株式会社トレンドメーカーを作った秀村雨の話
秀村雨の出発点
秀村雨は中国天津に生まれた。彼女は高校を卒業すると日本にやってきた。そこから彼女の日本での人生が始まる。
まず日本語学校で検定試験の最上位ランクであるN1を取得し、言葉の問題が無くなると、大学のマスコミ学科を受験し入学した。この大学で、持ち前のガッツを用いて二つの奨学金を獲得した。
憎めないキャラクターこそ彼女の持ち味
続いて、新卒でパソナに入社した。ここでも2年間ずっと営業MVPを取り続けた。それは並大抵の努力ではない。朝6時には会社に行き準備をし、昼間は飛び込み営業をし、出入り禁止になるほどしつこく営業をかけた。
そしてもっとすごいのが、出入り禁止になった担当者とやがて仲良くなり、そこから発注をもらったことである。
最後は、相手が共感して仲良くなる。そして人脈が形成される。彼女は憎めないキャラクターの持ち主なのだ。
飛び込み営業で覚えてもらうには
もう一つ面白いエピソードがある。企業の受付で飛び込み営業をやっていると、受付から電話しても門前払いを受けることが多い。企業にはたくさん飛び込み営業がやって来るから、担当者もある程度ガードが硬くなる。
そして、門前払いを受けた営業は、大抵「受付電話のところに名刺を置いていきますので、何かあればいつでもご連絡ください」と言って、名刺を置いていく。
ある日、秀村雨も門前払いを受けて、名刺を置いっていった。しかしここからが彼女らしい。彼女は、自分の名刺を何枚も縦に並べて、名刺の列を作ったのだ。
どんな時も諦めない。アイデアで乗り切る。そんなエピソードだ。
チャレンジしたいことは何でもやってみる
ここまで聞いていると、彼女は会社員として猛烈社員ぶりを発揮している人に見えてくるのだが、実はそうではない。
彼女は大学時代に、モデル事務所の門を何件も叩き、モデル事務所に登録している。ここでも粘り強く開拓した。結果として、バラエティ番組に出演し、ワイドショーにも出演した。大手アパレルのフィッティングモデルもやった。今でもモデル業は継続している。
彼女は、自分がチャレンジしたいことはなんでもやってみる。それももう一つの彼女の姿だ。
自分がやりたいと思った仕事はどれも大事にする
そんな彼女は複業という言葉を大事にしている。文字に気をつけていただきたい、「副業」ではなく「複業」だ。
なぜその言葉を大事にしているのか。それは、自分がチャレンジしたいと思ってやってみたことは、どれも本気でやりたいと思っているからだ。
やりたいことを実現するために会社を作った
ここまで、猛烈社員、テレビタレントという幾つかの顔を紹介したが、次に彼女が取り組んだのが、トレンドメーカーという会社の立ち上げだった。
彼女は会社員として働きながら思っていた。会社は特定の事業を行う仕組みとしては効率的だが、色々なことにチャレンジをしようとすると、事業に関係ないことはできないという制約に直面する。
会社とは本来そういうものかもしれないが、チャレンジしたいことを何でもやってみたい秀村雨にとって、それが障害に思えた。
だから自分の会社を作った。彼女は思い立ったらすぐにやってみる。そして株式会社トレンドメーカーという会社が生まれた。
やりたいことを実現させたら複業になった
トレンドメーカーの事業を見てみると、立ち上げから1年少ししか経っていないにも関わらず「体験から購入につなぐプラットフォームHola」「中国のイマを伝えるCB Media」「中国のリサーチを行うCB Resarch」など様々な事業を運営している。
「まずはやってみる。そうしないとチャンスを逃す。」その考えが事業展開に現れている。会社の事業自体が複業になっている。
「まずはやってみる。」そんな秀村雨の今後の動きにも目が離せない。
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