乾電池から住宅まで、暮らしのお困りごとに寄り添う電器専門店と共に歩み、満足をお届けしたい。「創業60周年。感謝と挑戦を胸に」共存共栄編(2)
パナソニック ホームズは2023年、創業60周年を迎えました。多彩な事業展開、挑戦を続ける中で、大きな柱と位置付けているのが、電器専門店などのビジネスパートナーの存在です。創業者松下幸之助が大切にした「共存共栄」をテーマに第2号目をお届けします。
1977年、パナソニック ホームズは、パナソニックショップ(電器専門店)に向けて、店の販売スペースがより広くとれるよう重量鉄骨の店舗付き住宅を開発しました。一方で、電器専門店は地域のネットワークを生かしてパナソニック ホームズの住宅を販売するというように、これまで互いに手をたずさえながら「共存共栄」の関係を築いてきました。今回は東京都、兵庫県の2つの電器専門店に地域に根差した取り組みと、1979年に建築いただき、今なお現役の電器専門店の建物をご紹介します。
地域の人に「トーシンさん」と呼ばれる関係に
東京都足立区南花畑に立地するパナソニックショップ(電器専門店)「パナリブVividトーシン 東伸電器販売有限会社」様(以下、「トーシン」敬称略)が開店したのは1975年、今から48年前にさかのぼります。以来、創業者である浅川 義男さんは、「遠くのお客さんよりも近くのお客さんを大切に」の考えに徹し、商売を続けてきました。その想いを、長男で店長の浅川 敬一郎さんが代弁します。「たまに買いに来る遠くのお客さんから大きな額の注文があると、ついついそちらに目が向いてしまい、近くのお客さんの”忙しそうだからいつでもいいよ”の言葉をうのみにして後回しにしてしまいがちです。でも父は、どんなに忙しくても、ふだん支えていただいている近くの人には即日対応することを徹底していました」。
そうするうちに地域の住民から家の中のあらゆる困りごとについて相談が寄せられるようになりました。電気まわりのことだけでなく、家にまつわるあらゆる工事のスキルを身につけ、水もれやガス給湯器の不具合などがあってもすぐに駆け付けて修理、交換対応を行ったことで、地域の人たちから「トーシンさん」と呼ばれ、頼られるようになっていきます。
左:家族の絆で心のこもった経営をされる浅川さんご一家 右:社長の浅川 義男さん
自ら建てた3世帯住宅をモデルハウス代わりに
その頃、のどかな住宅地だった南花畑地区に大きな変化をもたらす計画が持ち上がります。秋葉原と筑波研究学園都市を結ぶ鉄道路線、つくばエクスプレスの開通です。南花畑地区から徒歩5分の所に新駅(六町駅)が設置されることになり、駅周辺のエリア一帯は再開発の網にかかることになりました。
その後20年近くを要することになる再開発の中でも「トーシン」の立地する南花畑1丁目エリアは早期に事業計画が決まりました。浅川さんは、換地で取得した土地に、購入した隣接地を加え、広くなった約100坪の敷地に、既存の木造住宅から店舗併用住宅へ建て替えることにしました。
「パナソニックグループには商売でお世話になってきましたし、建て替えるならパナソニック ホームズでと考えていました」と浅川さん。そして、周辺の再開発が本格化することを見据え、建てた住宅をモデルハウス代わりに、住宅販売も手がけていこうと考えました。土地の価値を有効に活用できるパナソニック ホームズの重量鉄骨住宅「ソルビオス」(現行商品ビューノの前身モデル)で建築することで、1階部分の店舗は広々とした柱のないスペースとなり、より多くの商品を陳列でき、店に入ればすべての商品を見渡すことが可能です。上階部分は住居とし、2階は浅川さん世帯、3階には弟の賢二さん世帯、4階にはご両親の世帯が住む、3世帯住宅が完成しました。
重量鉄骨造「ソルビオス」で建築いただいた4階建て店舗併用住宅
日々の積み重ねの延長線上にある住宅販売
