高校も大学も中退し、就活もしていない波瀾万丈な人生を歩んだ私が、学校教育を変えたいと決意した話

3 / 5 ページ

今現在、高校を辞めたことについては、1ミクロンの後悔もしていない。



■借金生活と初の上京生活

退学して間もない頃、当時住んでいた分譲マンションを売ろうかどうか悩んでいる話を父親から聞いた。

何事かと思って聞いてみると、元気ピンピンだった母親は、お金が勿体無いという理由で保険を解約していたため、半年間ちょっとのガン治療に莫大な医療費がかかり、そこそこ豊かだった我が家は、一気に借金を背負うまでになってしまっていたそうだ。

それも、借金を返すために違うところから借金をする、という完全に泥沼化していた。

マジかよ…。



不要なものを売り払っても雀の涙なため、購入したマンションも売り払い、60平米の3LDKから、14平米のボロいワンルームアパートへ移った。

一人暮らしならまだしも、父親と2人暮らしで14平米は狭かった。


ボロい上に1階だったから、私の天敵であるGも度々出現した。

お湯が出る量も1日あたり決まっていたため、料理や皿洗いにお湯を使うと、シャワーを浴びている時にお湯がなくなり冷水になるため、これまで気にしなかったことを気にする生活だった。


高校を中退した私は、もちろん大学へ進学する予定だったから、取り急ぎ大検(大学入学資格検定)を取る必要があった。

大検は難易度はそれほどないものの範囲が広い。

高校2年の1学期分しか単位を所持していなかったため、7科目ぐらいあった記憶がある。


ところが、比較的裕福な生活から貧乏生活に突入したため、書籍を買う余裕が全くなかった。

大検の過去問や練習問題のテキストは1冊1,500円~2,000円ぐらいしたが、それがあれば15食分ぐらいにはなるわけだ。


でも受からないとどうしようもないと思ったため、毎日書店まで通い、立ち読みで勉強した。

ブツブツ言うわけにもいかないから、脳内で答えを出して、答えのページと問題のページをいったりきたり。

間違った問題は携帯電話のメールの下書きに問題番号を記録し、翌日書店に来た時に復習した。

食事は書店のトイレでカロリーメイトを頬張り、水は自宅から持参。


そんな勉強法で望んだ大学入学資格検定は、幸い1発で必要科目全て合格し、無事に大学受験の資格を得ることができた。



ちなみに、博多駅の交通センタービルにある紀伊國屋書店だったため、かなり大きな書店で、店員さんの目にはあまり入っていなかったと思うが、迷惑かけたなぁ…と今では思っている。


