大学生が22歳の時にたった3か月で500万円貯めて憧れのドイツ製最高級車BMW M3を買った話
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>これは友人JUNの語であり、JUNの言葉を僕(Makoto)が文字に起こしたものです。
【Makotoとの出会いは、3年ぶり。そして、運命はmixiから始まった】
きっかけはmixiだった。
大学3年21歳の秋に、当時友人間で流行っていたmixiにて高校の同級生と3年ぶりに偶然、再会した。
彼は高校時代部活が一緒だったMakotoである。
正直自分とはタイプが違うと思っていたが、当時の軟式テニス部を通して意外と仲が良かった。そんな彼だ。
とりあえず久々に飯でも行こうよーということで、
大学生らしく「ガスト」をチョイス。
お互い近況報告をしていると、
なんとこいつ推薦で入った大学を辞めて、よくわかんないITベンチャーで働いているという。
(彼は自分の仕事内容を説明していたが、正直当時の俺にはよくわかんなかった)
昔話に華が咲き、お互い車好きということで、
当時バイト代をはたいて買った「マジェスタ」で首都高ドライブ。
当時乗っていたクラウンマジェスタ
高校時代の同級生なんて懐かしかったな。
そんな感想を残して久々の再開は終わった。
秋も深まった頃、彼から久しぶりにメールが来た。
正直友人が起業ということにいまいち実感がわかなかったので、
「そうなんだ、すごいじゃん」
とありきたりな返信。その後
この「とりあえず」が彼の今日でも口癖である。
その日の深夜、ガストにて。
自分が言い出したら、なんでも即日なのも今日の彼の特徴である。
そう告げられ、正直半信半疑だったが、
「まぁ俺の出来る範囲なら」
と、とても曖昧で軽い返答をした。
正直、その時の彼の言葉には、自信の中にも明らかな不安があった。
そしてそれが俺にもわかったからだ。
【Makotoの怒涛のハイペースに飲み込まれる】
しかし、そこからの彼は早かった。
翌日夜には俺の自宅にパソコン一式を持ってあらわれたのだ。
「アフィリエイト」
という未知の言葉を聞き、高校時代と変わらず舌っ足らずな彼から夜通し業務内容を教わった。
当時のMakotoは自分のコンプレックスを直すとかで、歯科矯正の最中らしく滑舌の悪さにより拍車がかかっていた。
パソコンスキルといえば、キーボードを見ながら叩ける程度の俺、
とか、
これがこーで、あーでこうしてなんていうのを、
全て口頭で説明され、必死にメモしたのだった。
明け方帰っていく彼を見送り、少しの仮眠をとって大学へ行き、
家に帰ってくるとまた彼がやってくる。
そんな日々が1週間ほど続いた。
こいつ、一体いつ寝てるんだ?
そんな疑問をリアルに思っていた。
【明確な目標設定=レクサスのIS-Fを買う!】
怒涛に過ぎた週末日曜の午後、またMakotoがあらわれた。
デートの予定をキャンセルさせられて強引に車に載せられ、一言。
そんな質問だった。
ぶっちゃけ手伝うと言ったものの、具体的な報酬も決まってない中で何を言ってるんだこいつは
と思いつつも、ちょっと無理目で
「じゃあほしい車の頭金で100万!」
と言ってみると、
と言われた。
正直当時100万も稼げるなんて全く思っていなかったので、
どうせ無理な数字ならと
「じゃあレクサスのIS-Fの頭金300万!」
と言うだけ言ってみると、
という話になり、そのまま彼はレクサスのお店に電話して、IS-Fの試乗をすることとなった。
LEXUS IS-F
若い僕らを見て、少々戸惑い気味ながらも素晴らしい接客で1から10まで教えてくれるスタッフの方。
さすがレクサス!と思っていると横で作ったばかりの「代表取締役」の名刺を振りかざし、
と自信満々に言うMakoto。
ビッグマウスもほどほどにしろよと横でたじろぐ俺。
しかし単純さが最大の売りの俺は、実際にIS-Fを試乗させてもらって完全に彼のペースに乗せられてしまった。
「ひょっとしたら本当に買えるんじゃね?」
そんなことが脳裏に過ってしまった。
自分の単純さもそうだが、この頃のMakotoには鬼気迫る迫力みたいな物があった。
【Makotoが、アメとムチを使い分けとにかく負荷をかけてくる】
レクサスに行ってテンションが上がった俺だが、
仕事の方は成果に繋がる前の下積み段階が続いていた。
この日を境にMakotoからの仕事の量は飛躍的に増え、寝る時間を削るレベルに負荷をかけて行った。
言われた仕事量をこなすには時間をかけるだけでなく、
効率化を図らないとどうにもならない量で、この頃から
「どうしたら同じ仕事を早く終わらすことが出来るか?」
そんな事を中心に考えながら取り組むようになった。
この考え方は、その後就職してからとても役立っている。
1ヶ月もしてくると、当時膨大に感じていた作業にも慣れ、
徐々に作業時間が減ってくる。
日々の進捗連絡でそれを察していたMakotoはそのタイミングで、
作業量を増やしさらに負荷をかけてくる。
大学4年の暮れ、
理系とはいえ、だいぶ授業数も減った俺はこの頃から生活リズムが逆転し、
昼間の大学で睡眠を取り、帰宅後の彼との仕事がメインといった生活になった。
【RX-8とBMW】
2ヶ月目も後半に入り、だんだんと成果も伴ってきたのだが、
人間ダレるのである。
俺も例外ではなく、当時Makotoの仕事を手伝う前にやっていたカラオケバイトの月給を大きく上回り、
正直このペースで十分じゃないかとという甘えが出ていた。
著者の菱沼 真さんに人生相談を申込む
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