愛されない
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>私は愛されない。誰にも愛される人間ではない。
40年もの間ずっとそう思っていた。
幼い頃から、もしかすると物心つく前から。
人として誕生する前から。
それはあまりにも哀しいことだったから、私はすっかりそのことを忘れていたけれど。
思い出さないようにしていたけれど。
それでもその目に映る全てのものの中に、
「私は愛されない」ということを証明する言動を無意識に探していた。
そして見つけては、「ほら、やっぱり」と心で肩を落としていた。
でもそれは私の思い込みだった。
勝手に私がそう思っていただけ。
私が「私は愛されない」ということを信じているから、
私の目に映る世界が私を愛さなかっただけ。
愛されないという思いがあるから愛されたいと強く願った。
願ったけれど叶えられることとは思えなかった。
愛されなくてもいい。
その言葉を初めは言えなかった。
でも少しずつ涙ながらに何度も口にし続けるうちに、
私がこれまでもずっと愛されていたことに気付くことができた。
私は愛されている。
何十年間も信じ続けてきた「愛されない」という思いが消えてなくなったわけじゃない。
「愛されない」という思いは時々顔を出す。
そんな時は目の前の人を信じることにした。
私がどう思おうとこの人は私を愛してくれている。
自分から、世界を信じてみることにした。
すると、愛はすぐそばにあった。
ここにあった。
目に入ってなかっただけだった。
幼い頃から、物心つく前から、私は愛されていた。
今、私は愛したい。
私の愛する人たちを、私の愛する命あるものを、私は愛したい。
◆ 私の記憶
1968年9月25日。
八戸市の病院に入院中の母の胎内に私はいた。
温かく安心できるところから、決死の覚悟で出てきた。
暗い、狭い、息ができない。
あの光の方に出れば、受けとめてくれる、抱きしめてくれる。
あの光の方に行きたい!
午前11時15分。
息も絶え絶え出てきた私は、一気に肺に入る空気に一瞬ウグッとなりながらも、
次の瞬間声を上げて泣いた。あの温かさを求めて泣いた。
あの温かさに早く包まれたい・・・
私を愛してくれるはずの、あの温もりに・・・
しかしそれは叶えられなかった。
予定日より38日早く出てきた私は2000gに満たない大きさ。
求めていた温もりを得られぬまま、保育器へ移された。
温かな胸はない。愛しむ瞳はない。
抱きしめてくれる手はない。。。
ほらね、愛されてない---。
産まれ出て1ヶ月ほど経った頃、私はやっと母の腕に抱かれて退院した。
もうこれで安心。ずっとこの温もりの中にいられる。。
そう思ったのもつかの間、私は常磐(ときわ)さんというお宅に3年間預けられた。
親戚というわけでもない。両親の友人というわけでもない。
ただ常磐さんのご好意で私を預かってくれることになったと、後で聞いた。
両親共働きだったからだと。
常磐のおばあちゃんは、私を一番かわいがってくれた。
私も一番おばあちゃんに懐いた。
両親は毎週顔を出してくれていたが、私を引き取らずに帰っていく。
そんな日は常磐のおばあちゃんがずっと抱いてくれた。
心にぽっかり穴が空く。
ほらね、やっぱり愛されてない---。
私は3歳になった。
その日はよく晴れて空は青く、ひつじのような雲があちこちに浮かんでいる。
頬に柔らかく風が触れていく。
私は"常磐のお兄ちゃん”と家から少し離れたところにある鉄棒で遊んでいた。
一番低い鉄棒に両手を伸ばしてやっと手が届く。
"常磐のお兄ちゃん”は私に鉄棒を教えてくれていた。
フンッと地面を蹴って腕に力を入れると、身体は空中に上がりお腹を支点に
鉄棒に上がることが出来た。クルッと前に上半身を倒して前回りが出来た。
青空が一回転した。白い雲も一回転した。
うわっ!
嬉しかった。
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