20代の歌手デビュー、ケーブルテレビ事業、ダスキン代理店を経て映像事業に一本化。少子化時代に逆境のウエディング市場で、創業40周年を迎えたジュノー株式会社の挑戦と進化とは
ジュノー株式会社は、1983年に創業。ウエディングの映像・写真・音響・演出・デザイン・WEB制作など様々なニーズを叶えるサービスを展開する会社です。全国約100箇所の結婚式場を通じて、年間約14,000組のカップルのしあわせを支えています。
少子化やブライダル業界の市場縮小など逆境に立たされる中、業界に先駆けて開発した高精細な4K映像から制作したフォトアルバムや、オンラインウエディングなど時流に合わせた商品開発のほか、現在ではウエディング業界に留まらず幅広い事業を展開し、挑戦と進化を続けています。
本ストーリーでは、創業40周年の節目に、代表取締役飯岡大学の創業秘話や、大切にしている想い、これからの展望をお伝えいたします。
20歳で歌手デビューするも、夢を諦めダスキンの代理店へ。ニューメディアブームで感じた映像の可能性
代表取締役の飯岡大学(いいおかひろさと)は、東京の世田谷区で生まれ育ちました。若いころから歌手になりたいという夢を抱き、人付き合いのいい母親の紹介で、大御所の作曲家である古賀政男先生と出会います。古賀先生に弟子入りしレッスンを受けるうちに、歌にどんどんのめり込み練習に励むようになりました。そしてまだ大学生だった20歳の頃、当時のビクターレコードから歌手デビューのチャンスが巡ってきました。ところが、何枚かレコードを出したものの歌手としての成功は容易ではなく、地方のクラブでみかん箱の上で歌う日々が続き、とうとう歌手の夢を諦めることになります。
歌手を辞めてからは、生計を立てるために歌舞伎町の高級クラブでギターの弾き語りを始めました。その頃のギャラは非常によく、月に100万円稼ぐこともありました。同時に、当時住んでいた町田の青年会議所のメンバーとして活動し、議長を務める都議会議員の弟さんによくかわいがってもらい、ある日「面白いことをやるから遊びにおいで」と連絡を受けます。この何気ない連絡が、飯岡の人生の判断に大きなきっかけをもたらすことになります。その人のところへ遊びにいくと、事業として都市型ケーブルテレビを始めるとのこと。当時日本では、ケーブルテレビは山間部やビル間だけの時代。「面白そうだ」と一緒に手伝うことになります。
すると、このケーブルテレビ事業の流れで、ニューメディアブームが起き、衛星放送の実用化もはじまる時代になりました。当時のメンバーは、その波の先駆けをつくったといっても過言ではありません。一方で、ケーブルテレビ事業の傍ら、飯岡は弾き語りを続けながらも、映像がますます重要になる未来を予感していました。ちょうどその頃、友人から「一緒にダスキンの代理店を始めないか?」と誘われ、映像に興味を抱きつつも、友人の誘いを受け入れ、弾き語りで築いた貯金を使い一緒に会社を始めることに。この時に設立された会社が、ジュノーの前身である「さわやか企画」です。
ダスキンを畳み、映像一本にシフト。結婚式の魅力に気づき、よりお客様に喜んでもらえるサービスを模索するように
当時、昼間はダスキンの営業でお得意様を回り、夜は銭湯に行ってスーツに着替え、朝4時までギターの弾き語りをするという生活を送っていました。
「さわやか企画」は、ダスキンの代理店と、いつか映像制作をしたいという想いで始めた会社ですが、後に一緒に始めた友人が家庭の事情でダスキンを辞めることになり、当時結婚していた飯岡は、1人になってようやく本格的に会社をやろうと考えるようになりました。目先の利益がある程度読めるダスキンの営業ではなく、映像に大きな可能性を感じていた飯岡は、これに賭けてみようと決心し、この決断が人生において重要な転機となりました。
その後、映像に関する知識もないまま、150万円もするカメラを購入。当時友人が結婚式場に勤めていたので、とりあえず結婚式を撮ろうと会いに行くと、映像の代理店を紹介してくれることに。実は、ブライダル業界には当初、特別な興味を持っていなかった飯岡ですが、撮影を通じて結婚式の魅力に気づかされます。結婚式自体を心から好きになり、心から楽しむ。今も変わらないこの気持ちこそが、今まで頑張り続けることができている最大の理由です。
