「キャプテンたくじ」 ball de amigo!

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著者: 川端 卓治

「エンジョイ!」

★場違いな言葉を発した事に気付いた僕は一足先にポジションに戻りデビュー戦の事は忘れ「早く時間がたって終わってほしい」と思ってた。そして試合終了間際に相手FWのドリブルミスでボールが僕のところに転がってきた。

「待ってました」と言わんばかり僕は大きく前に蹴ったのだ。

ボールは敵陣深く入り込みDFの頭を超えていこうとしていた。そして眺めるボールの軌道の下に黒い何かが見えてきた。

「どいぴー」である。もの凄いスピードでDFを抜き去りボールにタッチしそのままゴール左隅にボールを突き刺した。そして試合終了。

対戦相手も「今の何?」みたいな顔をしてベンチに引き揚げる時グランドに異様な空気が流れていたのである。

そしてまさかのデビュー戦アシストを記録してすっかり気分を良くした僕はベンチでみんなに一人一人「労いの言葉」をかけて回ったのである。

★夏休みに「鮮烈なデビュー」をした僕に感激した西川先生は次の試合から僕が中心のチーム作りを目指す。

ことはなかった。でもやっとわかったことはレギュラーさえ勝ち取れば日曜日のラグビーに行かなくて試合ができるってことだ。2軍じゃだめ、あくまで一軍。親はそう判断したんだろうと思う。

だから僕は何とかレギュラーを掴みたい一心で、まず自分の自己分析から始めた。走力がない、持久力がない、僕に在って皆にないものは何だろう。三日三晩夜も眠れず考え続け、いや嘘、たったの10秒で答えがでた。

 ★「キックの精度」 「テンション」だ。

デビュー戦以来残りの夏休み、この二つを目標に頑張った。練習が終わって家に帰っても駐車場の壁にボールを蹴って跳ね返りをもらいまた蹴る。一日50本目標に蹴っていた。

当たり所が悪くて壁を越えてしまい、隣のマンションの窓ガラス割ったり、駐車場に月極で停めてるお客さんのクラウンにあててもろに凹ませてしまい、母親にぶたれ謝りにも行った。それでもやめなかったのである。

当時夜のお茶の間では「ひょうきん族」か「ドリフ」だった。次の日の学校で話題になるのは「ドリフ」のほうが多かったが家ではドリフは見せてもらえなかった。

何故なら時頼下ネタが入るので母親が拒絶してたからである。それを見たかったのだが見せてもらえず、仕方なしに「タケちゃんマン」「阿弥陀ババア」「鬼瓦権造」、覚えるだけ覚えては次の日の朝クラスで披露してたのである。

★サッカーとお笑いは関係ないかもしれない。だが僕の中ではレギュラー獲得のための存在感を現す唯一の方法で、どんな形であれ目立つことが第一優先と考えていた。目立つことで上手いと錯覚させる作戦にでたのである。

夏休み期間、練習試合にたびたび参加することができた。SB、センターバック、スイーパー、キーパー、やれと言われた場所はどこでもやった。そして僕の戦略は見事に功を奏しその年の秋口には見事にレギュラーを頂いたのである。

★レギュラーを獲得しても、試合がない日はラグビーに行く。これはお決まりで変えるようにも変えれなかった。でも前よりはだいぶ肩の荷が折れた。サッカーの試合がある日は行かなくていいからだ。

「僕の学校生活を見たらみんなびっくりするだろうな~」と思いながら黙々とプレーしていたのである。沈黙は金だ。僕はずっと見てきてるから分かるのである。

5年生になって自動的に2軍に昇格した僕はたびたび試合に出なくちゃいけなくなった。2軍はBと呼ばれ、Bがあるからには上のAが存在する。

★Aチームは県内無敵だった。たぶん僕の記憶の中で県内の試合では5年間一回も負けたことがない。 負けた記憶はない。

「今崎」「近藤」「八百山」「西 他にも名前を挙げればきりがないがこの4人のうちの誰かがボールを持てば必ずトライして帰ってくるのだ。ボールを持った時の加速がパンパなく絶対に追いつけないのである。

そしてまた皆イケメンなのである。どこの小学校かわからんけど「モテルだろうな~」と羨ましかった。

スーパートライゲッターで疾走する彼らをポカーンと眺めてはよく「どいぴー」と比較してたりしてた。ビジュアルも含めて「どいぴー」の勝ちである。

最強のAチームとは対照的にBチームは弱かったw 試合も負けの方が多かった。僕自身ルールも分からなかったし、みんながみんな僕と同じくらい足が遅い集団でやたら団子になって、これがラグビーかどうかさえ分からなくなるほどだった。

