Vol.4『2年間で転職を6回繰り返した男が、いきなり独立起業をした』話
実家に帰れば、
友達に会えば、
誰か知り合いに会えば、まさに批判、説教の嵐だったので
次第に周りに会社を辞めたことを隠し、バイトで生計を立てるようになっていた、
段々と転職を繰り返すうちに、
そんな関係と毎日が嫌で仕方なく、段々と、自分は社会不適合者なんだ。
『そうか、俺には、社会で生きていく力もないんだな。。』
と、そう思うようになってしまったのです。
当時は視野が狭く、サラリーマンでやっていけない=社会不適合=生きる力がない
という方程式しか思い浮かびませんでした。
自分のことを知らない人に会えばいい
「あ、知ってる人に会うから気マズいんだ、知らない人ならいいじゃん!」
ということで、自分が興味に持った人にアポを取り、頻繁に会い始めた。
SNS(主にmixi)でメッセージを送り、週に4、5人くらいは会っていた気がする。
当時、手帳はそのためにあったようなものだ。
スケジュール表が塗り潰されていくのが楽しかった。
そして次の会社が決まるまでの間、再度、派遣バイトで食い繋いだ。
SNSで知り合った友人と、治験バイトに参加
次の会社は2ヶ月後に決まったが、少し番外編を。
治験というバイトに、ミクシィで知り合った仲間と共に、
参加する事になった。
治験とは、医薬品もしくは医療機器の製造販売に関して、薬事法上の承認を得るために行われる
臨床試験のことである。
簡単に言えば、これからこの薬を世に出しても大丈夫かという、検証。
つまり、人間モルモットになるバイトだ。
1週間で18万。
治験者側のやることと言えば、期間内は入院して
新薬の投与と、定時ごとに採血注射(計45回)を受けるだけだ。
食事はもちろん出るし、漫画は読み放題。当時の私からすれば、美味しいバイトだった。
注射を40回以上、短期間に打ったのは驚きだったが、、
最初こそ漫画を読んでいたが、
それに飽きると、ベットの上で自己啓発本を読んでいた。
番外編はこれくらいにしておくが、、
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そして、次の会社は外資系の医療業界だ。
2社から内定をいただき、偉そうにも、外資系の給料体系(月給制or年棒制)の違いに
少し迷った。
なぜか30人くらいの志願者をくぐり抜け、内定をいただいた。(奇跡的)
営業職に就きたかったのだが、他の内定者は同業者や営業歴9年と言う実績があるので、
未経験の私が外されても仕方がなかった。
配属先はカスタマーサポートという、いわば営業マン・病院側とのパイプ役で、
電話対応とPC入力が仕事の98%を占めた。
自分の希望としては営業職が良かったので、上司に希望を伝えるも却下。(当然かもしれない)
だが、この当時も、仕事のモチベーションが上がらない理由は希望の営業職に
配属されなかったことにあると、そう思っていた。
だが、もはやそういう問題ではないことに自分は気付いていなかった。。(これは後ほど)
例によって、3ヶ月間の試用期間というシステム。
試用期間と言っても、(以前も含め)周りの同期で落ちた話しを聞かないので、
大きな問題がなければ大抵は、正規採用になるのだろうと踏んだ。
3ヶ月目を終える直前に、上司からある課題を課された。
私はマインドマップのようなものに、図式化したものを何枚かまとめて
提出した。
それを見た上司の顔が見る見る、険しくなる。
『お前、これなんやねん?!』
『俺が言ったのは他の皆が作ったようにやれと言ったわな!』
『お前、ふざけてるん??』
私は全くふざけたつもりもなく、真面目に提出したつもりだ。
そして、
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