石屋に18歳で修行に出て学んだこと(2)「石工になる切っ掛けと父親。」

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著者: SUSSIE LURE
石工なんてマイナーな仕事に僕がなろうと思ったのは簡単で、父親が“石工”だったから。
僕にとって父親の影響は大きい。

今のご時世(昔もか。。)父親を尊敬してるなんていう人はあまりいないと思うけど、僕は「父親を尊敬しています。」と普通に言える。
今でも尊敬している人と聞かれれば、親父ともう一人。

親父はマメで多趣味な人だった。
僕が親父から受けた影響は測りしれない。
釣りも、刃物の扱い方も、日曜大工も、動物や植物の育て方も、殺し方も、危険な遊びも。
全部親父が教えてくれた。
石工になろうと思った切っ掛け=親父の様になりたかった。親父と一緒に仕事をしたかった。

だと思う。

いや、でした。ですね。今は石屋じゃないので。

ファザコンのノリで、親父と幼少の時の話でも。
親父は昭和21年生まれの団塊世代。
16歳の時に集団就職で東京に出てきたそうだ。
集団就職で務めた工場(たしか、某車の会社)を3日で逃げ出し、いとこの嫁ぎ先の石屋に逃げ込みそのまま石屋として現在に至る。
68歳の今でもその会社で石工としてたまに現場に出て働いてます。
石屋ってちょっと変わってって、まず雨降りはお休み。
小学校の頃、朝起きて親父がいると(この時点で酒飲んでる)
ああ。雨なんだな。と思ってた。
他の家庭もそういうもんなんだと中学生の頃までずっと思ってたw
給料は月二回。
中日と月末にありました。必ずニコニコ現金払い。
(これは僕の務めた石屋でも同じだったので、なにかの風習?かも。)

お給料とは言わず、「お勘定」。
これも中学生くらいまで、他の家庭も同じだと思ったw

わーい!今日はお勘定日だから、帰ったらステーキだい!
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なんて学校で言って、みんなが????になってたのはいい思い出です。

高校から学校が嫌いで、早く仕事したくて仕方がなかった。
稼ぎたかった。
親父に近づきたかった。
親父になりたかった。
親父と一緒に仕事がしたかった。
思春期(?)だった僕はそんな思いは親父には言わず、
学校もそこそこにハローワークに通って勝手に石屋の門を叩いたのでした。


次回予告

石屋に18歳で修行に出て学んだこと(3)
「名前を呼んでもらえなかった。」

職人さん
あんちゃん!取って来い!
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石屋に18歳で修行に出て学んだこと(3) 「名前を呼んでもらえなかった。」