たまにAチームから試合で加勢にやってくる。そいつにボールを渡せば勝手に走ってくれるので尚更僕らの存在は薄くなるのである。

★いつかのBの練習試合、自陣ゴール手前で「ごちゃごちゃ」してた時僕にパスが回ってきたので無意識に思いっきり前に蹴ってやった。ボールは敵陣深く入り込んでかなりゲインしたんだけど、試合が終わった後に5年担当の指導者にすげー怒られたのである。 

「かわばた~! なんで蹴ったんだ!」一瞬「え!」と思ったが素直に謝った。どうやらキックなしが暗黙の了解だったみたいだ。

★僕はこの一喝で完全に吹っ切れ中学ではサッカーだけにしようと決めたのである。でもこの頃僕には少しずつ先の不安が見えてきてた。「中学に入ってもラグビーしなくちゃいけないんじゃないかって?」 

ラグビのー抽選が当たったのは長男と三男の僕で、長男は中学進学してサッカー部に入らずラグビースクールに残った。次男は抽選に落ちたのでラグビーそもそも関係なく中学でもサッカー部にはいる。。

「誰でも行けるもんじゃないとよ」僕を殴った時の母の声が蘇る

抽選に当たってしまった僕は、長男と同じようにサッカーを辞めラグビーをしなくちゃいけない運命なのか。サッカーさせて貰えないんじゃないかと。「トラウマ」だ!

小学生のラグビーの練習が終わるころ、入れ替わりで赤と黒のユニホームを着た中学生がグランドに入ってきた。当然そこには長男の兄貴の姿が見える。

★「ヤバイ、このままじゃサッカーさせて貰えない。」 「レギュラーとっても最低定着しなきゃ」 「もっともっとインパクトを残して親を納得させなきゃ」。

小学校5年も終わりになろうとしてるこの時期、僕は一人時間に焦りこのトラウマに勝てる秘策を探し続けていた

★とうとう小学6年になった。 ここまで長かった、書くの。 そして今半分くらいか。もう誰が読んでいようと関係ない状態。完全に自己満足に陥っている。時間がないよ~。死んだら遺言になる。でも生きて帰ってくるよ。

★そしてとうとう6年生になった。60年代のピッピーみたいなサングラスで七三分けの担任になった松田先生はいきなり自己紹介でフォークギターを手に取り歌い始めるという超ロマンチストな奴だった。 

1曲ならまだしも2曲目が始まろうとしてたので、もはや笑うこともできず最後の1年をこの教師と過ごす事に、はたしてどんな意味があるのだろうかなど考えもしなかった。

★この初日の放課後、サッカー部はグランドの真ん中に大きく円を描いて立っていた。もうすぐ日が落ちようとする暗さの時間に円の真ん中に立つ西川先生は大きな声で言う。

「誰がキャプテンやると?」「誰が副キャプテンね?」5年生主体のチームでそのまま上がってきてる僕らに、公式戦初勝利を期待する気持ちが垣間見られた。

「どいぴーかな、やーちゃん、みっちゃんかな」と一瞬頭をよぎったが、次の瞬間大きな声で叫ぶ奴がいた。

「ハッハッハ、まかせなさい!」

ビートたけしを真似して言ったであろうが全然似てなく、「なんでお前が!」と僕も皆も思ったに違いない。西川先生は立候補したその生徒の熱い志に感極まり即決してしまった。結局「どいぴー」が副キャプテンになった。みんなの空気も読まない場違いな立候補!

「キャプテンたくじ」のはじまりである。

★人生、生まれて初めての立候補でキャプテンの大役を任されることになった。キャプテンってなんだろうか。どうしたらいいんだろうか。

僕の中では西川先生に一勝を挙げたいと思っていたが、現実はとても苦しかったのである。まず誰も言うことを聞いてくれない。

学校が終わったらグランドに集まり、ジョギング、パス練習から始まる。その後シュート練習まで皆でやったら、先生が合流してその日のメニューをこなしていく。

先頭をジョギングで走るもついてこない奴もいる。パス練習中もサボって遊び始める奴がいる。あたりまえだけど僕のレベルが皆より劣っているので誰も言うことを聞かないのである。「どいぴー」だったらビビッて皆言うこと聞いただろうに。

