国連で働くことをあきらめて、人力車の車伕になった後、起業した僕の物語。~①ゲイとの死闘&バックパッカー編~

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知行合一(知識と行動は合わさって1つの知恵となる。)

 僕はこれまで、この言葉をテーマに生きてきた。だから、知識を詰め込むだけの頭でっかちにならないよう、自分の経験を通じて学ぶことを大事にしてきた。今までやってきたことはこんな感じ。


●大学4年間だけで、1000冊以上の本を読んだ(主に哲学書、ビジネス書)

●初バックパックで旅した東南アジアで盗難される(笑)

●インドでギターを背負って旅するも、途中でゲイに地下室で犯されかけ、リアル『ガンジス川でバタフライ』をするも帰国後に腸チフス発症。急死に一生を得る。

ウガンダでは飛び込みで1週間小学校の先生のボランティアを経験。

●今度は日本文化を学ぶために、人力車のえびす屋・嵐山店でアルバイトを始める。

●外の世界(日本・海外)をある程度見たので、今度は内の世界(精神世界)を知るために山奥で10日間ヴィパッサナー瞑想の修行に参加し、「諸行無常」の理を体で学ぶ

●社員にスカウトされ、大学院に進学するのを辞め、人力車のえびす屋・宮島店の立ち上げに関わる。

●IT企業に転職しようとするも、全滅。躁うつ病になる。

●独立するも、400万ほどの詐欺にあう


 そんな稀有な経験をしてきた僕だが、今に至るまで、苦悩や葛藤の連続だった。しかし、そこから見出した気づき、学びなどをここに記すことで、少しでも誰かの学びや、同じようなことで悩んでいる人のためになればと思い筆を取ることにした。



小学生から芽生えた自殺願望

 物心ついた頃から、自分は『何のために生きているのか』。そんなことを考えている子供だった。そして、小学校にあがり、仲の良い友達から嫌がらせを受けるようになり、更には、他の人の3倍くらい努力した中学の陸上部でも、結局他の部からの助っ人にレギュラーを取られてしまうくらい、努力が全く報われないことが余計に自分には生きてる価値がないと思わせたのだった。


 しかし、その転機となったのが、いわゆる「9・11」だった。まるでハリウッド映画のように、飛行機がビルに突っ込んで行く様子は、今でも目に焼き付いている。当時中学3年だった僕には、目の前で起こっていることが、あまりに衝撃すぎて理解できなかったが、世の中で起こっていることについて興味をもつには十分すぎるできごとだった。


 それから高校にあがり、この「9・11」に関することなどを調べ始めた。そして、調べて行くにつれ、『この世の中では自分が知らない大きな構造が動いている』。そんなことを漠然と、しかし明確に感じ始めた。


 『世の中を良くするためには、その大きな構造を変えなければならない。』漠然とした答えではあるが、それが自分の使命のように感じた。それが出来るところはどこか、当時の僕の精一杯の頭で考えた。

 出た答えは『国連で働くこと』だった。今まで、特になりたいものもなかった僕に、とてつもない大きな目標ができた。じゃあ、まず英語がしゃべれるようになるために、英文科か国際化を受けなきゃ。


 受験生になった僕は、夜9時に寝て、深夜12時に起きて勉強という3時間睡眠、あとはひたすら勉強という鬼のような生活をした。自分がこれだと思ったら努力だけは人の何倍もできるタイプだった。しかし、無茶苦茶な生活のせいで、肌はボロボロ、ニキビだらけ。しかも、それをごまかすために、肌色のクリームを塗ったせいで余計に変な顔色になり、友達が『お前、お化けみたいだけど大丈夫か。。?』と本気で心配するほどだった。


 そして、更には追い打ちをかけるように、そこまで勉強したにも関わらず、推薦入試も、センター試験も落ちて全滅。浪人となった。この時もまた自分の努力の報われなさに悲しみを通り越して、呆れてしまい、1週間食事が喉を通らず、病院に連れて行かれた。

