5年でハイリスク妊娠、中絶、離婚、再婚、出産を経験した私が伝えたい4つの事・前篇

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著者: m m

5.地域周産期医療センターへ


 14週。A医療センターへ。
 そこは、職場からは1時間くらいのところにある。
 朝9時に予約したので、午後から会社に行くつもりだったが、結局15時までかかってしまった。
 血液検査はT産婦人科で受けていたが、検査項目に不足があるとのことで、結局やり直しになってしまった。
 他にも、心電図をとったり、鎧みたいなものを着てレントゲンをとったりした。

 検査後、若い女の先生から、手術についての話を受ける。
 それから、出産後のこと……。

A医師
うちの病院では、一人の赤ちゃんしかNICUでお預かりできません。二人は別の病院のNICUに入ることになります。
えっ、受け入れ体制が整ったって聞いたんですが……。
A医師
それはお母さんの話です。これはどこの病院でも同じです。
……。
A医師
当院は緊急時の搬送先に指定されています。その時のためにNICUを空けておく必要があるんです。
編集
 頭ではわかるのだが、なんだか自分たちが後回しにされているようで、納得できなかった。
 県内でNICUがある病院は、ごく限られる。
 遠く離れた病院に母乳を届けなければいけない。
 もちろん、3人一緒に退院する可能性は低いだろうから、そしたら、退院した子の面倒を見ながら、母乳を届けなければいけない。
 休みがほとんどない夫を頼ることは、できない。
 私に、そんなことができるのだろうか。
 仕事は、続けられるのだろうか。
 私に、3つ子を育てることは、できるのだろうか……。
 初めて、私は自信を無くしかけていた。
 手術の日は、夫が休みを調整して、付き添ってくれることになった。
 その3日後、私はA医療センターに呼び出されることになる。
「明日病院に来ることはできますか? ご相談したいことがあります。」
 いやな予感がした。そしてそれは当たってしまった。

6.「うちでも受け入れられない」


 翌日の夕方、私は仕事を早退して、A医療センターに向かった。
 そして、検査の結果、A医療センターでも、私は受け入れ不可と、告げられた。

なぜですか? 3つ子でもそちらで出産できるって話だったじゃないですか!
A医師
あなたのケースは「一絨毛膜三羊膜品胎」です。非常に珍しいケースなんです。うちでは出産は出来かねます。
前の病院で双子って言われてたときは、二絨毛膜って言われたんですが……。
A医師
今のエコーでは限界があります。週数が進まないとわからないこともあります。
編集
 そういって、担当の先生はさらさらと紙に図を描いた。

 T先生は「品胎」という言葉を使わなかったため、ここで私は、3つ子のことを「品胎」と呼ぶことを初めて知った。
 余談だが、四つ子は要胎、五つ子は格胎というそうだ。なぜかはわからないけど。
 そしてWikipediaにも載っていないが、六つ子は「晶胎」らしい。
 T産婦人科では二卵性かも、という話も出ていたが、結局は一卵性だった。
 そして、私のケースでは、「品胎間輸血症候群」が起こる可能性もありうると。
 T先生から受けた説明を思い出した。当時は、関係がないと聞き流していたが…。
 治療法としては、レーザーで胎児の間をつなぐ血液を焼き、胎児の血液が偏るのを防ぐ必要がある。


 そういった手術が、A医療センターではできないとのことだった。

どこの病院であれば、そのレーザー手術ができるんですが?
A医師
H病院があります、県内で「唯一」のハイリスク妊婦専門の病院です。
えっ、さすがにそこは遠すぎる……。
A医師
そんなことを言っている状況ではないですよ! 子供のことを考えて!
編集
 考えてるよ!! 私はそう叫びたかった。
 考えてる、考えているけど……でも、こんなに選択肢がないなんて。
 その病院は、私の家から車で一時間以上、夫の実家からだと、逆方向なので二時間はかかるだろう。

7.元気な子どもが生まれる可能性は、ほぼゼロ


 H病院への転院を躊躇する私に対し、先生は、私がこれまで予想だにしていなかったことを口にした。
A医師
正直に言いますが……あなたが無事出産しても、普通のお母さんが授かれるような、大きくて元気な赤ちゃんを授かれる可能性は、ほぼゼロです。赤ちゃんたちには、何らかの障碍が残る可能性があります。
えっ、そんな……。
A医師
ですから、小児科も完備しているH病院をおすすめしているのです。
編集
 愚かなことに、私はそれまで、何の疑いもなく「元気な三つ子」を授かれるとばかり考えていた。
 だから、ベビーカーはどうしようとか、(双子用ベビーカー+抱っこ紐で考えていた)あと、名前はどうしようとか。
 自分の子どもが障がいを持つという可能性を、まったく考えていなかったのだ。
 混乱しながらも、私は小児科、というキーワードから、夫の友人のMさんに教えてもらった病院を思い出した。
 あの病院も、確か小児科がたくさんあったはず……。
夫の実家が、隣の県なんです。あちらには病院はないですか? うちの県より大きいし……。
編集
 食い下がる私。
 誰にも頼れない場所に行くぐらいなら、夫の実家のそばで出産したい……。
 先生は、その場で何か所か電話をかけてくれた。
 しかし、その病院、それから隣の県の県庁所在地にある医療センター、国立の権威ある大学病院……。
 すべて、受け入れを断られてしまった。
 H病院よりは近い県内の大学病院にも掛け合ってくれたけど、だめだった。
 絶望する私に、先生が尋ねる。
A医師
……どうしますか?
編集
 そのとき、私の脳裏に浮かんだのは、最悪の選択肢だった。
 でも、断られ続けることに、私はすっかり疲れてしまった。
 一人でも育てられるか不安なのに、3人も育てられる?
 しかも、3人とも障碍を持つ可能性があるのに、育てられる?
 幸せにしてあげられる自信はある?
 それなのに、私は産むの……?
 
