ヘタレ貧乏、起業する 第1話:終わり。
2006年、12月。
僕は6年間自身の夢としていた音楽の道を、自ら閉ざすことになる。
生まれて初めて人前で泣いた日。
いつも強がっていた自分が、恥ずかしさも感じる余裕すらなく、ぐしゃぐしゃになった日。
多分僕はあの日のことを忘れることはないだろう。
自分のことが、大嫌いになった日。
ヘタレ貧乏、起業する 第1話:終わり。
1999年、ノストラダムスの大予言ネタでメディアが賑わっていたが、
結局恐怖の大魔王が降臨することはなかった。
僕はそれより大分昔から週間少年マガジンでたまに連載していた
「MMR」という漫画を読んでいただので、とてもびくびくしていたのを覚えている。
(MMRというのは、ノストラダムスの大予言の真相・信憑性を探る、みたいなテーマの作品)
大魔王の出現にびくつきながらも、なんとなく心のどこかで
「出てきてくれないかなー」「本当に現れたら面白いな」というようなことを考えていた。
この頃くらいまで、僕はかなりのゲーマーだった。
ほとんどRPG(ロールプレイングゲーム)しかやらなかったので、
世界が破滅しても、生き残ることさえできれば自分もRPGのような勇者になれるかもしれない・・・
そうなれば、魔法も使えるようになったりするのでは・・・
もう18歳で物事の分別もつく人間が、そんなアホな妄想をしていた。
そういえば、それこそアホみたいにこのネタで視聴率を
取り合っていたテレビのことを今思い出すと、なんだか笑える。
終末論というのは本当に面白い。
海外はしかりだと思うが、基本的に神を信じない無神論者が多い日本人さえ、
こういう話題には誰もが食いつき、「ありえない」と言いながらも心の奥底では
「まさか、もしかしたら」と、僕と同じくびくついてた人はたくさんいただろう。
ただ、あれだけメディアに騒ぎたてられ、科学的な理由と
無理矢理結びつけられていた訳だから、そうなるのもムリはない。
人間の妄想というのは、想像する力よりも遥かに強いと僕は思っている。
想像はあくまで想像で終わることがほとんどだが、
それが妄想になると、時に人の精神を狂わせ、狂気に走らせる。
素晴らしい妄想も、狂気・盲信のレベルまで到達すると実現してしまうことが多々ある。
話しがそれてしまったが、そんな大予言ネタも大分落ち着いた
12月24日クリスマスイブ、僕は一度目の人生の転機、路上ライブというものをすることになる。
この頃には恐怖の大魔王ってのは、つまりは人間のことなんだと思うようになっていた。
そんな終わりネタや妄想と別れを告げて、僕は現実の世界で生まれて初めて夢というものを持つことになった。
それからしばらく、「夢」というものを勘違いして生きることになる。
つづく。
著者の結城 隆行さんに人生相談を申込む