20歳でニュージーランドにワーホリに行ったら、渡航2週間で貯金が底をついた件

著者: 平田 智夢

2008年3月16日。

平田は大学3年生を休学しニュジーランドにワーキングホリデーとして単身、降り立った。


そもそも、ニュージーランドに渡航しようと思ったキッカケがあった。

2006年に関西学院大学に進学をし、入学をした学部は「神学部」。牧師を養成する学部だった。平田は望んで神学部に入学をしたもの、学部コンプレックスだった。大学で出来た友だちからは「神学部って何勉強してるん〜?ケラケラ」「毎日お祈りとかしてるの〜?笑 ゲラゲラ」などと言われ、笑われた。

今となっては「んなことないわ!」と笑って跳ね返すことが出来るが、当時の平田は傷ついた。

それが嫌だった。シクシク

(卒業した今は、とても良い大学だと思うし、神学部を卒業したことは誇りに思う)


新歓などで自己紹介をする時は大学の名前しか言わずに終わらせることも多々あった。

しかし、それが逆に現実を見させてくれた。


「すっげー嫌やけど、確かにな。このまま学生生活を送り就活を迎えても面接官からも認知されないかもしれない。ってことは、何か人と違う学生生活を送らないとな」と思った。


「大学では留学に行きたいなー」と高校生の時に思っていたので「留学でもいきゃーいいか」なんて考えていた。が、1回生の春学期の必修科目である英語の単位を落とした。留学制度に申し込みを出来るそもそもの権利をなくした。

ちーん。

大学をナメテマシタ。スイヤセン。

(学生のみなさん、授業はマジメに出席をし単位はちゃんと取得しましょう。特に必修は!)


平田は「自力で行くしか方法がなくなったいま、どけんとせないかん!」と思いニュージーランドにリベンジにいくことにした!リベンジというのも高校生の3年生の時に親戚(南島の街、クライストチャーチ)が住んでいたことがキッカケで親の金で1ヶ月滞在し遊び倒していた。(たくさんのお兄さん、お姉さんに深夜まで仲良く遊んでもらいました。初めてのタクシー帰りを経験する)


「次行くからには親、親戚の力(資金・宿泊場所)を借りずに独力でいこう!」なので、自称リベンジ。

自分の生きる力がどこまで通用するか試してみよう!なんてそんなにかっこいいことを思ったかどうかは忘れたがとにかく行くことを決めた1年生の夏休み。


そこから度重なる友達、先輩からの遊びの誘いを断りまくりバイトにバイトを重ねた。

1、2年生の間で貯めたお金はなんと50万円。


(少ないと笑わないで!!)


ワーホリの準備を着々とすすめ、2008年3月16日早朝。

両親と友人に見送られながら「ありがとう!いってきます!」と短く挨拶をし期待と不安に胸を膨らませながら颯爽と関西国際空港の出国ゲートを潜り抜けた。

覚悟を決めた背中を日本に向けて飛び立った。


飛行機代10万円と旅行者保険代10万円を支払い残金30万円。

その時の写真。(右はしが平田)


(途中、韓国に2泊立ち寄り様々な経験をするがそれは後日)


長旅を終え、ニュージーランドに降り立つ。

平田は入国審査がとても嫌いだ。良い思い出がない。

(高校3年生の時の初めての単身ニュージーランド渡航の際に別室に連れて行かれ3時間尋問をうける体験をしているから。これも後日)


無事、ニュージーランドはオークランド空港(北島)に到着したがそこで最初の関門がやってきた。


通常であれば、ワーホリでも留学でも留学エージェントという仲介業者を経由していくのが一般的だが、金のない貧乏学生の平田。エージェントに支払う金がない。さらに、ロクに下調べもせずに来てしまった。これがマズかった。


