大企業で働く元高校球児の営業マンがうつ病となり、初めて訪れた甲子園で元気をもらった話。

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2次会、3次会はあたりまえで、最寄駅が一緒の先輩がいると、終電で帰ってその後に飲むこともざら。




携帯に先輩から着信が入れば、どんな用事があっても断り、土日であったり深夜であっても駆けつける日々。




キャバクラやクラブ、風俗に連れて行かれたり、来月ゴルフやるからクラブ揃えとけと言われてボーナス使ったり。




昼は仕事で怒られ、夜は飲み会で怒られる日々…。








会社に行きたくない理由は「職場の雰囲気と合わないから。」

また、自分がやっている仕事に対して「充実感を感じていない」ことも関係していると思う。




次第に疲れ果て、おれがうつ病っぽいという噂が同じフロア内に広まり始める。




自分はダメな人間なんだと思うようになり、周りの人間のすべてが敵に見えた。




人と会うのが嫌になり、休日は部屋に引きこもるようになった。




このころに見た「晴天の霹靂」という映画の中で主人公の大泉洋さんが言ってた言葉が脳裏に浮かんだ。




「オヤジ、生きるって難しいな、俺ってなんのために生きているんだよ。」




おれって何のために生きてるんだろう。




こんなに嫌なことがあって、それでも必死に1年間頑張った。




世間的にはゆとり世代の象徴と思われるかもしれないけど、もう疲れたよ。

何もやる気が起きない。




自分の存在価値ってなんだ?








生まれて初めて仮病を使った。




全身に悪寒が走り、ベッドから起き上がることすらできなかった。




今日一日「仕事」から開放される。




世の中の社会人が働いている時間に街を歩いた。




好きな時間に起きて好きな時間に出かけるのは気持ちがいい。




学生時代はあんなに時間があったのに、その大切さに全然気がつかなかった。




そんなことを考えているうちに時間はあっというまに過ぎていく。




明日はちゃんと会社に行かないと。




自分に言い聞かせて眠りについた。




しかし、朝になると再び全身に悪寒が走る。




この日も会社を休んでしまった。




その後、何度か決まって月曜日に仮病を使って休んでいたが、周りもおれの異変に気づき始めていたので、もう限界だと感じ、産業医と面談してすべてを終わらせようと思った。




面談結果はうつ病の初期段階。




出勤停止まではいかなかったが、残業および飲酒禁止命令が出された。

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