FtXTVが、人生を諦めるまで①

著者: Hamada Mai

私の中には、男性と女性の両方が棲んでいる。


私が自己の性を認識したのは18歳の頃だ。
とはいえ、小さい頃からそれらしき兆候はあった。
普通の女の子が興味を持つようなものには全く惹かれなかったし、
ごっこ遊びをするときは“戦う何か”の役を好み、
携帯可能な少し長い棒をいつも探していた。


日本で『性同一性障害』という単語が表出したのは、今から15年ほど前だったと思う。
当時テレビを賑わせたのはFtM、つまり、
女性として生を受けつつも心の性別は男性という人で、
私は「こんな障害が存在したのか」と驚き、
そしてごく自然に「私もこの人の仲間なのではないか」と思った。


ただ、この頃はそこまで深刻に考えていなかった。
何故なら、学校に行けば私と同じように、男っぽい女の子はたくさんいたからだ。


私が本格的に悩み始めたきっかけは、それから数年後。
同じように“男っぽい女の子”だった友人が、
テレビの男性と同じく、FtMTGだったことが判明してからだ。


混乱する私に、親は「友達に影響されすぎ。気にしない方がいい」と言った。
そして、そう言われた私も気にしないことにしていた。


中学高校と女子校に進んだことで、感覚が麻痺していたのかもしれない。
女子校はどんな子でもそこに存在する以上は等しく女子であるが、
男女共学であればほとんどの男子は男の子らしく、女子は女の子らしく在るはずだ。
だから、大学で男女共学に行けば、自然と“女の子”になるだろう。


親はきっとそう思っていたし、私も何の根拠もなくそう思っていた。


考えが甘かったのだ。
自分の中にほとんど存在しないものなど、出せるはずもない。


何も考えずに大学に進学した私は、
自分が世間一般の“女子”とはかなりかけ離れていることを知り、急速にこじらせることになった。
「自分は女子として欠陥品なのか」と悩んだり、
「いや、でも男に媚びる必要ないよな」と斜め上の発想に至ったりしながら、
事態は何ら快方へ向かうことなく月日が過ぎて行った。


数ヶ月おきに「これでいいんだ」「これじゃダメだ」という無限ループを繰り返す日々。


そんな中で自分を見つめ直すきっかけをくれたのは、
奇しくも私を思考の渦へと引きずりこんだ友人だった。
(※「引きずりこんだ」というのは言葉の綾であり、そこにマイナスの意図はありません。)

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