心の声
まだ27歳じゃない。次はきっと単体の、元気な赤ちゃんを授かれるよ!
編集
 悪魔のささやきが聞こえる。
 でも、中絶すると、妊娠しづらくなるという話もある……。
 そのとき、私は、夫の結婚前の言葉を思い出した。
もし、俺たちが子どもを授かれなかったとしても、二人で楽しくやっていこう!
編集
 帰って夫と相談する……そう、先生に伝えて、私は病院を後にした。

8.三つ子に会いたい


 私は、そのまま、電車に乗って夫の職場に向かった。
 誰もいない家に、帰りたくなかった。
 今までになかったことなので、夫は驚いていたが、私のただならぬ様子を察知したのか、何も言わなかった。
 家に帰り、私は夫に、私はもう頑張れない、という話をした。
 夫は、私の話を黙って聞いていた。
 いつもは、「お前の好きなようにしたらいい」というスタンスの夫。
 しかし、その日は違っていた。

俺は、三つ子の顔がみたい。
……
週1ぐらいしかお見舞いに行けないし、お前にばかり苦労をかけて、自分は何も出来なくて申し訳ない。
……。
でも今、子どもを諦めると、俺たち二人は一生苦しむことになる。それより、俺は生きてみんなで苦労する道を選びたい!
……ありがとう……!
編集
 子供のために、休みを調整して検診に付き添ってくれた夫。
 仕事中に電話で様子を確認するなど、いつも気にかけてくれた夫。
 やっぱり、頑張って産もう。そう思った。
 翌日、私はA医療センターに足を運び、H病院への紹介状を書いてもらった。
 さらに次の日、H病院病院へ行くことにした。
 夫と義母が車で連れて行ってくれた。
 しかし、私はそこで、今度は医者から直接「中絶」を勧められることになる。

9.出産しても、死産でも学会もの



 H病院で私を診てくれたのは、初老の男性だった。
 名札には「周産期医療センター長」とある。偉い人のようだ。

H医師
当院では、一絨毛膜三羊膜品胎の強い疑いを持つケースを扱ったことはありません。
編集
 そう切り出す先生。
 県内最大の病院で初、つまりそれは、県内で初、ともいえる。
 出産しても、死産でも学会もの。
 先生はそう言って、プリントアウトした2つの資料を私に見せた。
「一絨毛膜品胎に発生した胎児間輸血症候群の一例」とあった。
 http://jsog-k.jp/journal/pdf/041020206.pdf
 それは、23週で一人目が亡くなり、緊急帝王切開になったけど、残り二人も助からなかった、というケースだった。
 もうひとつは、19週で二人が亡くなり、一人は生存したものの、重度の脳性麻痺が残った、というケースだった。(インターネットでは見つからず)
 彼女たちも、妊娠した当初は、元気な子供を抱けると考えていたのだろうか、私のように……。

先生、何か治療する方法はないのでしょうか?
H医師
とにかく安静にし、何事もない事を祈るしかありません
それだけ……!?
H医師
こども達の血液の量、羊水の量に差異が生じても、治療する手だても薬も何もありません。もし1人が亡くなったら、凝固した血液が、胎盤を通じて他の子に流れ込んでしまいます。とにかく、週数にもよりますが、何か異変があったら、もう外に出すしかありません。
編集
 週末に、禍根を残さないよう、もう一度話し合い、来週月曜日に結論を聞かせてほしい、出産するつもりなら入院の準備をしてきてほしい、とのことだった。
 そして、いったん帰ることになった。
 帰り際、
俺は、前に言った気持ちは、変わらないから
編集
 夫はそう言ってくれた。義母も、できる限り力になると言って私の手を握った。
 子どもたちは、15センチになっていた。
 日曜日、戌の日のお参りに行き、腹帯をもらってきた。
 話し合う必要など、ないと思っていた。

10.母体のリスク


 月曜日、入院の準備をして私は再度夫とH病院に行った。
 大部屋を希望したが、個室に通された。
 しかも、ナースステーションの隣。
 すぐそばに新生児室や分娩室があるため、携帯電話は一切禁止。そしてテレビもなかった。
 夫と私を待っていたのは、センター長を含む、5名の医師だった。
 そして、ついて早々に、また中絶の話。
 先週は、胎児の危険に関する話がメインだった。
 しかし、今度は「母体」に関する話だった。
 まず、私の腎臓の機能が悪化していること。腎炎を起こしていて、このまま進行すれば、最悪、腎不全に陥るケースもあるとの説明を受けた。
 また、子宮破裂し、子宮全摘出に至ったケースがあるとのこと。
 正直、27歳で、まだ一人も出産していないのに、子宮全摘出のリスクを負う決断は難しかった。
 そして、これから身体に3人分の重圧がかかることにより血栓ができる可能性の話も出た。
 もしその血栓が、肺に入った場合は…。

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