その光景をたびたび校舎から見てた西川先生は大声で僕と「どいぴー」を呼びつけ、思いっきりひっぱたいた。「どいぴーごめん」叩かれるたびに自分の不甲斐なさを恥じ、心の中でどいぴーに謝り続けた。

★もはやテンションだけではどうすることもできなかった僕を気使い、ある日「どいぴー」が雄叫びの激を飛ばしたのである。皆一瞬で黙り込んじゃって、そこからみんなが真面目に練習に取り組みだしたのであるw

なんて単純。所詮は小学生。「どいぴーありがとうばい。」僕はお礼を言うと振り向きざまに白い歯を見せて「ニヤリ」と笑ってくれたのである。

★小学6年生、あたりまえだけど成長とともに脳のアンテナはいろんな物をキャッチする。まずは思春期だ。すでに「どいぴー」「わたる」「まゆみ」はエロ本を学校近くの神社の石段の間に隠しこんでて鏡内にエロ本アジトを形成していた。

僕はというと帰宅して長男のギター雑誌の一番下から見つけたエロ漫画「クリームレモン」を見た時にカルチャーショックをうけてしまった。

その漫画のセリフに暗号みたいなアルファベットがあり、意味も知らずに翌朝学校の黒板にSとEとXという文字を一面に大きく書いて、登校する生徒の反応を見てた。しかし誰も知らないようで興味もなくなり黒板消すのを忘れてしまって朝礼を向かえる。

教室に入った先生は黒板の文字に気付かずに朝礼を始めてしまい、挨拶が終わった後に何事もなかったかのように力強く文字を消した。「やっぱりあれは暗号で特に意味のないものなんだ」と考えてたが給食前に校長室に呼ばれる。

担任ではなかった教師になぜか何発かビンタをくらった後教室では女子の冷ややかな視線を感じた。その日の夜に家で生まれて初めて辞書を手に取り、その暗号が漫画の行為そのものを指していることをしり僕はとても青ざめたのである

家庭の環境により情報量が乏しく僕は人より少し遅かったようだ。

★ミニ四駆という車のおもちゃを学校に持ってきて廊下で競争させる奴。光るヨーヨーをポケットに入れてる奴。一万円分ビックリマンチョコを買いシールだけとってチョコ捨てる奴。ゴミ捨て場からパンティー拾ってくる奴。いろんな奴がいた。

ファミコンもブレークした。二軒隣りの「けんじ」はファミコンお宅でサッカーの練習後家に押しかけ無理やりゲームして遊んだ。サッカー、ベースボール、スペランカ、マリオ、何をやっても「けんじ」には勝てず唯一共同でクリアしたゲームは「さんまの名探偵」だった。

★「光GENJI」がスーパーブレイクしてて、女子にモテるためには真似しなくちゃいけなかったが、つい最近まで「少年隊」命と叫んでた奴らが何でそう急に「光GENJI」に心を許してしまうのか不思議でならなかった。

鉛筆、消しゴム、ふでばこ、下敷き、うちわ。何から何まで光GENJIで固めてるので、とうとう男子の中にはローラースケートで登校するバカも2人くらいでてきた。

★みんなが光GENJI旋風の中、僕はもっと衝撃を受けた音楽がある。長男「裕也」のビデオテープの中にあった洋楽のPVにインスパイヤーされてしまった。ガンズアンドローゼス の「PARADICE CITY」だ。

僕にとって初めての洋楽、初めてワールドカップの映像以外で外の世界を見せてくれた案内人である。人生二回目の辞書を引き意味を調べた。

take me down to the paradice city where grass is green and the girls are pretty! I want you please take me home~.

毎朝「けんじ」を迎えに行き朝一番に登校しては階段の踊り場で大熱唱を演じてたのである。それを眠そうな顔で手拍子してくれてた「けんじ」今だから意味も分かり君に言える。「ごめんねw」

★洋楽はインパクトを与えてくれたがその他にサッカーを、ゴールの快感を超えるものはなかった。しかしとうとう僕を目覚めさせた出来事がおこった。

「石橋」「樋口」「木下」の3人だ。3人ともサッカー部だったけど、サッカーよりもむしろ勉学に長けていて、もしクラスで成績順位をつけると1,2,3位は必ず3人で奪い合うくらい頭が良かった。その事件は学校生活で起きた。サッカのー練習がない日の放課後僕は3人に呼ばれて放送室に行った。

