ぼくのお伽話

著者: 西田 章


「人生はちょっとした奇遇である」
イギリスの作家トーマス・ハイディの言葉だ。
その奇遇とは、はたして必然なのか偶然なのか。
人はそれを、偶然だとあまり深く思うことなく暮らしている。
ぼくもその例外ではなかった。
歳を経て、アンデルセンの「童話集」の中に次の言葉を見つけた。
「すべての人間の一生は、神の手で描かれたお伽話である 」
ぼくにとってその言葉は、とても衝撃的でありとても魅力的でもあった。
ならば奇遇とは、神の用意した必然にほかならない。
その奇遇という名の必然に導かれて、ぼくは今ここにいる。

神の手によって描かれた、ぼくのお伽話をしよう。



エピソード1

その⒈
三両だけの電車が、海岸線に迫る山を切りとった隙間を縫うように、長閑な夏の陽射しを浴びてトコトコと走っている。
ぼくには見慣れた瀬戸内海の景色が、そこにある。
「こんなに海と山が近いんだね」
夏休みに東京生まれの友人を誘って故郷に帰ったときのことだ。
車窓に流れる景色を眺め、こんな風景初めて見たよ、そう友人がつぶやいていた。
ここでは当たり前のことが都会では当たり前でなく、都会では当たり前のことが、ここでは当たり前ではない。
そんな現実をぼくは都会に出て初めて知った。
それを知らずにこの町で暮らす幼馴染もいる。
知ることが幸せだったのか、不幸せだったのかーその答えは今はまだ、分からない。

東京に出たのは二十歳(はたち)の春だった。
一年の浪人生活を経て、大きな期待とそれ以上の不安を胸にして、東京駅のホームを踏んでいた。
浪人生活では予備校へは行かず、「宅浪」を選択した。
そこには、「ちょっとした奇遇」があった。
それは、たまたま本屋で見つけた一冊の本との出会いだった。
三十年も前の話しー。
タイトルは忘れた。
でもその物語の内容は今でも鮮明に覚えている。
ある浪人生のお話し。
その浪人生活を日記風に紡いだ、喜びと哀しみとちょっぴりせつなさが滲んだ青春グラフィティだった。
予備校に通う主人公は、『一年間の努力の先にある確かな未来を信じる』と、日記帳の一頁目に決意を綴る。
始まりは強い信念で学業に励む心情が滲んでいる。
しかしその予備校で一人の女性と出会い、雲行きが怪しくなる。
その女性に淡い恋心を抱き始めた主人公は、次第に自分の中で揺れ動く得体のしれない感情に翻弄されていく。
未来への自信が大きく揺らぐ。
それでも彼は、メタファーとしてのー雨の日も晴れの日もー日記帳に向き合い、自分の心情を真摯に綴り続け、文字通り見事にその難関をくぐり抜け、志望校に合格する。
彼女とはどうなったんだっけ…。
それは記憶にない。
とにかくそんなお話しだった。
その本を一気に読み終えたぼくは、「ねぇ、お小遣いちょうだい」と母に手のひらをつきだしていた。
「何に使うん?この前、あげたばっかりじゃろう」
母は眉間に皺を寄せ、言葉を継ぐ。
「予備校に行きゃお金もかかるんよ。無駄遣いできんのじゃけぇね」
お金?
それは考えていなかった。
あの頃のぼくに、家庭の事情に寄り添う心の幅は無かった。
ぼくが宅浪の道を選んだ理由は、他にあった。
それは、物語の中にあった一つのエピソードにある。
そこには、同じ悩みを心に持つ者同士が、その傷を舐めあっているうちに現実逃避へと走り、浪人生活を重ねてしまうという悲しい話しが記してあった。
隣町の予備校の周りも誘惑で溢れていた。
雀荘、パチンコ屋、ゲーセン、ライブハウスにディスコ。
どれも嫌いではない、ぼく。
中には、予備校には通わずにそっち方面直行で、3年も浪人している先輩がいると聞く。
その先輩の姿がぼくの未来と重なっていた。
自分にもあり得る現実だ、と物語が教えてくれていた。
閃いた。
「心配せんでええよ。予備校にはいかんけえ」
恩を売ったつもりで宣言していた。
「自宅で頑張るけえ、お金は心配いらんよ」
よく言うよって感じ。
元はと言えば、浪人した自分が悪いのにね。
勉強は出来なかったけど、ずる賢い知恵はよく働いた。
母から貰った一万円札を手にして、文房具屋へと走っていた。
高級な日記帳と、ちょっぴりお得な万年筆と、それでうかしたお金でタバコを買って自分の部屋へと息を切らし階段を登った。
学習机の椅子に腰をおろし、タバコに火をつけ、日記帳を開き、ー頁目に万年筆で綴った。
『この日記帳に明日がある。くじけそうになっても、必ず日記帳に向き合うのだ。立ち止まり、自問自答を繰り返すのだ。その積み重ねの先にきっと未来はある。大人になって誰かに誇れる物語を紡ぐのだ』
決意は立派に書けたが、初めて握った万年筆の文字はミミズが這ったような、そんな頼りないものだった。

こうしてぼくの浪人生活が始まった。
希望は、東京六大学。
その内の何処でもいいから合格すること。
第一志望は、東大は絶対無理だから、まあ早稲田かな…。
東京六大学なら隣の家の山下のばあちゃんでも知っていて、威張れるーそんな単純でいい加減な理由だった。
でも、ぼくの高校卒業時の学力は、500人中ー460番。
偏差値35。
よく考えれば、って言うか普通にお金よりもそっちの方が心配じゃん、って感じ。
あまりにも思慮の浅い、場当たり的な18歳の、ぼくだった。


続くー

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