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能登半島地震から7カ月、アル・プラザ鹿島の全館営業再開までの歩み。平和堂だからこそできる継続的な支援とこれからの地域復興

著者: 株式会社平和堂

株式会社平和堂は1957年に滋賀県彦根市で創業以来、滋賀県を中心に関西、北陸、東海の2府7県でスーパーを展開。地域の皆様のあらゆるライフスタイルに関わる「地域密着ライフスタイル総合(創造)企業」を目指しています。


滋賀県に本社を構える平和堂ですが、実は50年以上にわたって北陸に店舗を展開している北陸と縁の深い会社です。新年早々、能登半島を襲った大地震では、平和堂が北陸エリアで展開する15店舗も大きな被害を受けました。


幸い、いずれの店舗も人的被害はなかったものの、特に被害の大きかったアル・プラザ津幡(所在地:石川県河北郡津幡町 以下、津幡店)、アル・プラザ鹿島(所在地:石川県鹿島郡中能登町 以下、鹿島店)では、建物の損傷や水道・電気の遮断などにより、長期にわたり一部のフロアで休業を余儀なくされました。


さまざまな関係者の協力を得て4月12日には津幡店が全館で営業を再開。残る鹿島店は7月26日にようやく復旧工事が完了し、約7か月ぶりに全館で営業を再開しました。今回は、鹿島店の復旧の歩みと地域の復興に込めた思いをご紹介します。


-震災発生当時を振り返って。安全第一に行動し、奇跡的に全員が無事に避難

地震発生当時、店舗は迎春ムードのなかたくさんのお客様でにぎわっていました。16時6分に最大震度5強を観測した地震が起こったときは、驚きながらもお客様に向けて店内放送で避難を呼びかけました。しかし、そのあとすぐ最大震度7を観測した本震が起こり、激しい揺れで立ち上がることさえできませんでした


アル・プラザ鹿島 店長 田中重人


ようやく揺れが落ち着いて周りを見ると、足下には割れたガラスや落下した商品が散乱。蛍光灯や天井が落下し、新年ムードだった店内は変わり果てていました。停電と作動したスプリンクラーで視界が悪く店内は騒然としていましたが、管理職の指揮のもと従業員総出でまずはお客様の避難誘導にあたりました。あれだけひどい被害を受けたのに怪我をされた方がいらっしゃらず、全員が無事に避難できたことは本当に不幸中の幸いです。


特に2階の被害が大きかった


後日、被害状況を確認するために防犯カメラを見返していてわかったのですが、従業員は激しい揺れに耐えながらとっさに近くにいるお客様に買い物かごを手渡して頭を守るよう促してくれていました。


このエリアは地震が多く、定期的に避難訓練を実施していたことが役立ったのだと感じています。何より、とっさの出来事のなかでも、お客様の安全を第一に行動してくれた従業員を心から誇りに思います。

-今できる範囲で必要なものを地域の方々に届けたい。壊滅的な状態のなか、早期再開を決意

お客様の避難が終了した矢先、今度は津波警報が発令されました。海に近いエリアに住む方たちが避難に来られたため、駐車場を解放。店舗の隣にあるラピア鹿島が町の避難所になっていることもあり、店舗の駐車場はいっぱいに。駐車場の整備をしながら、鹿島店は地域の人が困ったときに訪れる拠点になっていることを実感しました。


翌日、近隣の様子を見て回っていると地元のスーパーさんが営業されており、お客様の長い列ができていました。その様子を見て、「なんとしてもお店を開けなくては」と強く思いました。


鹿島店は水道も電気も寸断し店内はぐちゃぐちゃの状態でしたが、限られた商品だけでもいいから、今できる範囲で必要なものを地域の方々に届けたい。その一心で、1月4日に営業を再開することを決めました


営業再開時の朝礼。自分自身も被災者でありながら、多くの従業員が出社してくれた


店内の安全確認をとったものの余震が続く中での営業再開。お買い物の際は、安全のためお客様にヘルメットを着用してもらい、食品売場の一部で水やお弁当などを販売しました。


惣菜や物流センターが滋賀県や京都府など複数個所にあり、商品供給が止まらなかったことは平和堂の強みです。本部の判断で早期に水や電池など、必要なものをこちらが要望する前に優先的に届けてもらえたことも阪神淡路大震災や大阪北部地震など過去の経験が活かされていると感じました。


会社としても震災直後から災害協定に基づき、鹿島店の広大な駐車場の一部を北陸電力様の復旧拠点設営用のスペースとして提供したり、要請に応じて支援物資を供給したり、店舗の復旧と地域の復興支援を同時に進めました


1月2日以降、当面の間、北陸電力の復旧拠点設営として鹿島店の駐車場が使われた


しかし、他社の状況と比較しても、会社としてまだまだ備えや対応が足りないと感じる部分もたくさんありました。たとえば、被災により店舗の水道は寸断していたため、長らくトイレが使えませんでした。ご家庭も同様で、鹿島店ならトイレが使えるのではと頼ってこられるお客様も多く、本当に申し訳なくて…。