初めて入る放送室にドキドキしながら奥に入るとサッカー部からは「まゆみ」と「拓郎」、「上野」、別クラスから数人がいた。どうやらみんな呼ばれたようだ。「ここに座って」と言われるがままそれぞれ用意された席に座り、テーブルの上には紙で作った「ネーププレート」が用意されてあった。

「んじゃ、はじめるけん」と言って「木下」がカメラを回し始め急ぎ足で自分が映る場所まで移動する。

「皆さま今週も始まりました。クイズでポンの時間です」と、いきなり司会を始め「木下」を半円で取り囲み座る僕らにはそれぞれ別のネーミングが用意されていた。

樋口は「樋沢教授」、石橋は「バブル石橋」、まゆみは「ムッツリまゆみ」 拓郎は「カニばさみ太田」、田崎は「田崎真珠」、上野は「ブル上野」、そして僕は「キャプテンたくじ」 

「樋口」と「石橋が」レギュラーの解答者、そのほかは今週のゲスト、「木下」が司会を務めるクイズ番組だったのである。そして木下が世論、社会、政治、歴史、話題のトピックから読み上げる各問題に対してクイズ回答者は必ずボケなくちゃならなかった。普通に回答してもはずれ。一番みんなが笑った回答が正解という番組を企画してたのだ。

みんなが「はい!はい!」と手を挙げ先にボケようと競い合う。僕は事の状況を把握するまで時間がかかった。回答には下ネタと思われる卑猥な言葉が多く含まれ、誰かが回答するたびに放送室が爆笑の渦に包まれてしまった。

そして僕もとうとう手を挙げ回答したのである。「はい!くりーむれもん」

爆笑の正解を頂いたのである。それから約2時間くらい皆言いたい放題でずっと笑いっぱなしのワライハイ状態になっていた。教師も生徒も誰もいなくなった校内の一室で「クイズでポン」は撮影されていたのである。

★そし翌日の給食時間、全学年にテレビ放送しようとして止められた

 放送手前でヒッピーもどきの松田先生に見つかり、やっぱりもどきで主犯の3人はそうとうやられたと思う。

僕は今でもこの3人は天才だったと思ってる。当時小学6年生であんなことやる奴は日本中探してもそういないんじゃないかと。あの放課後の数時間が僕の人生の過去のいくつかの場面で確実に影響している。「ボケる」ということを教えてくれたかけがえのない友人である。

★レギュラーに定着した僕の最初のポジションはCB(センターバック)だった。足が遅いのでFWは無理でおのずと後ろに下げさせられた。

やることといえば、ゴールキックのリスタートで大きく前に蹴るぐらいだ。 シュートをする機会もなく守備専属で攻められてはそこそこ点を入れられる。前には 「どいぴー」「やーちゃん」「わたる」うまい奴がいるのになかなか点が入らない。歯車が合わないのである。

★ある日のコーナーキックの練習で僕がヘディングでゴールを決めた。当てたというよりは飛び込んで「かすった」に近かったゴールに西川先生は絶賛し練習を止め皆を集め

「今のみたか? それだよそれ! みんな今のみたか!」と熱く言葉を発していた。「なんか褒められてる俺、エヘヘ」と思っていたが、「もう一回やるからよく見とけ」と言われ再度コーナーキックからお手本をやったが何回やっても全くできなかったのであるw

★でもなんか褒められちゃって、これを機会に真ん中MF(ミッドフィルダー)背番号8に昇格したのである。MFでキャプテン、まさに「三杉淳君」だ!

DFやってる時からずーと考えてた。攻めて得点が入らないのは何でだろう。そしてMFになった時にはすでに答えが分かっていた。それはデビュー戦でまさかのアシストをした記憶がしっかりと残ってるからだ。

★「どいぴー」のスピードが全く生かされてなかったからだ。とはいえMFになったものの運動量やスピードで皆についていけず練習では仲間からも怒られて凹みそうだった。凹んでた。キャプテンだけど。