そして、結婚式の魅力に気づくと、すべてがよい方向に向かい始めました。仕事を好きになり、お客様や仲間を好きになると、”その人たちが喜んでくれることって何だろう?”と考えるようになります。相手が想像した以上のことができれば、また一緒に仕事をしたいと思ってもらえる。だからこそ成長でき、成功への鍵は「お客様の役に立つこと」であると確信するようになったのです。
尊敬する人たちから繋いでもらった仕事が実績となり、ジュノーの成長への大きな弾みとなる
会社が軌道に乗った、一つの大きな出来事がありました。
それは、新横浜にできた大きなホテルの結婚式映像の仕事でした。本来であれば、まだ代理店をして新規参入したばかりの会社にくるような話ではなかったのですが、当時の営業責任者が、「他の人間にお願いするところだけど、おれは飯岡にお願いしたい。おれが面倒をみてやる」と言ってくれました。結果的にそれが良い実績となり、一流ホテルとの仕事が次々と舞い込むようになりました。そこから加速度的に仕事もメンバーも増え、いよいよ会社として本格的な事業展開をスタートさせ、現在の「ジュノー株式会社」へとつながっていきました。
それからも飯岡は、業界内の様々な企業トップとの出会いを通じて、多くの学びと貴重な経験を積んでいきます。
全国で結婚式場を運営する大手企業A社から、「プレゼンに参加してみないか?」との誘いを受けました。これを機に、A社が運営する婚礼会場への参入が実現。A社が提供するリソースや、大企業ならではの経験、広い視野は、ジュノーにとって知らない世界を見せてくれる、そんな存在でした。
さらに、もう一つのターニングポイントは、全国で結婚式場を展開するB社との提携です。B社は千葉のホテルを買収し、写真業者の取引を変える計画を進めており、ジュノーにプレゼンの機会を提供。それまでジュノーは、B社と同業者として競合していましたが、当時のB社社長は、飯岡の想像以上にジュノーを評価してくださり、依頼された結婚式の数は、当時でなんと3000組にも上りました。ジュノーが競合他社としてではなく、協力体制で進むことができたのも、いくつになっても熱い想いを持つB社の社長との出会いと多くの学びがあったからでした。飯岡が結婚式の仕事をする上で新しいアイディアや考え方にいたるまでの原点を教えていただいた恩師のような存在です。
また、C社のオーナー社長からは、ビジネスや個人としての在り方について多くの教訓を得ました。特に新卒採用の重要性については、飯岡にとって力を注ぐきっかけとなり、企業経営者として重要視すべき価値観を教えていただきました。
これらの素晴らしい出会いを通じて、数多くの学びを得ることができ、会社の成長に大きく弾みをつけることになりました。
進む少子化と、結婚式市場の減少。逆境に立たされるブライダル業界で、多様化に寄り添うサービスを開発
社会課題となる少子化は、日本の様々な業界に深刻なダメージを与えています。ブライダル業界も例外ではなく、また、コロナ禍を経て益々多様化が進み、結婚式を挙げないカップルも増加しています。そんな逆境に立たされるブライダル業界ですが、飯岡の時流に合わせた商品開発が、逆境を力に変えています。
例えば、結婚式の音響において当初はエレクトーン演奏が主流でしたが、披露宴を音楽でより魅力的に演出するアイディアを提供。細かい打合せを通じて、「キャンドルサービスで火をつけた瞬間にこの曲のサビを出そう」など、最適な組み合わせを考案しました。このような音響提案は当時珍しく、仕事の依頼は飛躍的に増えていきました。
その後、次にデジタル時代が到来すると予測し、写真のデジタルアルバムを手掛けるようになります。ネガフィルムでの撮影が主流だった写真撮影ですが、業界に先駆けていち早くデジタルカメラに切り替えたのも功を奏し、現在では売上の半分近くを写真部門が占めています。さらに、4Kカメラやテレビの普及に伴い、高精細な4K映像から切り出した画像でつくるフォトアルバムを開発。2015年には、今までになく自然な表情を捉えたストーリー性のあるアルバム「4K WEDDING」をリリース。当時としては画期的な商品となりました。
コロナ禍で結婚式が制限された時期には、オンライン型のウエディング中継配信サービスを商品化。多様化する昨今、結婚式もライフスタイルも、大切にしたい想いは人それぞれの時代です。新郎新婦の気持ちに寄り添い、時流に合わせた商品開発で、ブライダル業界を盛り上げていきたいと考えています。
