17才でバセドウ病になった女子高生は、25才になり、ついに放射線治療を受けることになった話。
関西の甲状腺専門病院へ転院
岩手・盛岡の旅から帰宅した私は、紹介状を書いていただいた専門病院へ転院しました。
徒歩5分の距離に南京町があったりして異国情緒ただよう街に病院はありました。
病院は新しくピカピカで、システムも現代文化あふれるもので、来ている目的を思わず忘れそうになっていました。
受付の後は、アイパッドのようなものを渡され、『二階へお越しください』とか『診察待ちあと3人です』とか。『お会計が完了いたしました』まで表示されます。
ご丁寧すぎるアイパッド様・・
もちろん大きな声で名前を呼ばれることもないのです。
順番が来ると、アイパッド様が『診察室にお入りください』と・・
こうして、2009年12月。甲状腺専門病院に転院し、その翌年2010年2月にはアイソトープ治療(放射線ヨード内用療法)を受けることになるのです。
アイソトープ治療って、何?!
バセドウ病は、「甲状腺ホルモン(代謝を促すホルモン)」が出すぎてしまう病気です。
投薬治療であまり効果が表れない場合、この「アイソトープ治療」が行われます。
「出すぎてしまってる」から「減らさないといけない」。
だけど「薬では抑えられなかった」ため「放射線で破壊(!)しましょう」というもの。
言葉は(破壊って。。)怖すぎますが、実際の治療は、「事前の検査により作ってもらったカプセルを飲むだけ」です。
10秒ほどで終了です!(水でカプセルを飲むだけ)
こうして「オーダーメイド・カプセル」が私の体内に取り込まれました。
痛くもかゆくもなく、さらに検査・診察・治療で昼食を食べそこねていたので、付き添ってくれてた父と南京町へ!!
この日(2月20日)は旧正月。南京町が大騒ぎ!
知らなかったのですが、この日は旧正月だったようです。
南京町を大きな龍が舞っていてびっくりしました。。
店に入ってご飯を食べていたのですが、入り口付近まで龍がのぞきにきてました!
そんな出来事により、思わず放射線治療のことなんか忘れていました。
が、甘かった。
結局、放射線は放射線だった。
みるみるうちに、めまいで混乱!
『さっさと帰ればよかった』と心底思ったものです。
(症状には個人差があります。)
なんとか帰宅、そしてその後。
電車を二回乗り換えて、なんとか無事帰宅。
瞬間、ベッドに吸い込まれるように眠りました。
治療後、2,3日は、「動かなくていいなら動きたくない」と強く感じていましたが、人間の体って不思議です。5日後には「何かしたい」と思うようになっており、10日後には飲食のバイトに復帰していました。
こんな感じで私の『放射線ヨード内用療法』は終わります。
医療の力ってすごいなーと思います。
この治療から、私のバセドウ病はびっくりするくらい快復していきました。
『何か始めたい』『今の自分にできることって何だろう??』
そんな、「社会での自身の役割」を模索し始めました。
次回!「貼り絵作家」として動きだします♪
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