日が経つにつれ他社のお店がどんどん復旧していくなか、鹿島店は多層階で2階の状況は壊滅的。本来なら、こういうときこそ生活に必要なものをお届けすることが使命なのに、それができない。地元で生まれ育った私には近くに同級生や知り合いが多いのですが、「お店はいつ完全復旧するの?」「もしかして、このまま退店するの?」と声をかけられることも多く、本当に歯がゆい日々でした。

-復旧に向けて。目指す“元通り”の姿は、「期待を裏切らない。期待以上のお店」

少しずつ復旧に向けて動き出すなか、壊滅的な状況の2階をどのような形で再開するかが焦点となりました。鹿島店は、地域で衣食住を扱う数少ないお店。一日も早く営業を再開しなければという思いと、本当に元通りにするだけでよいのかという思いの間で悩んでいました


今回の震災の影響で奥能登からエリア外へ流出した人口は昨年の4倍ともいわれています。地域では復興に向けた動きが少しずつ活発になっているものの、肝心の人が減っているという現実を前に、私たちにできることは何か。


それは、より魅力的な店舗として生まれ変わり、暮らしに必要な衣食住そして楽しさをご提供すること。そして、中能登で安心して暮らせるように日々の生活を支えること以外にない。そのために、被災前の店舗に当たり前にあった商品はきちんと揃い期待を裏切らず、それでいて新しさや以前にも増してワクワクをお届けできる期待以上のお店にしたいと考えました。

「ようやくここまできました」と、完全復旧を目前に新しくなった売場で震災当時の被害状況を振り返る店長の田中


被害を目の当たりにした幹部からも「震災があったことを忘れるような新しくワクワクする売場にしよう」と売場を一新することに賛同を得て、一気に新しい売場づくりに向けて計画が動き始めました。


新しい売場の核に据えたのは、子ども用品の売場です。

次代を担う若い世代に向けて、必要なものがきちんと揃う売場にしたいと考えたのです。

「中能登だから(品揃えが)ない」というものをなくしたかったという思いの通り、必要なものはきちんと揃う


残念ながら震災の影響でテナントの退店があり品揃えが減ってしまったインテリア関連は、直営の売場を拡大。ほかにも、地震により売場がなくなってしまった地元の商店の方へスペースを提供したり、単にモノを売るだけではなく地元の人が集う場所や機会を設けていきます

-復興へ向けて。平和堂だからできる商売を通じた継続的な支援

北陸エリアの部長の杉山(写真右)は、「早期営業再開を決めることができたのは、現場にいるわれわれだからこそ。リーダーが現場で判断することは重要だ」と語る


鹿島店の復旧を全面的にバックアップしてくれた北陸エリアの部長の杉山からは、「震災を風化させてはいけない。」「ボランティアではなく、我々だからこそできる商売を通じた継続的な支援がある。」と幾度となく話を聞かされていました。


実際、震災から半年以上経ったいまも、地域に目を向けると全壊指定により無人になった家屋など、復興はまだ道半ば。メディアで震災のことが取り上げられる機会も減ってきました。


地域に暮らす私たちだからこそ出来ることはないかと考え、ようやく公費解体の決まった家屋の家財の運び出しなどのボランティアに北陸店舗の店長ら有志20名で参加しました。


「アルバイトの方にお願いしたこともあるけど、この建材は重すぎて限られた人数では運べなくて…。大勢で来てもらって助かりました」とお話しされる家主さんも


訪れると「大きな家財はとても一人では運び出せないので助かった」と感謝され、こちらの方が恐縮するくらい。また、平和堂の社員であることをお話しすると、「私も商売をやっていてるので、モノづくりを再開したらぜひ鹿島店で売らせてほしい」と思わぬ話につながることも。


活動してわかったことは「困っているけどどうすればいいかわからない。誰に言えばいいかわからない。」そんな状況の方が多いこと。ふだん、私たちは店舗でお客様をお迎えしますが、こちらから地域に繰り出すことで見えてくるお困りごとや支援の方法があると、今後の活動のヒントをもらうきっかけになりました。

-鹿島店の元気を地域の元気に

実は鹿島店の敷地内には、商業施設には珍しく神社がある。鹿島店のメンバーは「けが人が出なかったのは、神社の御利益のおかげ」と口をそろえる。鳥居には神社の建立に尽力した平和堂創業者「夏原平次郎」の名が。田中は「きっと創業者も守ってくれたんですね」と話す。


おかげさまで鹿島店は7月26日に全館で営業を再開することができました。

建物が全館復旧したことはもちろん、これまで担当売場がなくなってしまっていたメンバーもようやく元通りの売場で働くことができます。


地域を元気にするために、まずは鹿島店が元気にならなければならない。鹿島店が元気になれば地域が元気に、地域が元気になれば鹿島店もさらに元気になる。


そう信じて未曽有の危機を前に一緒に頑張ってくれた従業員やテナント様、励ましや温かい言葉をくれた地域の皆様、復旧に携わってくれたすべての関係者の皆様のおかげで鹿島店は元通り以上の元気を取り戻すことができました。本当にありがとうございます。



今度は皆さんからいただいた元気を私たちが地域にお返ししていく番です。「中能登には鹿島店があるから」と、中能登に住む人が少しでも増えて地域が活気づいてほしい。大げさかもしれませんが、地域の復興に向けてそんな思いを抱いています





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