パテ・クルート世界選手権2019決勝で日本を拠点とする日本人のシェフ”が初優勝! ~本場フランスの審査員達を唸らせた!~ 優勝作品誕生まで苦節5年悔しさを糧に手にした快挙の軌跡
2019年12月、フランス リヨンで行われた「パテ・クルート世界選手権2019決勝」において、セルリアンタワー東急ホテルのシェフ、塚本治(タワーズレストラン「クーカーニョ」所属)が優勝いたしました。
塚本は日本シャルキュトリ協会主催のアジア大会で代表となり、2度目の世界大会への挑戦でついに優勝することができました。フランスの伝統料理「パテ・クルート」をテーマにした同大会は、毎回同国の料理界を代表する審査委員が名を連ね、世界中の名シェフも選手としてエントリーするハイレベルなコンペティションとして知られています。
日頃、フランスとは異なる気候風土である日本で従事しているシェフが、フランスの地でフランス人の心とも呼ばれる題材「パテ・クルート」で優勝したことは、現地を大いにざわつかせ「驚くべき結果」としてフランスのメディアでも報道されました。
ここでは塚本がパテ・クルートに魅了され、世界の舞台で優勝を獲得するまでの5年間にわたる軌跡を紹介いたします。
【料理人を目指したきっかけとシャルキュトリとの出会い】
塚本は幼少期より、音楽や美術が好きで、何か表現する仕事に就きたいと考えていました。進路決定を間近に控えたある日の事、弟が自分の作った料理を笑顔で食べる姿を見て熱い想いが沸き上がってきました。「これだ!」。将来に繋がる道筋への点と点が繋がった瞬間でした。「料理の世界で人を魅了する作品を制作してみたい」と調理師の専門学校へ進学を決めました。
東急ホテルズに入社し、セルリアンタワー東急ホテルに配属後は総料理長の福田順彦に師事。ブッチャー(食材を下処理する専門部門)やオールデーダイニングや宴会部門の調理を司るメインキッチンなど様々なセクションでの業務に打ち込みました。その中でパテ・クルートの制作に携わるようになり、シャルキュティエ(※1)の分野を極めてみたいと思うようになりました。
上司の福田はフランス料理人育成のために活動している「日本エスコフィエ協会」の会長を務めており、フランスの食文化に貢献したことが認められ、フランス共和国政府より「農事功労章-オフィシエ」も受章している人物です。当然その目と舌は厳しいものがありました。パテ・クルートは材料、段取り、型詰め、火入れなど全ての行程で細部に渡るスキルが求められ、全体のバランスがとても大切な料理です。福田は一寸でも調和を欠いた作品をすぐに見抜き、完璧でないものは認めてくれませんでした。「悔しい、何で自分は上手く作れないんだ。早く認めてもらえるようになりたい。」師の“厳しい激励”が塚本の成長の糧となりました。
※1)シャルキュトリ~食肉加工品全般の総称~を扱う専門家でパテ・クルートもこれに当てはまる。
【背中を押してくれた先輩の存在 己との闘い】
もう一人、塚本にとって無二の存在であったのは、先輩シェフの武智です。2人は一時期、有名コンテストの上位を常に競い、仕事でもコンクールでも互いに刺激し合う同志でした。武智の存在なくして現在の塚本は語れない、互いに向上心をもって、影響を与え合った仲間でした。そのような中、2015年に武智が世界的に権威のある「ル・テタンジェ国際料理賞コンクール・ジャポン」で優勝。ストイックにこのコンクールに取り組む先輩が勝ち取った栄光を目の前にしました。塚本も自分のことのように嬉しかったと同時に、自分もいつか武智のように世界の舞台で闘ってみたいと決意を新たにしました。
日本シャルキュトリ協会が「パテ・クルート世界選手権アジア大会」を開催することを知り、即志願。初年度で準優勝を果たし、次年も準優勝を受賞。連続準優勝という好成績でしたが、何か不完全燃焼でした。「頂点に立つために自分の課題は何か、何が足りないのか。」その答えを自問自答し続け、何度も作っては失敗を繰り返し、もがき苦しんだ時期でした。
満を持して望んだ第3回アジア大会。順調に優勝を獲得し世界大会へ進出しました。結果は審査員特別賞。世界のレベルを前に力不足を痛感しました。その時「アウェイのフランスで勝つためには今までとは全く違うアプローチでパテを完成させなければならない。」「次は必ずフランス人審査員が思わず唸るくらいの作品を作ってやる!」と決意。しかし再戦を目指した翌年のアジア大会は塚本にとっては思いもよらぬものでした。結果はまさかの予選敗退。過去の優勝者でも本戦にさえ進めない厳しい現実。今振り返ればこの時は作品そのものに成長がありませんでした。「これでは世界制覇なんて夢でしかない。気持ちばかり先走ってはだめだ。もっと基本を見直し、研究を重ね、技術向上しなくては。」
【現地の状況を徹底分析。その結果訪れた優勝】
アジア大会予選敗退を乗り越え次年もエントリー。今回はアジア大会を再び制することができ、世界への切符を手に入れることができました。いよいよ世界大会。もう一歩先を極める課題は何か?