でも僕は練習後に「どいぴー」に伝えたことがある。「おいがフリーでボールを持ったらすぐ前に走って、必ずパスだすけん」

「どいぴー」は一回大きくうなずいてくれた。そしてきたるいつの日かの練習試合。練習試合では常連の愛宕小に趣きその成果が試される時が来たのである。

ちょうど一年前幻のアシストを記録したアウェーのいまだ勝ち星がない愛宕小にキャプテンマークを付けた僕は自信をもって校門をくぐった。

★4-1で勝ったのである。めちゃくちゃ気持ちよかった。「どいぴー」2点、「やーちゃん」1点「わたる」1点。 そして僕はアシスト2点決めた。

「どいぴー」と「やーちゃん」のスピードを生かしてボールを前に蹴っただけなんだけど、はまるとうれしいもんである。足が遅くても体力なくても能力がある選手を生かすプレーができればそれで十分だった。

★公式戦いまだ勝利がない佐古小学校サッカー部に創部4年目の僕らで最初の白星を作りたい。西川先生にプレゼントしたい。僕の中ではそれでいっぱいだった。


★サッカーでキャプテンで試合にでてるのに、ラグビーでは2軍が常連の僕は2軍なりの楽しみ方を見つけようとしていた。

6年生になってサッカーでレギュラーを定着してから、毎週ラグビーの練習に行くことがなくなったからだ。月に2回のペースだったかな。

ラグビーもだんだんとポジションが固定されてきて、僕が与えられたはポジションはスタンドオフと言ってバックス陣の前に位置よく司令塔と言われるが2軍で、実際は指令なんてせずにすぐ隣にパスを回すように教えられてたため何も魅力がなかった。ボールも蹴っちゃいけないし何したらいいの?

Aチームの同じポジションは完全に試合をコントロールしてそりゃまたカッコいい存在だった。

★長男の兄貴が度々テレビで見てるラグビーの試合で海外の試合があった。「黒いユニホーム」「黄色いユニホーム」の試合。 キックを蹴りあっている映像が流れてたので観てたのだが、いきなり「黒い方」がキックを止めて走り出したのである。 

走りだしたはいいが、相手ディフェンスも正面から来てるので、「早くとなりにパスださないと~倒される」と思ってた。

その時「黒い方」がパスを出す振りをして、まんまと相手のディフェンスをだまし交わしてそのまま走り去ってしまった。

「これだ!」 

★秘密兵器を握ってしまった僕は試してみたくてしょうがなかった。とある練習試合の2軍戦で実際にやってみたのである。

すんなりと相手が騙されてそのままとことこ走ってトライができてしまったw「人生初トライ!」これでいいの?騙して点を決める。かっこ悪いがこれが俺のやり方だ! その試合そのあと全く同じやり方で2トライ追加してしまって。

6年間のラグビー人生で一番楽しい日だった事を覚えてる。今まで何してたんだろー。苦でしょうがなかった6年間がどうでもよくなった瞬間だった。

ラグビーだったら練習はもういいや、2軍でいいから試合がしたいと思うようになってきたのである。そう、ラグビーが終わるのも残り少し。最後はいっぱい試合して終わろう。僕の中には中学でサッカー部に入ると決めていた分最後は楽しみたいと思うようになってきた。

★試合で騙してトライすることに快感を得た僕は何回もこのパスフェイントを入れて得点を決めた。試合後仲間から「パスまわせ」と言われたくらいであるwwwたまに失敗して「やべ~」と思い回りの顔色を窺ったりしていた。

★6年も終わりに近づき最後の数回のスクールで佐賀に遠征に行った。A,Bそれぞれ二試合ぐらいやってその日も2軍で得点を決めることができた。AもBも全勝だ! 最後はAの試合で相変わらず無敵のトライラッシュが続いていた。5年生から入った吉田も体格とセンスを生かし既にAの仲間入りだった。

★その時隣に座って試合を観てたBのメンバー数人の話し声が聞こえた。「あれ、寺田じゃね?」 え?と思い振り向くと「川端、あれ寺田じゃねえ?」

Aにぼろぼろにやられているチームの中に「寺田」がいたのである。「寺田」、水溜りで泣いていた寺田。助けてやれなかった寺田がプレーしていた。

「寺田だね」

僕は正直ほっとした。スクールにこなくなったのは嫌になって拒否したんじゃなくて転校したからなんだと。そして偶然にも彼のプレーを見ていてそう実感できた。 

「良かった。元気でやってたんだ」 僕はAのプレーそっちのけで寺田のプレーを追っかけ続けた。試合はぼろぼろだけど、やっぱり性格とガムシャラ感がプレーにでてるのである。

もう試合も大勝、失点0で終わろうとしてた。Bはすでに先に帰る準備も始めようとしてた時だった。がAの自陣での混戦で「寺田」がボールを受け取った。

寺田は一人二人交わしてそして両手でボールを、トロフィーを天に掲げるように真上にあげた状態で「ウォーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

と怒鳴りながら走り始めたのである。

約10mぐらいその状態でエリマキトガみたいに走り切って「トラーーーーーイ!」と叫んでゴールラインにダイビングして得点を決めた!

