「高木教育センター」のありふれた日々(続編)
お気づきだろうか。前者は、人を見くびらない注意深さがある。後者は、自分が不注意だから他人も同レベルだろうと人を見くびっている。だから、不注意になる。これは、数学を解く場合も同じことが起こる。
後者の子は、問題文に「確率が --」とあると何も考えずに確率の問題と思って始める。でも、前者の子は
「確率という語でフェイントをかけて、本当は数列の問題じゃん」
と見破る。出題者をなめていない。必ず意図が隠されている。そういう慎重さがある。
私のブログのランキングが上がってくると、賢明な子は
「永遠のマンネリ作戦は有効らしい」
と、教訓を学ぶ。しかし、不注意な子は
「なんで、あんな同じことばっかりのが読まれるんや?」
と人をなめた考え方しか出来ない。現実に起こっていることより、自分の狭い視野が全ての世界に思えるのだろう。
私の塾から難関校の合格者がたくさん出ると、科学的な子は
「そういう結果が出たのなら、必ず原因があるはずだ」
と調べ始める。
しかし、視野が狭いと
「宿題も出さんそうなのに、なんで?」
と、的外れの分析を始める。
もちろん、私は仕事だから希望があれば宿題をいっぱい出して○つけをしてあげる。
「これって、小学生の勉強法だよな」
と思いながら。
「空が青い」と言って怒る人はいない。単なる事実だから。私の発言は、ほとんどこのタイプ。単なる事実を語っているだけ。だから、賢い子たちはサイエンスとして聞いてくれる。
ところが、科学の言葉を感情の言葉で受け取る子も一部にいる。私の語る勉強法は、自分で試し、生徒で試し、実証したもの。それを語ると、
「オレはそう思わん!!」
と反発したり怒鳴る人がたまにいる。これを最初に知った時は驚いた。そして、そういう方に語るのは時間とエネルギーのムダだと知った。
「空が青いのはケシカラン!」
と言われても、そういう方に語る言葉はない。
イチゴ大福を最初に作った人には、マズイとかイカれているとか批判が集まったかもしれない。しかし、作った人はそんな批判は関心がなかった。売れるかどうかだけ。言葉など虚しい。現実が全てだ。
私もそうで、批判はどうでもよくて合格者数が上がるかどうか。事実のみが大切。ある指導法が有効という現実があれば、理解者・支持者は必ずいるのでそれでいいわけだ。
第十六章
「究極のワンパターン」
塾のホームページに十年一日の如く「同じことの繰り返し」との記入があった。そのとおりだから腹も立たないし、反論する気も起こらない。
今年はノーベル賞が2名という快挙だ。言うまでもないが、研究者は30年、40年と同じテーマの研究を続けて大発見につながったりする。学問だけではない。野球選手は10年、20年と野球をやり続ける。ピアニストはピアノを30年、40年と引き続ける。
私は塾講師だから、英語や数学の勉強だけでなく「勉強法」を20年、30年と研究し続ける。そうしないと、プロと呼べるレベルに達しないからだ。
塾には中学1年生から来てもらえる子が多い。来て何度か話をすると二極分化が激しいことに気づく。難関校に合格できるグループ(A)と、勉強に向いていないグループ(B)が既にできあがっている。
Aグループの子は、方程式の練習でも何周も繰り返す。しかし、Bグループの子は
「それ、まえ聞いた!」
とすぐに飽きてしまい、繰り返しの練習が出来ない。
「聞いたこと=マスターしたこと」
と勘違いしているわけだ。そんな生き方を10年以上繰り返してきたから、そう簡単に直せない。
たいていは、そのまま底辺校に進むことになる。「水戸黄門」はヒットした。見る前からストーリーは想像がつく。悪人が現れ、黄門様が最後に印籠を出してやっつける。
「究極のワンパターン」
がヒットの理由だ。コロコロ変わるものでは誰もついて来ない。
「あの人はプロだ」
と認知されるまでに、普通は10年以上かかる。つまり、最低10年くらいは究極のワンパターンを続けないとモノにならない。
こんな当たり前のことを、私は塾生の方にはあまり語らない。指導法やブログの記述には使うから、塾生の子は暗黙のうちに成功の秘訣を体感していくわけだ。
しかし、それはAグループの子の場合であって、Bグループの子たちは相変わらず
「それ聞いた!」
で、何も身につけないまま卒業していく。残念だけど、生まれてから10年以上かけて出来上がった基本的生活習慣を塾講師ごときが変えられると思う方がどうかしている。
イチローは振り子打法、山中教授はIPS細胞。誰にもできない技術や発見があるわけだ。そういうプロは、独立独歩。大村先生も言っていた。
「人のマネをしたら先に進めない」
私もそう思う。学校の示すカリキュラムどおりにやれば成功、受験で言えば合格できると考える子が多いけど、現実は違う。私の塾生や通信生も「学校離れ」したから来てくれた。
ささやかな独立独歩なのだ。人と同じことをやって、人より上に行けるわけがない。
自分の周囲を見回して観察して欲しい。私の塾生の子の多くは
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