震災が私にもたらした能力《第7話》ー手放すという幸福ー
手放すという幸福
「悩みの裏にあるもの」
カウンセリングを終えてから、私はこのことについて前よりもさらに真剣に考えるようになった。
人はどうして望む幸せを手に入れられないのだろう。
どうして愛されたいと思いながら、愛されないのだろう。
思考の現実化が本当であるならば、なぜ多くの人が望んだ通りの人生を生きられずに苦しい日常を強いられているのか。
交通事故にあいたいと思っている人などいない。
病気になりたいと思っている人などいない。
津波に家を流されたかった人などいない。
愛する人を失いたかった人などいない。
それなのに、なぜ・・・。
次々にわき上がってくる疑問の答えが欲しくて、あらゆるジャンルの本を読んだ。
理論としては納得できるけれども、現実問題として理解と応用ができる答えはなかなか見つからなかった。
何十冊、何百冊と本を読み、DVDを観ては考え、足りない知識を補うためにまた本を読むことを何度も何度も繰り返した。
これは少し真実に近づいてきたかもしれないと感じた時、また一人のクライアントさんがやってきた。
50代の彼女は長い結婚生活の間、ずっとご主人が繰り返し起こす不倫問題や仕事の問題、そして嫁姑問題に頭を抱えていた。
痩せて、実年齢よりも老けて見える容姿に苦労が多いのが見て取れた。
彼女の言っていることは、彼女の側からみれば確かにどれも正しく、彼女自身も
「私、間違ってませんよね?」
と繰り返し聞いてきた。
彼女は正しい。でも、彼女を観る限り「正しい」=「幸せ」ではないのだ。
正しいから、間違ったことをしていないから、幸せになれるとは限らないのだろうか?
では、正しくないことをすれば幸せになれるのか。
その前に正しいってなんだろう?
正しいって、一体誰からみた正しさなのだろう。
ぐるぐると疑問が頭を駆け巡る。
「あなたは間違ってませんよ。大丈夫ですよ」
なんて言っても、気休めにはなっても何の解決にもならない。家に帰ればまた元の木阿弥だ。
一時しのぎの慰めを聞かせるために、わざわざ来てもらった訳ではない。
彼女の幸せを阻んでいるものは何か。
彼女が幸せになれない本当の理由は何なのか。
彼女の潜在意識の、本人も気づいていない深い、深いところをゆっくりとリーディングする。
すると、1つの答えが浮かんできた。
それは、
彼女自身が今の不幸な状態が続くことを望んでいる
ということ。
彼女は夫と別れて自由に生きることよりも、夫のそばにいることで、
「私はあなたのせいでこんなにも不幸ですよ」
という姿を毎日みせたかったのだ。そうすることで自分だけでなく夫も苦しめたかった。
そのためには、自分はいつまでも不幸でいなければいけない。
彼女は夫をこれ以上、自分だけが自由気ままで満足な生活を送らせないために、自分自身の不幸を選んでいた。
他にも色々あるだろうが、とにかく、彼女は自分が幸せになる訳にはいかない理由をいくつも抱えていた。
彼女のように、人は幸せになろうとする時、新しい自分に生まれ変わろうとする時、そうなってはいけない理由をいくつも抱えている。そして、そちらに引きずられてしまうのだ。
自分から変わるのは怖いから
そうして、
夫が変わってくれるのを、
周りの人が変わってくれるのを、
会社や社会が変わってくれるのを
ずっとずっと待っている。
そして、自分が思った通りに相手が変わってくれなくて憤るのだ。
自分はなにもしないのに。
だって、何もしないのはとても楽だから、
苦しみが続くことよりも、何もしない楽さを選んでしまう。
自分が変わることの大変さの向こうにこそ、望む幸せがあることも知らずに。
もう1つ例を挙げると、クライアントさんにどうしても痩せられない人がいた。
様々な疾患が出て生活に支障が出るほど太ってしまい、痩せたいと思っているのに、痩せられないのだ。
根性がないからだ。
食べ過ぎるからだ。
そんな理由で片付けてしまうことはとても簡単。
でも、彼女が今、この体形を維持しようとする理由はなんだろうと考えてアプローチすると答えは簡単に見つかった。
彼女には働き者で、決して怒らない旦那さんがいた。
きちんと家の家事をこなして、子供の面倒も見てくれていれば、何も言わず彼女に対してもとても優しいのだった。
だから、彼女はこの旦那さんに嫌われることをなによりも恐れていた。
太り過ぎで人目につくことを恐れていた彼女は喜々として家での家事をこなし、子供にも精一杯の愛情を注いでいた。
それでも、やはり痩せたいという気持ちは強くあったので、彼女は常々
といっていた。そういう女性になりたかったのだ。
でも、彼女の夫は太っていても家で家事と育児さえしっかりしていれば愛してくれる。
痩せて美しいキャリアウーマンになったら、むしろ自分は嫌われて捨てられるかもしれない。
その恐れが、彼女のダイエットを一番に阻止していたのだ。
今の自分で居続けなければ、夫の愛は受け取れないという幻想から離れることができなかった。
夫から嫌われるかもしれないという不安を彼女はどんどん、どんどん脂肪で埋めていった。
夫が
「痩せてキレイになったお前なんか好きじゃない」
と言った訳でもないのに。
そして、彼女が本当に望んでいるのは、痩せてキレイになって外に出たいということなのに。
愛するよりも愛されたい彼女は、自分よりも彼の望みを優先してしまうのが痛ましかった。
こういう人には、
なんて言っても伝わらない。とにかく失うことの怖さのほうが、望む未来への希望よりも勝ってしまうから。
大きな不安を抱えている状態は、海にぽーんと放り出されてそこにあった杭に必死にしがみついている状態に似ている。その杭が不安なのだ。
その手を離せば、次の杭が見つかるかもしれないし、案外泳いでいける距離に足のつく場所があるかもしれないのに。
その可能性を見ずに、杭にがっちりとしがみついて目を閉じていては、掴まっていることに全部のエネルギーを注いでしまって、他のことが全くできなくなる。
すぐ隣に幸福という名の杭があるかもしれないのに。それも無数に。
エネルギーを使う方向を、「不安」ではなく「幸せ」の方に向けると必ず幸せは見つかる。
そのためにはまず今掴んでいる「不安」という名の杭から手を離す勇気を出すことが必要なのだ。
何が不安で自分はこんなに怒っているのか。
何が不安で誰かを恨んでしまうのか。
何が不安であの人に負けたくと思ってしまうのか。
何が不安で誰かを妬んでしまうのか。
何が不安でこんなにも悲しいのか。
そうやって問いかけていくうちに、
「誰かや何かのせい」
ではなくて、不安で怯えている可哀想な自分が見えてくる。
可哀想な自分を見つけたら、どうか
「その手を離しても大丈夫なんだよ」
と優しく声をかけてあげて欲しい。
自分以外に、誰もその杭の存在は知らないのだから。
不安という杭を握りしめたままでは、次の杭に掴まることはできない。
だから、欲しい未来があるのなら、不安の杭からパッと手を離して勢い良く海に泳ぎ出そう。
そうして、次の杭が見つかるまで必死で泳ぎ続けるのだ。
しっかりと目を凝らしていれば、その杭は簡単に見つかるのだから。
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