「フランス人が大切にしてきた伝統料理を競う大会だからこそ、フランス人(大会審査員)が、現地で食べて、非の打ちどころがない、誰もが美味しいと思うパテを作ること」を第一に考えることが前回の反省点でした。そこでレシピと行程を全て練り直すことにしました。日本とフランスでは普段使っている食材、環境において大きな違いがあるため、現地の食材、気候、湿度、現地の調理環境の違いを徹底分析。素材選び、配合、味、食感、焼き方、その全てにおいて日本との相違点を洗い出し、特徴を活かす方法、課題をひとつずつクリアしていくことにしました。
食材は基本リヨンの市場で現地調達。仕込み時に全体のバランス整えるために気を付けたのは塩分を1.4%にしに調整いたしました。(日本だと1.2%)。塩分濃度を上げることにより、食材の持ち味と旨味を最大限に引き出す効果を狙いました。結果は大成功。絶妙なインパクトと深みのあるパテに仕上がりました。そしてもう一つ、前回の失敗を活かしたのは、コンベクションオーブンの使い方です。日本とフランスでは電圧が違い、且つ湿度も全く異なるため、日本のやり方で設定するとパテは焼けすぎてしまいます。そこでひたすらオーブン内に座り込みパテの状態を確認しながら、風量を手動で微調整し使用し焼き上げていきました。1本焼くために要する時間は1時間。予備も含めて5本のパテを仕込んだので計5時間。そしてパテ・クルート取り出した瞬間「これで勝てる!」そう確信しました。
大会当日、相当手強い選手が名を連ねていました。正直多くの方が日本の選手が優勝するのは難しいと思っていたかもしれません。しかし2年前とは違い「やれることはやった」という晴れやかな気分でした。会場に持ち込んだパテを切り立ての最も美味しい状態で審査員に届けるべく、開梱からサーブ迄の時間配分も想定。準備されていたお皿が小さく急遽盛り方を工夫するなど想定外のこともクリア。日々の仕事で培った臨機応変さがここで活きました。後は審査員の真剣な表情が笑顔に変わった時が真の答え。そしてチャンピンとして呼ばれた瞬間、会場は驚きに満ちたどよめきにあふれました。塚本はその瞬間、日本の仲間達の顔が走馬灯のように浮かんで涙が止まりませんでした。
【そして次のステージへ】
世界大会で優勝すること一点を見つめ、シャルキュティエとしての道を究めるべく日々邁進していた塚本ですが、世界大会の前年、現場の料理人を取りまとめるシェフ(管理職)に志願し昇格いたしました。世界大会のその先を見据えて、料理人としてより総合力を磨いていきたいという気持ちからでした。現在は共に頑張ってきた武智と共に「クーカーニョ」の調理部門を守る立場として奮闘しております。今後は後輩の育成に全力を注いでいきたいと考えています。
「フランスではシャルキュティエは専門職なんです。この技術を究めたいとは思っていますが私はあくまでもキュイジニエ(料理人)として、パテ・クルートを追求していきたい。この考えにブレはありません。」その理由は何か?「料理を提供する者としてレストランで時空間を楽しみながらお客様を笑顔にする料理人でいたいからです。かつて弟が自分の料理を笑顔で食べてくれたように。」
これからは自分の経験や考え方が少しでも“日本で料理人を目指す後輩”の勇気の源となればよいと考えています。「いままでは自分が走り、周りのみんなが導いてくれた。これからは自分が伴走側に回り強いチームを結成し、何よりお客様の心を豊かに彩るレストランにしていきたい。」
塚本の夢は、次のステージへと向かっています。
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