大企業で働く元高校球児の営業マンがうつ病となり、初めて訪れた甲子園で元気をもらった話。

4 / 6 ページ



こんなに毎日朝から晩まで練習してバカじゃねーの。




クラスの友達はカラオケ行ったり、ゲーセンで遊んだり、洋服買ったり、女の子とデートしたり。




おれの一回しかない大事な高校生活はなんだったんだ。












高校時代を振り返るとなんのために目の前のことに取り組むのかわからなかった時期があった。




うつ病となった今と重なる部分があったが、高校時代にそれでもがんばれたのは「充実感」があったからだと思う。




試合には出れなくてふて腐れてたけど、毎日同じような生活をする野球部の友達と恋愛やテストとか野球について語り合うときは楽しかったし、ダイビングキャッチしたり、ホームラン級の当たりを打ったり、体力測定でも明らかに結果が上がってたりして成長を実感することができた。




練習が終わるとヘトヘトだったけど、次の日学校行きたくねーって思ったことはなかった。




また、「目標」がたくさんあったことも今とは違うと思う。




ベンチプレス80kg上げてやる。遠投90m投げる。100mを11秒台で走る。英語のテストで100点取る。合唱祭で優勝する。好きなクラスの女の子と付き合う。




生きていく上で軸となる目標がいくつもあったし、実現させたときの充実感は何よりも自分の頑張ろうっていうエネルギーになった。




このころを思い出しても、自分がやることに充実感がないと続かないし、やる気も出ないと思う。




やっぱり充実してる方が人生楽しいよ。








ある日の練習試合でたまたま同じポジションのやつらがいなかったので、たまたまおれが出場して結果を残した。




次の練習試合も結果を残し、その次もまたその次も結果を残していった。




このころになると、レギュラー定着を狙うようになり、どうすればよいか考えるようになった。




おれの場合、足が速かったので、とにかく出塁率を上げた。




内野安打、セーフティバント、四球。




もともと右利きだけど、スイングが左右であんまり変わらないという理由から高校2年生のときに左バッターに転向していたこともあり、いつも狙っていたのは三遊間にゴロを転がすこと。




バッティングや守備の上手さではみんなにかなわないので、かっこつけずに結果だけを追い求めた。




このころのおれの実力は普通くらいのレベルだったが、出塁率を買われ、レギュラーに定着した。




試合に出れるようになったのが、最後の大会まで残り3カ月くらいの時期だった。




何だかんだ文句ばっか言ってたけど、練習はまじめにやって良かったと思ってる。




高校卒業するときにもらった卒業アルバムに書いてあるメッセージで、

「最初は下手くそだったけど、最後は上手になって尊敬するぜ」と書いている野球部の友達もいた。




最後の大会で背番号「7」をつけて人生最高の大舞台で戦った。




1回戦はすごく天気のいい日で、親や親戚、学校の友達、先生が応援にくるなか、3安打3打点の大活躍。




2回戦で負けたときは、ほんとに悔しくて、あんなに泣いたことはなかった。




引退して8年がたった今でも高校3年間続けた努力とか一緒に頑張った仲間は生涯の財産になっている。

著者のK New Yorkerさんに人生相談を申込む

著者のK New Yorkerさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。