空港に到着しても、迎えも何もない。お迎えに来ている人たちの脇を少し背中を丸めてすり抜けた。

そこで飛行機の中で読もうと思っていたが、ビールを呑んで寝てしまったために結局一度も読むことなく持ってきた「地球の歩き方」を初めて開いた。


「さーどうしようか!」とつぶやいた。


最初に行こうと思っていた土地「フィティアンガ」(オークランド空港からバスで6時間ぐらい。この場所だけは高校時代に渡航していた時の友人に「オススメだよ」と聞いていた)

ワーホリの代表的な職と言えば「ピッキング」「パッキング」(フルーツなどの摘み取りと箱詰め)。

これが出来ると聞いていたので「よし!まずはフィティアンガにいこう!」と思っていた。


試練1

バスのチケットを購入しようとチケット売り場に行くと「本日はすでに予約でいっぱいです。次のバスが出るのは4日後だよ!」なんてことを言われた。


「な、な、な、なに!4日後!!!」


日本では考えられないことが普通に起きる。

その瞬間から平田にスイッチが入った。脳の情報処理速度を高速回転に切り替えた。


平田「よし!じゃ、ここから一番近い街はどこ?」

売り場スタッフ「オークランドだよ」

平田「OK!じゃ、オークランドに行くバスのチケットをちょうだい!」

即断即決だった。


平田はバスのチケットを手に入れた。


次に必要なのは今日の寝床!地球の歩き方のオークランド・宿泊のページをササッとめくりコメント欄に「バスの運転手にB&Bの名前を言えば、前で降ろしてくれる」と書いてある宿に決めた。これも即断即決。

バスチケット代2000円ぐらい。残金29万8000円

試練2

バスに乗り、オークランドの街に入った。すると急に運転手に「そーいえば!通り過ぎた!おめぇ、あそこの宿に行きたいんだったな!まだ近いからここで降りてあそこの道を歩け」と言われ道の真ん中で降ろされた。


「宿の前まで行ってくれるんとちゃうんかいいいいいいいいいい!!」と叫びたかった。


仕方なくバス停も何もないところで降ろされ、道もわからなかったので近くのお店に入り店員さんに住所を伝えると「あそこの道を行ったところだよ!」と指をさされた。


「上り坂〜〜〜〜〜しかも、けっこー急!!!」とは言えなかったが、笑顔で「サンキュー」と応じ平田はめちゃくちゃ重いスーツケースを引っ張った。


平田は寝床になんとか到着した。


試練3


宿に到着し「とりあえず、1週間ここに滞在する」と受付のお姉さんに伝え1週間分(1泊$80ぐらい)の滞在費用を支払い部屋に案内をされてふ〜〜〜〜〜〜〜〜〜とベットに寝転がり「これからどうしよっかなー」と地球の歩き方を開いた瞬間。


「バックパッカーのページあるやん!」ということに気づいた。指定した宿の次のページに書いてあったのだが、そこを見落としていた。バックパッカーとは旅人が泊まる6〜10人部屋で2段ベットなどで寝る安宿のこと。(そこなら、6人部屋で1人1泊$20ぐらい)


そっこー受付のお姉さんに「1週間滞在はやっぱなし!!今日だけ泊まるからお金返して!!」と言いに行った。(大事なお金!!)即断即決がそろそろ板についてきた。


平田は安い宿を高い宿にお金を支払ってから気づいた。

1泊の宿泊代8000円。残金29万円。

まだあまり、お金の心配はしていない。


試練4


翌日にバックパッカーに移動出来た。1週間滞在して何とか生活が出来る準備をするぜ!

と意気込んだ。しかし!!!!!!!

友だちになる人、なる人、みんな「おれ明日帰国するんだ〜」「私は3日後に帰国します」というではないか。そう、空港行きのバス停が近いため日本へ帰国する人が帰国前に利用するバックパッカーだった。

平田は意気揚々とニュージーランドに来て、はじめて友だちになれどもなれども「みんな帰国していく」


さらに世の中は「イースターホリデー」(日本でいうGW) オークランドの街のお店はほとんど閉店!!という閑散とした状況。


「と、と、ともだちができひん!!!!」という状況だった。

なんとか友だちを作りたいなと思っていたところ「それなら語学学校に通いますか?」と宿

の人に薦められた。そこは即断即決「そだな!」と思い3週間申し込む事に。

(間違った即断即決)


