余命3ヶ月の末期ガン。ガンは消えたけど◯◯は消えなかった話。
5.治療の選択
そんなこんなで入院して1ヶ月を過ぎた頃、胸膜に溜まっていた胸水もほとんど出なくなり、ホースを抜いて、さあ治療をしましょうか。という段階になった。
しかし、その時すでに体重は70キロを切っており、父親の背中までもが小さく見えた。
そして治療方針の面談。私の妻もオブザーブで入ってもらった。
この話を皮切りに、非常に長い時間面談が行われた。父が質問し主治医が答えるといった方式だった。そこで、転移状況から見て完治する見込みはほぼない事。
保険内の標準的な治療では抗がん剤以外の選択肢はない事。
この状況だと5年間の生存率は20%以下である事。(実際は半年と言いかけたが、我が妻がにらみを効かせて止めにかかった。)
抗ガン剤が合わなかった場合癌が大きくなるリスクもあり、より強い物を投与する事になる事。
イレッサという抗ガン剤が著効を示す場合もあるが、「アジア人、女性、非喫煙者、腺がん」という非常に狭い条件下での成功例がほとんどなので、条件の当てはまらない人間が使った場合「諸刃の剣」になりかねない事。
抗がん剤以外の治療もあるが、正直医療的に保険適用に成る程効果が認められている物は少なく、それを選んだ場合自費になる事なども話され次々と疑問は消えていった。
そんなこんなで長きに渡ったの面談の最後、父は主治医に核心を突いてきた。
最初は抗ガン剤に興味を持っていた父も、今の病状ではあまり効果が無さそうだと思うようになった。
辛い副作用が出る事もあるという、ぶっちゃけた説明により、一旦は抗ガン剤を即決せず数件セカンドオピニオンに行ったのち、方針を決めたいという事になった。
そしてセカンドオピニオン先の探索は・・・妻が引き受けてきた。そして我々夫妻はありとあらゆる治療方法の資料請求をしたり、現地に赴いて話を聞いたのであった。
山ほどある先進医療や民間療法。非常に興味深く試してもらいたいものばかり。
どれも良さそうに見える。
初めてこの「ガンビジネス」と向き合う事になった。しかしそこまでお金を出せるわけではない。
そこにうちの母がいい話を持ってきた。GOOD JOB マイマザーである。
ただ治る見込みはほぼ無いと言われた標準治療以外の治療が、医療保険特約のおかげで良心的価格でチャレンジ出来る事が、どれだけ素晴らしいか実感した瞬間だった。
約款と照らし合わせ、先進医療の範囲内で治療できる病院をネットで調べると、九州は鳥栖に重粒子線。指宿に陽子線による治療を行う医療機関が見つかる。
※放射線より強く癌細胞に対しピンポイントで照射できる治療。
そんな訳で先進医療という武器を手に入れた我々一家だった。電話越しではあったが、両親の喜びが伝わってきた。特に母のテンションの上がり方が凄かった。
早速私は鳥栖、妻は指宿へと問い合わせを行い、両病院とも一旦病院で治療可能か判断するための資料を送り、セカンドオピニオンの診察までの段取りをする事となった。
6.セカンドオピニオン
まず佐賀研は鳥栖市の国際重粒子がんセンターへ
結論から言うと治療不可だった。転移し広がっているガンの親玉だけピンポイント照射を行っても、また別の転移先から広がるので治療の意味がないと。家族で食い下がってみたものの結論は同じだった。
父は肩を落とした。母は必死になって励ました。一緒に笑顔で過ごせる日々を語りながら。でも母も強くはない。父が見ていない所で息を殺して泣いていた。
日を改め鹿児島県は指宿市のメディポリス国際陽子線治療センターへ
同じ結論を下されるのではないか。そう不安に思いながら治療センターの門を重い気持ちで叩いた。
父親も、鳥栖での事もあり覚悟していた。仮にこの治療を受けたとして、何も変化が起きず自分が早々に死亡した場合、治療後の生存率という実績に足を引っ張る。だからここでも断られるのではと、、
快く引き受けてくれて頂いた事に感激した。
「ありがとうございます。ありがとうございます。」と深々と頭をさげる父。今までにない希望に満ち溢れた顔だった。
※ご参考までに。今回母が掛けていたJA共済の月額は先進医療込みのおおよそ4,500円。先進医療は1,000万円まで補償。ただ保険外の費用もあるので実費で30万ほどかかると思って頂ければと思う。
ちなみに先進医療部分の掛け金は、通常の保険に特約で月額100〜200円程度の追加が相場である。また保険といっても種類によって値段が変わってくる。若いうちは安いが、年を重ね病気が増える年齢になるとぐんと値段が上がる。病気をすると加入できなくなったり、加入の条件が悪くなったりする。(保険屋さんではありません)
7.希望という名の架け橋
不可能だと言われていた治療を施術して頂ける。それがどれだけ心の支えになった事だろうか。
父から後々聞いた話であるが、さらに感銘を受けていたのは待合室だったようだ。
元々寡黙な父であるが、病気からの恐怖かほとんど口をきかなくなっていた。「俺は今後どうなるのだろう」という不安から明らかに強張っていた。そんな沈黙の待合室に天使が舞い降りていたのだった。
自己紹介から始まり、和む何気ない会話。寄り添い悩みを聞き、元気づけてくださるソーシャルワーカーの中村さん。時には病院までの裏道を地図で書いてくれたり、指宿の名温泉なども教えてもらえる。
人生の末期とさえ思ってた本人は、足湯から砂蒸し風呂、鹿児島の美味しいご飯まで紹介され、治療に来て良かった。通院以外でもまた遊びに指宿に行きたい。
そう思わせてくれるひと時を作ってもらっていたとのこと。しかも治療まで快諾だった。
つまり「生きること」への希望の架け橋をまた一つ頂いたのである。
8.LEXUS
自宅から指宿までは片道2時間半。父はどうしても自宅から通いたいと言い張る。もちろん運転はこのところ全て家族任せで一切やっていない。
しかも実家の車はゆうに20万キロを越した18年ものの車。母親に運転させるのも非常に申し訳ない。せめて父が運転してくれればいいのだが。
そうだ!運転の楽しさを思い出させるような車があればいいんだ!そう思うようになった。
それに治ったら昔のように母と2人で温泉に行ったりドライブしたいとあれほど言っていた。叶えたい。そして妻に言ってみた。
さすがにコレはバカだと言われるだろう。我々の家を買うために貯めているお金だ。結婚式さえもせずにコツコツと貯め、今のアパートから抜け出すため必死になって頑張った金だ。
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