 そんなボロボロの状態になっても、とてつもない目標のために立ち上がって、頑張ることができた。そして浪人して、どうにか立命館大学の国際関係学部に合格した。



バックパッカーの旅

 大学に入ってからは、英語だけでなく、国連に入る条件であるフランス語も勉強し、「国際社会で活躍する人材育成プログラム」にも合格し、ストイックに勉強をした。

 しかし、学校での学びがどうしても「机上の空論」のように思えていた僕は、大学2回生の夏休みに、「実際に海外を自分の目で見てまわろう、まさに百聞は一見に如かずだ」と考え、東南アジアのタイ、ラオス、ベトナムをバックパックでまわった。盗難にあったり、危険なことも多々あったが、そこでの経験はやはり学校での学び以上のものがあり、日本では感じられない、日々自分が今日も生きてるんだという充足感を満たしてくれるものだった。

 バックパッカーというものに味を占めた僕は、次の場所にインドを選んだ。しかし、インドでの旅はまさに波乱の連続だった。

 まず、旅の1週間前に当時の彼女と別れた。特にケンカ別れしたわけではない。なんと、音信不通になってしまったのだ。後に彼女の友達に聞いた話によると、彼女は「意図的な自然消滅」を狙っていたらしい。

「意図的って言ってる時点で、もはや「自然消滅」ではないだろ!!」と冷静にツッコみたくなったが、音信不通にされてしまっては、もはやツッコむことすらできない。


 彼女への思いを立ちきれず、モヤモヤした気持ちで、インドの首都、デリー行きの飛行機に乗った僕は、暗雲たちこめる出発となった。しかし、これは神様がくれた「慰安旅行」だと自分を言い聞かせたのだった。そんな彼女と別れたばかりだった僕に、まさかのゲイとの死闘が待っているとも知らずに。

 



ゲイとの死闘

 今回のインドの旅で、僕がどうしても行きたいところがあった。それがガンジス川だった。やはり当時から生に対する執着がなかった僕は、その自分の価値観が何か少しでも変わるのではないかと、「聖なる川」ガンジスに思いを馳せたのであった。

 偉大なるガンジス川の目の前で、運ばれてきた死体が焼かれて、遺骨が川へと流される様子は、やはり、いざ目の当たりにすると、言葉が出ず、しばらくその場から動くことができなかった。

 遺骨が川へと流される一方で、多くの人たちがその水で洗濯、沐浴などをして、生を営んでいる。その様子がなんとも不思議で、生と死は紙一重であるということを切に感じずにはいられなかった。


 

 しばらくして、川のほとりを歩いていると、怪しげなインド人の男が僕を誘ってきた。

怪しいインド人
こっちの地下へおいで!
面白いものを見せてあげるから!
ボク
(怪しいけど、おもしろそうだから、
 行ってみようかな)

 僕は怪しみながらも、恐る恐る階段を下りていった。すると、そこには大きな像が祀られていた。

※イメージこんな感じ


怪しいインド人
これがインドの神様だ。
しっかりお参りしとけよ。
ボク
わかった。お参りするわ。
怪しいインド人
今度は後ろを向いてみろ。
それは性器をモチーフにしたものだ。

後ろを振り向くと、そこには確かに男性器と女性器をモチーフにしたような形の像が祀られていたいた。



怪しいインド人
お前にも立派なヤツが付いてるだろ!?
ボク
。。。まあね(苦笑)

 僕はその瞬間、嫌な予感がした。

 それと同時に怪しいインド人は、いつの間にかかがんでいて、僕のズボンを脱がせようと腰に手をかけていた。

ワ、ワンミニッツ!!