「ちょっとここでは、長く滞在できんな!家を探そう!」と引越しを決意し掲示板で家を探し最初に目に止まったところに電話をした。


平田「住みたいんですけど」

家のオーナー「まずは見学にきますか?」

平田「いえ、大丈夫です。明日から住みます」

オーナー「え、普通見学にくるよ」

平田「いえいえ、大丈夫です!!行きます!」

オーナー「わ、わかりました。。」

そろそろ即断即決が気持ちよくなってきた。

結局、バックパッカーには1週間分の滞在費用を支払ったが、3日で出ることにした。


あ、その間、自炊も開始した。

とりあえず、スーパーに行き常に安い食材を調達した。初めて料理をして作ったのは「お好み焼き」。を作ろうと思ったが、とんでもないほど失敗をし「無味クレープ」のようになった。

これは写真を見せれないのが残念。キャベツを入れることを知らなかったのは内緒です。


行く予定のなかった語学学校代と携帯や食料などの初期費用で合計20万円。残金10万円。


このあたりから、毎晩毎晩残金を数えて寝る日が続く。

「1日使えるお金はいくらかな。」「今日は出費が多かったから明日はこれぐらいで1日を暮らさないといけないな」など家計簿をつけながら夜な夜な残金を数える。確か、1日に使えるお金は$15(1500円)程度だった。


週が明け、語学学校も始まり、引越しもした!「これでニュージーランド生活がやっと始められる!」と思ったのもつかの間。「お金がない!」このとき残金5万円。


・語学学校へのランチは最初に買った一番安いタイ米を炊いて白ご飯のまま持っていく。

(パサパサのためおにぎりには出来ず。また、おにぎりにするためのラップも買えず)

・お茶を買う余裕もなかったので、ペットボトルの空きをもらっては水道水を入れて毎日持っていく。


・知り合う人には「余ってる食料があればください!」とお願いをする日々。

(お陰で「野菜もらったからあげる」とか「帰国した人が置いていった調味料あげる」とかが相次ぐ)


・とは言え、お腹は空くのでスーパーの中で1番安くお腹がいっぱいになるものを探す。$1で11枚切りの食パンを買えることに気づく。(それからお腹が空けば食パンを食べる)もちろん、ジャムやバターは買えない。


・胃袋を小さくしよう!と試み、食事は小分けにし、一度の摂取量を圧倒的に減らす。


・あとはひたすら、水を呑む。(蛇口をひねれば水は飲み放題)


・家から街への移動手段はバスがメインだったが、基本的には徒歩。どこまでも徒歩でなら行けることに気づく。(オークランドは坂の多い街であったため足腰が鍛えられる)


・散髪などにはもちろん行けないので髪はボーボー。

(散髪って意外とお金がないといけないことに気づく)


など、思いつく限りのありとあらゆる節約をした。


ある日、あまりにもお腹がすき過ぎたので「パンの耳だとタダで貰えるんじゃないか!」と思いつき近くの中華系スーパーの中にあるパン屋に行った。

そして、「自分は最近、日本からニュージーランドに来て、お金もありません。でも、お腹は空いています。身寄りもありません。20歳です。捨てるパンでいいので、くだしゃい!!!!」と身の上の話をし、お願いをした。(この時の必死感は想像に容易い)

するとパン屋のおばちゃん(中国人)に「あなたはパイは好き?」と聞われ「すきです!!!」即答。


「じゃあ、このミートパイをあげるわ」と言ってくれた。


嬉しかった。

むちゃくちゃうまかった。こんなにうまいパイは生まれて初めて食べた。涙が出るかと思った。

生まれて初めてお店の商品をタダで貰う経験をした。人生何でも言ってみるもんだなと思った。




語学学校に通い2週間目。渡航して10日目。

ついに、所持金が明日にも底をつくことがわかる。


このときの残金2000円。平田、若干20歳。



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