住宅販売を手がけるにあたって浅川さんは地域のお客様とのつながりを最大限に生かそうと考えました。「当店を通してパナソニック ホームズの家を建築いただければ、家の中のこまごました作業の依頼にもすぐに対応しますということをアピールしました」。そして、再開発が進むエリアで日頃お付き合いのあるお客様を訪問し、「建てるときはぜひうちで」と声をかけていきました。興味を持っていただいたお客様に対しては、モデルハウス代わりの自宅を案内し、音の静粛性や冬の温かさ、夏の涼しさを実感してもらいました。さらに、パナソニック ホームズの茨城県内にあるつくば工場の工場見学会をご案内し、工業化住宅のメリットについても理解をしてもらいました。
あるお客様のお宅に浅川さんが修理対応で訪ねた時、お客様から他の住宅メーカーで家を建てることを決めたという話を聞きました。同様の仕様であれば同程度の価格でパナソニック ホームズで建てることができ、かつその後の対応も責任を持って迅速に対応することを伝えると、その場で一度は決めた住宅メーカーに「考え直したい」と電話を入れてくれたそうです。その後、工場見学で住宅の品質に納得され、パナソニック ホームズで建築いただくことになりました。「購入された後も、トーシンさんのところで買ってよかったと喜んでいただいています」。
「百円、千円単位の仕事を日々積み重ねるなかで、お客様のお宅のすみからすみまでを知り尽くしている」という浅川さん。「あまり他人には入られたくない寝室や散らかった状態のお部屋にも入れさせていただいています。共働きのお宅の場合、昼間はお留守なので、鍵の置き場所を教えてもらい勝手に入って直しておいて、と言われることもあります」とお客様からの絶大な信頼の高さを物語るエピソードは事欠きません。「だからこそ逆に絶対にミスは許されません。悪い評判はすぐに広がるので、常に緊張感を持って仕事をしています。だからこそパナソニック ホームズにも絶対にミスはしないでほしいということをしっかりお伝えしています」とくぎを刺すことも忘れない浅川さん。こうした普段の積み重ねが、一生で最大の買い物でもある住宅の販売にもつながっていくのです。「トーシン」を通じてパナソニック ホームズの住宅を建築いただいた世帯はこの20年で約20棟にのぼります。
変わりゆく街とともに、新しい関係性を築く
周辺ではおおよそ区画整理が終わり、今までのようなペースで新築住宅が建つことはなくなっていますが、周辺には新しく大学が進出し、新興住宅地として若い世代の人口が増えつつあります。「周囲には築年数が経過した住宅も多くあります。若い世代の新しいお客様も増えているので、そうしたお客様ともしっかり関係を築いていき、将来につなげていきたいと考えています」。
浅川さんは「トーシン」に入社する前、パナソニックショップ(旧・ナショナルショップ)の後継者を育成する人材養成学校、松下幸之助商学院で学んでいます。「6時前に太鼓で起こされ、マラソンを3㎞走って、1時間正座した後に授業を受けるという日々が1年近く弱続きましたが、厳しい試練を一緒に乗り越えた仲間たちとは今も支え、支えられており、かけがえのない仲間を得ることができました。お互いに励まし合える存在がいることは張り合いにもなりますし、本当にありがたいことです」と話します。
浅川さんと松下幸之助商学院で同期生だった𠮷川 真司さん(Area Proよしかわ代表取締役)
思いが高じてナショナルショップに
その浅川さんと松下幸之助商学院で同期生として一緒に学んだ仲間が、神戸市須磨区にあるパナソニックショップ「Area Proよしかわ」様(以下、敬称略)を営む㈱𠮷川電機社長の𠮷川 真司さんです。「Area Proよしかわ」は、元々燃料店を営んでいた真司さんの祖父が1962年に大手家電メーカーの商品を扱う電器店を新事業として始め、父で現会長の𠮷川 成之さんがその運営を任されることとなりました。
電気のことを全く知らなかったという成之さんは当初苦労が絶えなかったと言いますが、事業が軌道に乗ってくると、元々ナショナル商品(現パナソニック)のファンだったことから、新たにナショナル商品を取り扱いたいと考えるようになりました。「数年をかけて少しずつ実績を積み上げながら、ようやくナショナルショップとしてのお墨付きが得られました」と言います。「当時は、ナショナルというだけで商品が面白いように売れました」と、成之さんは1970年代の頃の様子を振り返ります。
会長の𠮷川 成之さん