 と彼は叫び、必死にズボンを下げようとする。僕は必死にそれをこらえた。

 なんとなく、こいつはゲイなのではないかということが想像できた。しかし、最悪なことに、僕は下着を全て洗濯しており、その日に限ってノーパンだったのだ(笑)もし、ズボンを下げられてしまえば、「お前もその気だったのか」と相手のテンションが更にヒートアップしかねない。

 どうにか相手の攻撃を防いだ僕は、一目散に地上へと駆け上がって、どうにか難を逃れた。


  おいおい、ここは「聖なる河」じゃなくて、「精なる河」じゃねーかよ(笑)

 インドまで来てゲイに犯されるなんてまっぴらだぜ。。。

 しかし、今でも気になるのは、あのワンミニッツ(1分)は何を意味していたのであろうか

    まぁ、きっとロクでもないことには違いないが(笑)。。。



ガンジス河でバタフライ

 ガンジス河に来た一番の目的は、火葬を見ることでもなく、ゲイと戯れることでもなく(笑)、そうバタフライをすることであった。

 それは、長澤まさみさん主演でも話題になった、たかのてるこさんの小説『ガンジス河でバタフライ』を再現したかったのだ。多くの日本人はガンジス河で沐浴することを拒むし、ましてや泳ぐことなんてありえないだろう。それはあまりにもガンジス河の水が汚いからだ。しかし、旅では常に「郷に入れば郷に従え」を実践してきた僕にとって、沐浴をすることは、インドでの紙を使わないトイレスタイルを実践するのと同じくらい当たり前のことだと思っていた。


 そして、念願の『ガンジス河でバタフライ』をやっていると、今度は現地の子供5人組に捕まった。水掛遊びが始まったのだ。しかも、なんとその中にまたゲイだという男の子がいて、必要に追い回され、水を掛けられ、その水が口の中にも入ってしまった。

 まさか、その水が大変なことになろうとは。。。ホントにゲイだけは勘弁してほしい(笑)


腸チフス発病

 日本に帰国して1ヶ月たったころ、発熱した。

  病院に行くと風邪だと言われた。しかし、1週間たっても治らないし、熱は40℃を超えてしまった。さすがにヤバイと思って、ある日救急車を呼んだ。さすがに、只事ではないと思っていたのと、「地球の歩き方」に載っていた感染症の症状にそっくりだったので、それなりにヤバイ病気の覚悟をしていた。

 しかし、運ばれた病院で言われた診断結果は、「胃腸炎」だった。しかも、「その程度で救急車を呼ばないで下さい」と怒られた。こっちは死にそうだし、ヤバイ病気だと確信があったのに、怒られる意味が分からなかった。結局その日病院をたらい回しにされた結果、どうにか感染症科のある病院にたどり着いた。


 そこで、先生の顔つきが変わった。「即入院です!!!」

 完全隔離の病室に移され、広い病室で一人ポツンとなり、病室に入る人にもマスクと消毒が義務付けられた。「やっぱりヤバイ病気なんだな」その時ハッキリ確信に変わった。とりあえず病院に入院できてホッとするも、1週間以上高熱が出ており、体力は限界だった。病院でも、寝てもまた高熱にうなされて起きてしまう繰り返しだった。

 次の日、検査の結果が出た。病名は「腸チフス」だった。過去に何万人もが死んだ病気である。後で親に聞いたら、「今夜あたりが山です」と、よくドラマであるようなセリフを言われたらしい。間違いなく、「ガンジス河でバタフライ」が原因だった。

 あぶねぇ、危うく「三途の河をバタフライ」するとこだったぜ(笑)


「やっぱり生と死は紙一重だ!」

ガンジス河のほとりで巡った思いが、実体験となって返ってきた。

 この後、最終的には在学中に念願のアフリカ(ケニア、ウガンダ)までも制覇した。しかし、このチフスにかかった経験をもとに、自分の方向性、価値観が変わっていく。


続きは次の章で書いていきたいと思う。


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国連で働くことをあきらめて、人力車の車伕になった後、起業した僕の物語。~②人力車編~

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