社長の仕事は、「人をつくること」。人材育成が会社成長の鍵
もうひとつ、飯岡が社長として一番大事だと考えていること、それは「人をつくること」です。新卒採用や研修など、人材への投資が会社を大きくさせるために必要不可欠だと考えています。
特に飯岡が力を入れるのは、新卒採用です。一般的に社長が登壇することは滅多にない合同説明会にも飯岡は積極的に参加します。最近は、結婚式への参加経験が少ない学生が増えているため、説明会では模擬披露宴を開催しています。実際の結婚式場を使い、オリジナルムービーを上映し、バンド演奏まで行います。
「君たちの条件にあった会社を選ぼう。与えられた仕事を好きになって、それを成し遂げたら次にやりたいことに手を挙げよう。そうすればどの部署に配属されても楽しいことがたくさんある。」入社後には先輩社員が新卒社員を教育し、そのサイクルが繰り返され、人材の層が厚みを増していく。これこそが飯岡が新卒採用にこだわる理由なのです。
テレワーク実施率の向上や産休復帰率100%達成。社員が長く働けるよう、働き方改革を推進
「働く人がしあわせな会社でありたい。」その信念を実践すべく、働き方改革を押し進めています。有休消化や、男性の育児休業の推奨、テレワーク実施率の向上(57%)、そして産休復帰率100%達成など、多くの取り組みを行っています。残業を減らす取り組みでは、社員が自己成長や学びを追求する時間を確保し、産休後の復帰者も働きやすい職場にしたいという想いがあります。産休明けに時短勤務で復帰する社員がいる一方、他の社員が毎日残業に追われている状況であれば、時短勤務者に対する不満やストレスが高まることがあります。このような不均衡を解消し、皆が協力し合いながら働ける環境を整えることが、女性が長く働くための鍵であると考えています。
ジュノーが持つクリエイティブや婚礼業界のノウハウを元に、時代に即したサービスを展開していく
婚礼に携わるだけではなく、グラフィックデザイン、WEB、映像などジュノーのリソースを駆使し、取引先が成約率を増やすための支援もおこなっています。料理単価を上げるための接客アルバムや、会場の魅力が伝わるエージェント向けのツールなど、これらは取引先と協力してブライダル市場を盛り上げていくための施策です。
また、ウエディング業界にとどまらず、広告代理店業務とクリエイティブ制作を手がける子会社「Relier(ルリエ)株式会社」を設立し、業界外の事業にもより力を注いでいます。”クリエイティブは人をしあわせにしたり、世の中をもっと面白くする、そんな力がある”ジュノーは、「働く人がしあわせな会社」でありパートナー企業の課題を解決する「役に立つ会社」であることを信念に、幅広い提案を行っています。
さらに、コロナ禍における需要増加に応え、ライブ配信を「@LIVE(アットライブ)」というブランドで展開し、ウエディング部門の売上に加えて新しいサービスを提供しました。その他に、お客様ひとりひとりに寄り添った写真や映像を届けたいという想いから立ち上げたフォトブランド「Sappurete(サピュルテ)」、家族の絆を深める子育て支援サービス「MOMMY&ME(マミー&ミー)」、よりたくさんのカップルとしあわせを創出するために立ち上げた結婚相談所サービス「LUKKA(ルッカ)」、結婚式の招待・受付・御祝儀・祝電をスマホやPCで一括管理するWEBシステム「Ichie(イチエ)」と、次々に新しい取り組みを続けています。
2022年には、WEB制作やアプリ制作などITコンサルティングを主たる業務とする、株式会社GoingNをグループ化。規模拡大とともに効率化やソリューションの強化を目指しています。時代にあった新しい体制で、ジュノーはこれからも進化し続けます。
●ジュノー株式会社40周年記念サイト
40周年記念サイトでは、社長・副社長からのメッセージ、
創業からこれまでの歩みをまとめたヒストリー、またジュノーが取り組んできたクリエイティブな活動などをご紹介し、私たちの感謝の気持ちをお伝えいたします。
URL:https://www.junowedding.jp/40th-anniversary/
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