阪神・淡路大震災を契機に深まったパナソニック ホームズとの関係性
成之さんの長男、真司さんは高校を卒業後、松下幸之助商学院で学び、同学院の他店留学制度を活用し、2年間京都にある他のナショナルショップで修業しました。そこで働き始めて1年目の1995年1月、阪神・淡路大震災の大きな揺れが神戸の店舗を襲いました。当時、木造2階建ての店舗スペース(1階部分)には隣接する住居の2階部分が倒れ込んできましたが、2階に住んでいた祖父母は無事でした。近くに住む成之さん夫婦の無事もすぐに確認できました。
震災直後、店長の渡辺 英治さんは自宅のある神戸市垂水区から歩いて店舗へと向かった時のことを振り返り、「新しい家、プレハブ住宅は残り、文化住宅は全壊していました。生き埋めになっている方もいらっしゃいました。だからこそ余計に、このエリアでは地震に強い家、という言葉は響くのです」。現在、「Area Pro よしかわ」を担当するパナソニック ホームズ 近畿支社営業担当の竹原 利浩は、当社の住宅オーナー様のご自宅に水をもって回っていたといいます。
真司さんは震災発生から1週間後にようやく勤務先に休みをもらい、地上交通が麻痺していたため船を使って海側から須磨のお店へと向かいました。周辺の建物は将棋倒しで、「Area Proよしかわ」の店舗兼住居は全壊状態、かろうじて店の外にあった電池の自販機だけが無事でした。その電池は近所の人に無償で配ったと言います。「ナショナルの店舗担当の方が来て店の片づけをしてくださり、私たち店員がお客様のサポートに専念できるようにしてくださいました。壊れたナショナルの看板も新しく作り変えてくださったのはありがたかったですね」。
左)渡辺 英治店長 右)営業 竹原 利浩
「お客さんのためになることを率先して取り組む」
真司さんはその後、京都の店での勤務を終え、1996年4月、21歳の時に再建された神戸の店に戻り、働き始めます。成之さんが大切にしてきたのは「お客さんの利益を考えること」と言い、「お客さんがニコニコ笑顔で喜んでくれれば、おのずと店の利益も出るということを肌で実感してきました」と語ります。そして、息子の真司さんも「お客さんのためになることを率先してやってきました」と言います。
自ら電気工事もできる真司さんは、成之さんの時とは異なる新しいお客様との取引を増やし、それぞれのお客様のお宅の困りごとを解決することで信頼関係を築いていきます。ある時、冷蔵庫を納品しに行ったところ、食器棚を処分できないかと相談を受けました。話を聞いていくとそのお客様は生前整理をされたいとの意向を持っていました。ただ、家具などを処分するには許可が必要だったため、しばらく対応できずにいました。さらに、相談は、生前整理だけでなく、その後の自宅の処分、土地活用、そして住宅を建てる話へと及んでいきました。そこで、真司さんはパナソニック ホームズの営業担当者と連絡を取り、遺品整理業者を紹介してもらい、土地活用の問題についてもパナソニック ホームズにつなぐことで解決の道筋をつけていきました。
「パナソニック ホームズとの関係が深まっていきはしましたが、私からお客様に対して、家を建てませんか、という問いかけをすることはありません。あくまでも家電販売を入口に、そこから持ち込まれる相談については、机ひとつからでも整理業者を紹介し、さらに家の解体や処分、それに伴って生じる税金の問題など派生して生じる一つひとつの課題に丁寧に寄り添うように努めています」。そしてその姿勢がお客様のさらなる信頼を呼び、ひいてはパナソニック ホームズとの関係強化にもつながっています。
一方で成之さんは、震災以前に店の横に購入した土地を活用すべく、2015年、パナソニック ホームズの軽量鉄骨造「フィカーサ」で賃貸住宅を建てました。そして、そのタイミングで社長を真司さんに譲りました。電器専門店に加え、賃貸住宅で収益を得ることで事業基盤がさらに強化された「Area Proよしかわ」。真司さんは、これからも背伸びすることなく、パナソニックグループとともに地域に密着した商売に徹しようとしています。
左から研修生の山本 駿さん、𠮷川 成之会長、𠮷川 真司社長、渡辺 英治店長
