大企業で働く元高校球児の営業マンがうつ病となり、初めて訪れた甲子園で元気をもらった話。

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本当は出勤停止にしてもらい、しばらく休みたかったので、ショックであった。




これからも会社にいくのか。




5~10年後どころか1年後の自分すら描けない。




この先どうやって生きていこう。




答えは検討もつかないが、翌週から9連休の夏季休暇なので、とりあえずこの一週間をしのぐことだけを考えて頑張った。




今までの経験上、休みはあっというまに終わるもの。




「会社」という普段のしがらみから解放されたかったので、一人でどこかに行ってみようと思った。







野球にすべてをささげた高校時代


「自分が一番輝いていた時代は」と聞かれるとおれは決まって同じことを言う。




「高校時代」




大学時代もバイトやサークル、研究室とかで色んな経験をしたけど、

高校時代ほど何かに夢中に打ち込んだことはない。




社会のこともよくわかってなかったし、お金を稼ぐということもまだよくわかってなかった。




将来のことを考えるわけでもなく、ただ無心に毎日を生きることを許された時代。




このころは野球に明け暮れていた。




今思ってもあのころには思い入れがあるし、毎年夏になるとグランドで泥まみれになってたことを思い出す。




野球は小学生のときから8年間やった。




小学校、中学校、高校とそれぞれの時代でドラマはあったが、高校時代は今の自分を形作ってると言っていいほど大きく成長させてくれた。




はっきり言って、おれは高校入学時は下手だと思われてたと思う。




部員が70人もいて、みんな中学時代に実績を持ってたやつらばっかだったから。




体力には自信があったので、キツイ練習にもついていけたが、ボールを使った技術練習については全然ダメだった。




試合には当然出られず、遠征に行っても応援だけして帰ることが多かった。




先輩が引退して自分たちの世代になっても試合には満足に出られなかった。




さすがに自分が試合に出れないのに同世代が試合に出てるのを心から応援できるはずがなかった。




悔しさと惨めさが残り、試合のたびに嫌な気持ちになった。




月曜から金曜まで練習。土日は試合。試合がない日は練習。決まった休みはなく、たまに監督が指示した日が休みとなった。




高校生活のすべてを野球部に費やしてきた。




それでもまともに試合には出られない。




ピッチャー交代時の代走とか、最終回の守備とか、とりあえず出しとけみたいなところでしか使われなかった。




なんのためにおれは練習してるんだ?


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