ベッキー騒動と桝添問題の本質

著者: キョウダイ セブン

ベッキー騒動と桝添問題の本質

  2016年5月現在、連日タレントのベッキーさんの不倫騒動と桝添都知事の公費流用問題をマスコミが流し続けている。しかし、本質がまったく語られない。

  ベッキーさんの主演の代表作があるのだろうか。大ヒットがあるのだろうか。何も思い浮かばない。彼女の違約金が5億円と報じているが、毎月の給料が15万円程度の庶民が手にする3000倍の金額だ。

「なんで、あんな女優でも歌手でもないタレントが私の3000倍の金を・・・・・」

 と絶句してしまうわけだ。女優をめざしてマジメに努力して、演技力では彼女の上をいく若者にスポットライトが当たることはない。これは、あまりに不公平、不公正ではないか。歌手をめざしている若者についても同様だ。

  桝添さんは、どうだろう。国際政治学者という売り出しをしていたが、何度も結婚と離婚を繰り返すのは人としておかしいと感じる人が庶民だ。一般の国民の税金は、税務署ににらまれて厳しく徴収される。経費だと主張しても認められることはない。

  ところが、桝添さんは家族旅行でも、趣味の絵画でも、車でも、なんでも我々が納めた税金からジャブジャブ使いまくる。こんな人ではなく、もっとマジメに国民のことを考えている人は日本中にいくらもいる。なのに、そういう人にはスポットライトが当たることはなく、人でなしの人ばかりマスコミがチヤホヤする。

  私は塾講師として受験業界で生きているが、受験は公平だ。才能がある子、努力した子にスポットライトが当たる。商品販売でも同様だ。質の高い商品は支持されて、よく売れる。メーカーはその対価を受ける。つまり、儲かる。淘汰の法則が働くわけだ。

  ところが、芸能界や政界というのは淘汰が働かない。フジTVが視聴率三冠王として、この世の春を謳歌していた頃に、韓国ドラマを大量に流した。多くの視聴者や芸能人でさえ批判した。

  ところが、「嫌なら見るな!」といった反応。それで、連日、フジTVの周辺にデモが行われてもフジはその姿勢を変えなかった。その結果、視聴率三冠王を滑り落ちて、「嫌なら見るな?じゃ、見ない!」とソッポを向かれてしまっている。

  ベッキーの莫大な収入はどこからきているのか。それは、多くの視聴者あってのことだ。桝添さんの権力の源泉は、一般庶民の投票結果だ。金と権力があるからといって、やりたい放題をしたら一般の人は呆れかえる。

  女優としても、歌手としても二流の人間なのに、プロダクションがゴリ押しをすると億単位の金が入る。学者としても、人間としてもセコイ人間が、マスコミで顔を売ると巨大な権力を得て、人のお金を湯水のごとく使う。

  ネットが普及する前は、そういう芸能プロダクションと芸能人、政治家が情報を操作して権力や金を得ていたかもしれないが、もはやそれは過去の話なのだ。ベッキーも、プロダクションも、桝添さんも、何も分かっていない。

  いくら復活劇をもくろんでも、うまくいくはずがない。国民は、もはや傲慢のあまり国民の視点を失ったタレントや政治家を支持しないのだ。ベッキーに自分の3000倍の価値があると認める国民はいない。

  マジメに努力している実力派が報いられず、マスコミと結託したワルの三河屋さんがボロ儲けをするシステムに多くの国民はムカついているのだ。その理不尽な格差に憤りを覚えているのだ。

  だから、ベッキーさんも桝添さんも国民は決して許すことができない。たとえ、それが政敵の仕掛けたことだと分かっていても許すことができない。おそらく、引退か辞任になるまで騒動は続くだろう。

  小細工で何とかなると走り回って解決するような問題ではないのだ。

 

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