Area Proよしかわ様が経営される賃貸住宅(神戸市)
【重量鉄骨造多層階住宅の今昔物語】お客様の持つ敷地の価値を有効に生かせる商品へと発展。電器専門店の店舗付き住宅からスタート
パナソニック ホームズの3階建て住宅の歴史は、実は電器専門店(ナショナルショップ、現パナソニックショップ)の店舗付き住宅から始まりました。長年、多層階住宅の商品開発に携わり、商品の進化を推進してきた梅山 勝敏(現 営業推進部 情報館東部センター)とともに商品開発の歴史を振り返ります。
「スリーF」の外壁は工場で生産。壁のつなぎ目がその名残を示していると解説する梅山 勝敏
第一弾として1977年に発売したのが「スリーF」。その名の通り3つのフロア(3階建て)という意味が込められています。当時、当社の住宅商品は、2階建て軽量鉄骨であったため、仮に1階に店舗を設けると住宅の面積が不足してしまいます。そこで、3階建てにすることでスペース不足を解消しました。また、店舗としてできるだけ柱を店舗内に設けず、広い空間を確保できるよう、重量鉄骨造を採用しました。当時は、ナショナルショップの建て替えをターゲットとしており、大阪で商品開発を行っていました。
その後、そこで開発された技術がさらに住宅商品に生かされるという好循環を生み出し、工業化住宅として完成度を高めていきます。一方、重量鉄骨造の商品はその構造特性を活かして、住宅市場からビル市場へと移行。工業化中層ビルとして、より大きな柱と梁を使い、対応階数も増やした商品「パナグランデ」(1991年)へと進化します。そして、新たな都市市場(特に防火地域)に参入すべく、3階建て住宅として1996年に発売されたのが、「ソルビオス3」です。今回のご紹介した「パナリブVividトーシン」様が建てられた建物は、2000年に発売されたソルビオスシリーズの4階建て商品「ソルビオス4U」です。
パナグランデで建築された事務所ビル
2011年、重量鉄骨造の商品は「ビューノ(Vieuno)」としてさらに進化。「ビューノ」は、狭小な都市の敷地でも柔軟な設計を可能にすべくモジュール(基本寸法)を最小化し、初期モデル「スリーF」の450モジュール(45センチピッチ)から段階的に150モジュール(15センチピッチ)へと進化を遂げました。また、敷地を有効活用できるよう対応階数を伸ばし、2014年には「ビューノ7」(7階建て)、2016年には「ビューノ9」(9階建て)へと進化しています。こうした商品特性が評価され、東京近郊の狭小地や防火地域・準防火地域を中心にご採用が進みました。
パナソニック ホームズの強みといえる多層階住宅の原点は、電器専門店の店舗付き住宅の開発から始まり、長い年月をかけて改善を繰り返し、「都市に暮らす全てのお客様に対して満足していただける高品質の家を供給したい」という強い想いのもと、お客様の持つ敷地の価値を有効に生かせる商品へと発展を遂げてきたのです。
1979年に「スリーF」で建築いただいた大垣電器様(東京・江戸川区)の店舗は今も現役
「スリーF」の店内。重量鉄骨によって広々とした店舗を実現。張り出し部内部の200角の鉄骨が空間をしっかり支えている
2階は事務所と倉庫スペースとして活用。3階が住居。
社長の大垣 克明さんと専務で奥様の洋子さん
事務所には、創業者の言葉を掲示されている
大垣電器様に建築いただいた倉庫・賃貸併用住宅(ビューノ3階建て)
▶”共存共栄編” 第1号
次号は、防災をテーマとした記事のご紹介を予定しています。(2023年8月25日公開予定)
◎パナソニック ホームズ株式会社について
パナソニック ホームズ 創業60周年特設サイト:https://homes.panasonic.com/60th/
商品ページ:https://homes.panasonic.com/
企業情報ページ:https://homes.panasonic.com/company/
公式Twitter:https://twitter.com/panasonic_homes
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