僕も隣の奴も、唖然になってしまった。やっぱりやっぱり悔しかったんだ。やっぱり一年前の出来事が悔しくてしょうがなかったんだと思う。一年前の泣いていた彼が蘇った。

執念の渾身のトライを決めた寺田に僕と数人は拍手を送った。僕は感動して泣きそうになってた。

★小学校サッカー部 最後の大会がやってきた。

「俺がフリーで持ったら前に走って!必ずパス出すけん」どいぴーは覚えているだろうか?

前半は左ミッドフィルダーで出場し試合は膠着した、終了間際に「やーちゃん」が一点決めて1-0で前半を折り返した。

後半西川先生は僕をトップ下に入った。僕はなんとなくだが行けると思っていた。僕の中では戦術があってそして「どいぴー」は

★「大覚醒」してしまったのである。

「わたる」は必ずフリーになった僕にパスをくれる。あとは簡単だった。ハーフラインくらいで受け取った僕はボールを前に蹴るだけだった。相手最終ラインとゴールキーパの間を狙ってグラウンダーで流し込む。「グラウンダー」、ゴロだゴロ。

あとは「どいぴー」任せ。DFを一瞬で振り切りった「どいぴー」は一人で敵陣をドリブルし一対一で確実にゴールを決めた。 

6-1。公式戦初勝利は大勝だった。 後半だけで5ゴールを決めた「どいぴー」は他校にも名を知られることになったのだ。僕も地味に3アシストも頂いたのである。

僕の中で西川先生に創部以来公式戦初勝利を挙げられたことには満足している。足の速さも、体力も、パワーですら小学生平均以下で常に足をひっぱっていた僕にキャプテンを与え(立候補だけど)恩返しができた事

佐古小サッカー部の歴史のスタートをこのメンバーで作れたことは僕の中に残り続ける誇りだ。

★と言っても長崎市内の大会なのであと一個勝てばベスト8に入る。ゲーム後勝った余韻に浸りつつも他校のゲームを観戦してた。このゲームの勝者が次戦の対戦相手になるからだ。

一人だけ目立った選手がいた。「後藤祐樹」、うまいやついるな~と思ったが、まあ勝てるかなと思ってた。「どいぴー」いるし。

★翌週の日曜日ベスト8をかけて長崎市営ラグビー、サッカー場で虹ヶ丘小学校との試合は行われた。毎週日曜日にラグビーの練習に行くグランドで、サッカーの試合をやっている。

「とても複雑」な気分だった。

★試合は前半「わたる」「やーちゃん」の得点で2-0だった。相手の「後藤」も上手かったが個々の総合力で勝っていた。楽な姿勢で後半を迎える。

やっぱり2回戦になると相手も一つ勝ち上がって来てるので、一回戦のようにはいかなかった。それでも「わたる」から定期的にパスが回って来る。

パスを受けた僕は「どいぴー」を見つけ、走り出すモーションを一瞬で確認したら思い切り前に蹴った。「どいぴー」は確実に獲物を捕らえ追加点を奪った。試合途中に「化け物」「化け物をとめろ」と聞こえてきた。「化け物」とはどいぴーの事である。化け物じゃない。「ゴリラ」だ。

その後さらに「どいぴー」のドリブル個人技で1点追加し4-0 僕も2アシストで創部以来初勝利初ベスト8を達成を確実にしたのである。

★残り時間も10分を切ったころ会場の入り口に「黄色と赤のジャージ」を着た数人が見えた。 まさか同級生じゃ? 試合に集中できなくなってしまって、よく見ると同じ学年の「ラグビースクール」の生徒だった。 

「伊藤圭」とあと数人。話し声まで聞こえてしまったのである。「川端だ!」「川端、キャプテンしよるぞ」

★「ばれた」と思った。

「伊藤圭」はAもBも試合にでてたので一緒にいる時間が多かった。いい奴だった。けどあんまり話さなかった。彼の周りが苦手だったからだ。「伊藤圭」は僕を見てどう思っただろうか?

