SNSもブログもまだない2002年に、PHSでメルマガを配信しながらマニュアル車で海岸線を日本一周した話
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2002/10/11 424km
2002/10/12 323km
割りと走ったつもりがやはり山道だと伸びないし、燃費も悪いわ~。
2002/09/08~14 走行距離 2698km
2002/09/15~21 走行距離 2171km
2002/09/22~28 走行距離 2163km
2002/09/29~05 走行距離 2290km
44L給油達成(涙。残り1L、、、寒かった。
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(4)読者からのお便りにお答えします(投稿があった場合のみ)
Q.現在、仕事についてますか?ついてなければ、旅の終了後になにかアテがあるのでしょうか?無い場合は、何をつかって探してますか?御教授いただければ幸いです。
A.新しい方からの質問です。ありがたいです。やや、予想外な質問ですが・・。
一言で言えば、無職です。プーです。実家も家業をやっていないので継ぐということもできませんし、アテもまったくありません。。。
でもそれは今回の旅はそもそもそういう状態を前提としているので、それを気にするのはナンセンスかとも思いまして。
質問の意図にもよるのですが、もし、再就職のことが気になって思い切ったことができないのであれば、最近読んだ本に、タリーズコーヒー社長の書いた、「すべては一杯のコーヒーから」という本があるのですが、その中で「7000万円の借金をして銀座に1号店をオープンさせるとき、近くのコンビニに走って自給を確認して、ウン十年働けば死ぬまでには返せることを確認した、」というエピソードがのってました。
自分もコンビニくらいでは働かせてもらえると思っているので、餓死することはないと思っています(笑。7000万借金する度胸はさすがにありませんが。綺麗な道が明日以降も保証されていればそれはそれは安心ですが、中々それではより大きなカベに挑めない、という話はバックナンバーでちょっと触れています。
もっと具体的な話では、近頃で言えば、転職、というキーワードでインターネット検索すれば、死ぬほどヒットすると思いますし・・・。どうとでもなるかと思います。利用するかどうかは別問題ですけどね。
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(6)今日もどこかで、つぶやきを
大体、朝、走る前に今日の道路を確認する。ある点を始点にたどっていき、元の場所に戻る道路というのも結構ある。それがしょぼかったりするとパスしたくもなるのだが、もし、こうして「無駄だなぁ」と思う道を、どんどんはしょっていくと、最後には東京から出ることがなくなってしまうことになる(東京から出て東京に戻るので)
無駄なことを省く、それが合理化なのだが、どこまでが無駄でどこからが無駄ではないのだろうか。見方次第で、全て無駄にもなるし、意味があるともいえる。
人間、生まれてから何かしら、「無駄」か「そうでない」ことをして、結局最初の場所に戻る(死ぬ)だったら、「これは意味がなさそうだ」と思って及び腰になるのではなく、まずはやってみる、という姿勢がやはり大事だと思う。年をとればなおさら。
自分はかなり計画魔なところがあるので、立てた計画にないことを「無駄」と思ってしまい、つい手を出さない傾向があるので、100の計画に20の無理・無駄を加えるぐらいでいけたらいいな、と感じている。
ココマデ--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
寝食以外は、毎日走るか、何か書くか、くらいしかやることがなかったので、好きなことをここぞとばかり書きまくってた。HTMLメールにしてもよかったかが、当時はHTMLメールはウイルスをばらまく「悪」だった(苦笑)なので没に。
各地のおもしろ看板やご当地食べ物情報を発信し続けた。いや、、、わかめって、、、
「けさい」、って!?
最北端の食堂なんて、普通、東京からマイカーでいきません。
いきなり崖とかなんでしょうか・・・・
一度いくべし鳥取砂丘
いや、、、だから、柵とか、ないんですか・・・
もはや意味不明の次元ではない
一番辛かったことは、自分との戦い
誰しも、日々、何かルールに管理されて動いている。月曜が来たら会社か学校へ行くし、時間が来たらご飯を食べて眠る。テストや評価面談のタイミングはあるし、進級や異動もある。
つまり我々は普段、お腹が空いてなくても時間がきたらご飯を食べ、眠くても眠らない、見えないなにかに縛られて生きているのだ。
しかし、毎日が完全に自由で「完走する」というゴールだけが決められた中にいると、例えば好きなときに好きなだけ走り、食べて、寝ることができるがゆえに自分で「ペース」をつくらなければならず、自分で自分を管理する必要がある。
それゆえに一番意識したのは自分との対話。わかりやすく言えば体調と精神状態の管理。
体のおかしいところはないか常に意識し、無理せず、またバランスよく食べて眠る。また、毎日誰とも話さずに走る場合もあるので、気持ちが塞ぎこんでいないか、もう一人の自分がチェックする。
実際には旅の先々で知り合いやメルマガの読者との出会いがあり、幸い病気にもかからず危機的な状況にはならなかったのだが、ここで培われたセルフコントロール力は、あったと思う。
夜、道に迷って小道でクルマをぶつけてしまったり、タイミングよく銭湯がなく頭のかゆみに悩まされたり、トラブルもなくはなかったが、健康であればこそ、大した問題にはならなかった。
唯一、サイドに痛恨の接触ダメージ
北海道は9月でも10度以下だったので、クルマで寝て起きたとき凍死してないか、不安になったことはあったが(苦笑)
こんなところで寝泊まりしたり。
あとはPHSなんて、全然つながらない時代だったのでそこもドコモのムーバだったらかなりストレスは軽減されたかもしれなかったが、それも含めての旅だったのでよしとしよう。
そして、さすが日本の技術。車自体のトラブルには全然悩まされず、ホンダサマサマだった。
結局、日本を一周して、自分は見つかったのか、何が見えたのか
まだ暑かった9月上旬に出発し、長袖が欲しくなる10月下旬に、郵便物がポストにあふれる自宅に無事に帰京した。平日だというのに何人か、ゴールのお祝いにきてくれていたのは嬉しかったのを思い出す。
ハチミツとクローバーという漫画で、自分を探すためにチャリで旅をするエピソードがある。
見えない未来への恐怖を克服するためにひた走る、あれだ。誰しも、こういう気持ちになる瞬間はあるのではないだろうか。
結論から言うと、あれから12年経ったが、やはり何かつかめたという感覚はない
それでも、きっと今ではもうやらない、やれないことをできたことは、若いのもあったろうけど、自分の人生における1ページとして非常に価値があったと思っているし、この後にライブドアで働くときにもここでの経験は生きたと思っている。
福岡で知り合った走り屋のみなさん。行く先々で面白がられたり、応援されたりした。
また、完走後、メルマガの(会ったこともない)読者から「面白かったのでカンパしたい」という申出があったり、行く先々で泊めてくれた人が何人かいたり、その中で誰かの人生の刺激になったのなら、それは嬉しい事だし、「日本ってこんなサイズなんだな」という実感値を持てたことも大きかった。
同時に、東京で見知ったことなんて、ほんの一部分に過ぎず、もっともっとたくさんのことが、各地にはあると知った。東京の常識、地方の非常識。世界は広い。
「今、できないと思っていることは、本当にできないことなのか?」
単に、自分でできないと思い込んでいないか?コップに入れられて見えない天井を作られたノミは、コップを外されてもそれ以上、ジャンプしなくなるという。
若者よ、見えない天井をはずして、生きていこうではないか。
#その後は、いろいろな会社を経験して、今は日本一周へ旅立つ前にいた会社に再び戻っています。人生、何があるかわかりませんね。
※次回は、同じことをやっても面白く無いので、スーパーカーで全国道制覇くらいはやりたいものである(スポンサー募集!)
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