そして大学に行くわけだが、その頃インターネットで知り合った友人から薦められたオンラインゲームを始める。

サイバーエージェントの子会社であるジークレスト社が運営していた「トリックスター」というMMORPGである。

課金ゲームやガチャという概念が世の中に浸透する前のゲームだったので、ある意味その手のパイオニアだ。

ドラクエやFF、聖剣伝説などのRPGが大好きだったため、このゲームにも相当ハマった。

最終的に、2ちゃんねるに晒されるほどの知名度を得たし、ギルド(コミュニティみたいなもの)同士の強さを競うギルドバトル大会で優勝したこともある。


バイトも片手間にしていたが、コミュ障なので人間関係が辛く、スーパーの品出しやゲームショップの接客など、どこも長続きしなかった。


自分のお金は自分でどうにか工面しながら、家事は父親と二人三脚でこなしながら生活していった。

元々、父親は家事が全くできなかった。

母親がすごすぎたので、やらしてもらえなかったというのもあるが。

そして親しかった人たちはみな口を揃えて「あそこは母親がもしいなくなったら野垂れ死ぬ」とほとんど本気で言っていた。

実際、母親が亡くなった後は、父親も料理を始め、私も家事周り全般をやるようになった。


父親としては、慣れない仕事をしながら家のことにも気を配っていたこともあり、持病の糖尿病&不整脈も重なって、入院することもあった。

19の夏、家計の問題で、どうしても私が仕事をしなければいけない状況となったため、大学を退学し、仕事をすることとした。


特にやりたいこともなかったため、稼げる仕事にしようと思って色々見ると、住みこみだったり社宅に入り、工場勤務をするのが一番だとわかった。

当時、オンラインゲームで仲がよかった人が関東に集中していたこともあり、茨城の工場に決める。


すぐさま荷物をまとめ、新幹線で東京へ。

ずーーーっと過ごしてきた福岡を離れ、親元を離れ、慣れない土地と生活へ踏み込むことになる。



■東京⇒福岡⇒東京

当時住んでいた茨城県神栖市は、東京駅から高速バスが出ていて、片道2時間半ぐらいで着く。

…が、福岡暮らしだった私には、東京駅は大きすぎて、すっかり迷子に。

なんだかんだ茨城に着くも、想定外なことが起こり、給料までお金が持たない問題が起きた。


そんな時、オンラインゲームで知り合った友人が、1万円を銀行に振り込んでくれた。

オンラインゲームをやらない人は、その程度の付き合いで助けてくれるの!?と思うかもしれないが、

チャットでずっと話してると、大体どんな人なのかは想像できるようになる。

お互い、信用に足る相手だと判断したからこそ、リアルでも会うことになっていたし、それもあったからポンと支援してくれたんだろう。

本当に感謝した。


今ではあまり珍しくもなくなってきてるが、オンラインで知り合った女性とリアルで付き合うことも経験した。

オンラインゲームで仲良くなり、ゲーム内でだけ恋人になるケースもあったし、そのままリアル恋人にまで発展することもあった。

当然ネカマ(女性キャラを使い、言葉も女性っぽく振る舞うが、中身は男)も居たし、写真詐欺で会ってみたら全然違う人だった、という事例もあったようだ。


仕事は精密機器を作るライン作業で、作業室に入る時は、頭の上から足の先まで衛生服を着て、クリーンルームに入る。

そこで12時間、休憩を挟みながら立ちっぱなしで作業する。

24時間稼働していて、日勤と夜勤があった。

1週間毎に日勤⇔夜勤を交代するシステムなため、夜勤の週は、金曜の朝には仕事が終わり、月曜の朝まで仕事がないため、結構遊ぶ余力もあった。


とはいえ、茨城での生活は退屈で、電車に乗るにも、最寄り駅まで自転車で90分は必要だったし、レンタルビデオ店は20時には閉まったり、色々とカルチャーショックだった。



茨城生活2ヶ月めぐらいが最もピークで、皆勤賞に別途ボーナスがついたから、ひたすら仕事をしまくり、ライン作業でも記録を作り、稼ぐことに集中した。

当時は、リーマン・ショックの1年半ぐらい前だったので、派遣切りが起きておらず、頑張れば頑張った分だけ稼ぐことができた。

社宅であり、母親が亡くなって覚えた自炊スキルも活用して外食はほとんどしていなかったため、結構な金額がすぐに貯まった。


多分、稼いだ金額の7割~8割ぐらいは、親へ送っていたと思う。

それでも余力があった時は、鹿島セントラルホテルの高速バスに乗り込み、東京へ繰り出した。



新宿、渋谷、池袋、銀座、秋葉原などなど…次行った時はココに行く!と計画しながら繁華街をひたすら練り歩いて見て回った。


福岡には、天神と呼ばれるデパートやショッピング街が広がる繁華街があるが、東京は天神が至る所にある感じで、繁華街好きな私にはたまらない街だった。


茨城でのリフレッシュは、ほとんど社宅のPC前で過ごしていたため、だんだんPCに興味を持ち始め、IT系の仕事がしたいな~、とぼんやり思うようになる。

半年間がっつり仕事をした後、福岡へ一旦帰ることにした。

福岡が恋しくなったのと、福岡でキャリアを積んで、東京へヘッドハンティングのような形で再度上京しようと考えていたからだ。


福岡でIT企業の求人を探し、入社するも、とにかく酷かった。

無給だったからだ。

無休ではない。変換ミスではないですよ。

無給だったんです。


からくりはこうだ。

入社後、まず3ヶ月間の研修があり、その間は日給という形で支払うと表記があったが、現実は日給が発生するのは経験者のみ(未経験入社は無給)。

しかし、未経験者でも課題をクリアすることで経験者と同様に日給が支払われるようになる仕組みを用意しているとも言われた。

だがその課題は経験者ではないとクリアできないボリュームと納期であったため、誰もその仕組みが活用できた人はいなかった。

そして3ヶ月の研修というのも嘘で、いわゆる研修卒業面談というものがあり、そこで研修担当を納得させられた場合のみ研修が終わり、他の企業へプログラマー派遣という形で配属し、やっと給料が発生する。

人によっては半年間研修をしている人も居た。


未経験だったから勉強させてもらうという姿勢で居たが、学校と企業の悪いところをミックスしたような風土を目の当たりにし、このままではダメだと3ヶ月で退職。

同期は10名居たが、私が最後の1人だった。

早い人は3日目から来なくなっていた。


ちなみに、当時はインターネットを遊びぐらいでしか使っていなかったが、後日調べたところ、

"福岡で就職してはいけないブラックIT企業の第一位" に輝いていた会社だった。

数ある中からそこにピンポイントで入って経験した俺すげえ。


…前途多難だが、ここで諦めるわけには行かず、求人を色々チェック。

たまたま東京でエンジニアの仕事ができる案件があったため、応募したところ、見事受かる。

著者の榊原 正幸さんに人生相談を申込む

著者の榊原 正幸さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。