残りの時間僕は自信を持ってキャプテンとしてプレーした。「伊藤圭」に「これが俺の本当の姿だ!見てくれと」と言わんばかりに。その間に「後藤祐樹」に1点取られて4-1で試合終了した。

ベンチに引き揚げる時会場前にまだ3人は残ってた。今日はサッカーの聖地であるグランドに3人のジャージはとても浮いていた。すれ違いざまに「伊藤圭」じゃない他の2人に声をかけられた。2人の記憶はもうない。

一言二言会話をしたが何を言ったか覚えてない。でもはっきりとサッカーをやってる人間の立場からの強い発言だったことは残っている。もう「ラグビーの俺」じゃなかったんだ。

★次勝てばベスト4 皆行けると思っていた。対戦相手は山里小学校。その日「どぴいー」は覚醒しなかった。てか

まさかのマンマークが僕についてしまったのである。相手のキャプテンだった。完全にやられたと思った。ここまで上がると戦いに戦術が加わる。何も、何もさせてもらえなかった。1本もパスすることなく試合は終わった。

0-0からのPK戦 3番手で出た僕は左ポストにあてて外した。相手も外したのでイーブンになったが6番目でケリがついた。

★負けたその日の午後中華街で打ち上げがあった。負けてあれだけ泣いたのにもう笑ってる奴もいる。ベスト4いけなかったけど、ベスト8.先生も保護者も大変満足だった。

その打ち上げの最後に生徒一人一人に最後の言葉を言わせる時間がやってきた。。生徒が吐く言葉に大爆笑になったり、真面目な感謝の言葉に泣き出す親もいる。6年生が順番に今までのサッカーの事、中学の抱負などを語る時間だ。順番に、順番に。

 そして僕はこの光景を約一年待ち続けてた。一瞬の判断でキャプテンに立候補したのも実はこの時間のためにあった。告白タイムである。

★最後にキャプテンの僕の番が回ってきた。僕は先生、生徒、保護者、そして何よりも僕を見ている母親の前で言った。

「中学に行ったらサッカー部に入ります。今までありがとうございました」それは同時にラグビースクールには行かないよという決別の意味合いをもつ。母親は涙ぐみながらゆっくりうなずいた。

僕自身も心はすごく揺れていた、6年生になってからラグビーが飛躍的に楽しいものに変わっていったから。だけど幼少の時のなじめない空気とサッカーの試合に行くことができない日曜日。 

キャプテンになった時にはすでに決めていたことだから。うなずいてくれた母親に心から「ありがとう」そう思った。

★6年間も続けた最後のラグビースクールもとうとう最後の日を迎えた。その日は試合で市内の南部のスクールに遠征だった。 グビーが楽しいなんてもっと早く思っていたら凄い迷い続けただろうな。 

もう完全にわりきっていた僕はすがすがしい気分だった。相手のチームもエース級のうまい奴がいた。「福田大二郎」だがスーパースター軍団を抱える長崎ラグビースクールには足元及ばず最後の試合もAはトライラッシュが続いていた。

★その日最後のAチームの試合の後半。僕が最終日だと知ってた指導者のはからいかわからないが、6年間で初めてAチームのメンバーとして試合に出た。

その中にいると僕自身も上手くなった気がしてしまうくらい楽しかった。一回自陣に深く攻められて、僕の隣のポジションのスーパースターが言う。「川端、蹴るからパス回せ」「蹴る?蹴っていいの? わかった」

「んじゃ一人抜いてからな」そう思いボールが来るとパスをせずにフェイント入れて一人抜いて走り出した。そうしら「パスパス」叫びだしたので笑いながらパスしてやった。

「気持ちに余裕」があったのだ。パスを受け取ったスーパースターはスゲーキックを披露してギャラリーから声が出るほどだったのだ。

僕がサッカー部だということを誰かに聞いて知っていたのか?「どうだ」と言わんばかりの態度で僕を見てたので、つい「サッカーやろう!」と言ってしまった。 

最後のラグビーも終わった時、何とも言えぬ達成感があった。もう人生でやることはないだろう。 最後は楽しかった。ラグビーにピリオドを打ったのである。

★中学に入ってもサッカー部に入るのは「どいぴー」「わたる」「まゆみ」「国松」「田川」「ヒロ」「しろお」 あと忘れてたらごめん!と「僕」

期待と期待と期待で大浦中学校に入学していったのである。。。

第一部 完 ball de amigo!   ブラジル行ってきま~す。

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