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高校も大学も中退し、就活もしていない波瀾万丈な人生を歩んだ私が、学校教育を変えたいと決意した話

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著者:
榊原 正幸
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私は、せっかく入学した高校を、理不尽なことがキッカケとなり高校2年の時に自主退学し、その年に大検(大学入学資格検定)を取得し、大学へ進学するも、家計の事情により仕事をせざるを得なくなり、大学も中退しました。


元々福岡出身だったのですが、出稼ぎのため茨城の工場で半年間みっちり仕事をし、家計の問題を解消させ、福岡へ帰りました。


世間を賑わせた派遣切りが起きる1年半ほど前だったので、頑張れば頑張るだけ稼ぐことができました。

社宅があったので、基本は職場と家の往復ばかり。

休みの日でお財布に余裕がある時だけ、社宅の近くのホテルから出てる高速バスを使い、片道2時間半ほどかけて東京へ遊びに行ってたもんです。


性格的に都会っ子のようで、茨城の社宅周りでは全然満足できず(茨城の方、失礼…。)、新宿を始めとするターミナル駅周辺を見まくっていたんですが、ふつふつと東京で仕事がしたい!と思うようになり、出稼ぎを終えて福岡へ戻った1年後に、再度上京することになります。


IT系の仕事で国内企業から外資、ベンチャーまで経験した後、学校教育を変える事業に興味を持つわけですが、本ストーリーでは、卒業で言ってしまうと「中卒」であり、社会が良しとしてきたレールから外れまくり、多分、波瀾万丈な人生を歩んできた私が、何故、巡り巡って学校教育を変えたいと決意するまでに至ったのかについて書いていきます。


いわゆる普通の人生を歩んでいないが故にできた様々な経験は、今ではとてもよかったと思っているし、カネもコネもない自分ができたこと、やってきたことを自伝のように公開することで、似たような境遇だったり、辛く感じてる人の何かのお役に立てればいいなと思っています。


■SMAPすら知らないゲーム少年

生まれは鹿児島だが、物心ついた時は、福岡に住んでいた。

いたってフツーの子供(しいていえば、レゴブロックが大好きだった)で、小学校に入ってからはゲームに夢中な日々。

今では当たり前に子供が夢中になっているポケモンも、当時はブーム前であり、ゲーム好きな私がクラスで流行らせたなぁ。


その頃はあまり意識していなかったけど、我が家は裕福だったらしい。

欲しいゲームはなんでも買い与えてもらえてたし、テストで良い点を取ったご褒美として、当時発売されたばかりのドラクエ6を学校をズル休みしてやりまくっていた。

…もちろん、クラスメイトにはゲーム目的で休んだとバレていたが。


望みはなんでもやらせてもらえていたが、ポケモンの全国大会だけは参加させてもらえなかった。

たしか、東京は危ないところだから、という母親の意見だった気がする(笑)

あの頃は福岡では敵なし(自称)であり、テレビで見るだけだった強者との戦いをやってみたかったのだ。


このように書いても酷さがわからないと思うが、夏休みなんかは、起きてる間ずっとゲームをしていた記憶がある。

当然ゲームばかりだったため、J-POPなんて知らず、テレビもロクに見ないため、友達との話題もゲームになる。

J-POPなんて知らなかったし、SMAPすら聞いたことがあるレベルだった(笑)



そんなゲーム少年は小学校時代、2回の転校をして、3つの小学校を経験する。

ゲームばかりで人と感性が違ったせいか、3つ目の小学校では、いわゆるいじめにあい、ちょっとした不登校にもなった。


■野球に大ハマリ。そして家族の転換期

そんなゲーム漬けも小学校の終わり頃には一旦落ち着き、今度は野球になっていた。

何故野球か?


ようやくJ-POPやテレビというものに興味を持つようになった榊原少年は、イチローにゾッコンになってしまったからだ。

「将来の夢はプロ野球選手!!」と小学生あるあるwww的な夢を語りだし、バッティングセンターにも通って特訓を開始。

ゲームもコナミの「実況パワフルプロ野球」シリーズなど、野球モノばかりになった。