音しておけば良かったと思ったがもう遅かった。
向田邦子原作のドラマも面白かったが、この曲を聴きたいためにこのテレビドラマを見ていたこともあったかも知れない。
長年探しても見つけることが出来なかったので、この曲を入れたCDはないのかも知れない、と思うようになりだしていた。しかし最近は本屋も店員が本のことを良く知っていて書名か作者名を言うとすぐ棚を教えてくれたり、棚に案内してくれることを思って、レコード屋もそうかも知れないと思い、その日入った堂島アバンザのレコード店の女店員に聞いてみた。
「はい、それってジエッデイン・デデンという曲じゃないでしょうか」と彼女はすぐにしかも迷わず言いながら歩き出した。私は「曲名は知らないんだけど・・もう随分昔のことで・・」などと口の中で我ながら訳の分からないことをモゴモゴ言いながらついて行った。
(外国の音楽)という棚のところに連れていかれた。いままで目に入らず素通りしていた棚だった。彼女は迷わず「トルコの軍楽-オスマンの響き」というCDを取り出して渡してくれた。そしてこれ結構出るんですよと言った。
収納曲の一番先に「古い陸軍行進曲 ジエッデイン・デデン(祖先も祖父も)」というのがあった。直感的にこれだと分かった。1999年8月6日発売となっていた。
もっと早く店で聞けばよかったと思った。 この曲のフアンが世の中に沢山いるようで嬉しかった。
向田邦子さんは昭和56年の8月22日に台北から高雄行きの飛行機が空中分解した事故で亡くなった。この曲を口笛で吹くと、彼女が書いた面白いいろんなドラマが頭に浮かぶ。
余談ながら、私はその1週間後に出張で同じ路線の飛行機で高雄に行ったが、乗客は5人しかいなかった。当時高雄の中国鋼鉄の新製鉄所の設備商談が山場で、日本のメーカー各社から人が多く通っており、月に一度の出張のたびいつもチケット確保が大変な路線だったのだが、事故の後はしばらくガラガラだった。
早く聞きたくて、レコード店の近くのスナックでこのCDをかけてもらった。時間が早くて他の客はいなかった。懐かしい響きが流れてきた。間違いなく探していたあのトルコの軍楽隊の曲だった。2月に大阪歴史博物館のトルコ3大文明展に行ったが、期待していたが会場でも販売していなかった。そのときがっかりしただけによけい嬉しかった。
聞いていると断片的にドラマの場面も浮かんでくる。それにもましてやはり曲自体がいい。
後から出勤してきた別の女性が店に流れるこのトルコの軍楽を聞いて「どこの球場の野球実況やってるの?」と聞いた。ちがう、このCDをかけてるんやというと「エ~、阪神の応援団の応援が聞こえてるとばっかりおもてた、そやけどまだシーズン前やしおかしいなあとおもた」と言う。そう言われれば他の曲はどれも本当に球場のラッパや太鼓の応援そのものにも聞こえる。
西暦4世紀に出来た世界最古のトルコ陸軍軍楽隊の音楽は、やはりアジアの音楽の源流の一つかも知れない。理屈ではない懐かしい気持ちが湧いてくる不思議な曲だ。
焼酎のお湯割りを飲みながらこのCDを聞いていると、トルコの音楽がシルクロードを通って中国に入り、中国経由で日本に来て、演歌の源流になったに違いないと思えてくる。
参考 ジェッディン・デデン:http://blog.goo.ne.jp/achikochitei/e/4614cde360ff41625969f953bb3e49a4
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