高校も大学も中退し、就活もしていない波瀾万丈な人生を歩んだ私が、学校教育を変えたいと決意した話
このような思考になるのは、学校教育において「人様に迷惑をかけないこと」を言い聞かせられ、
「継続すること」「頑張ること」の大切さばかりを教えられてきたからだ。
これらはもちろん大切なことだ。
しかし、「逃げること」「断ること」「撤退すること」「失敗すること」などの大切について、少なくとも私は学んでこなかった。
今では道徳の教科書で少しは扱っているようだが、根本は大して変わっていない。
極論言うと、総理大臣ですら替えが居る。
別にあなたが辞めても仕事は回っていくから気にする必要はない。
また、本来動物というものは、命に危険が及ぶと本能的に逃げる。
うさぎだって猫だって、動物はなんでもそうだ。
逃げること、失敗することを悪とするかの如く、同調圧力の中で育つと、そのような動物的本能すら奪い取ってしまうんだろう。
それが過労死に繋がり、鬱に繋がり、自殺に繋がる。
また、イスラム国に参加しようとした北大生のような事例にも繋がる。
転職先が決まっていなくても、身に危険が及んでいるならば、辞めてしまえばいい。
実家があるなら実家へ帰ればいいし、実家がなければ、友人や知人に居候させてもらえばいい。
身を削って仕事に打ち込むことを美徳する風習もあるが、結局、命をかけるに値することなんて、世の中にはないのだ。
もっと他人に頼ればいい。甘えればいい。
頼って甘えた分、他の誰かに返していけばいいし、優しくしてあげればいい。
そのような価値観は、学校教育ではないと身につかない。
大人になると、様々なセミナー、勉強会がある。
当然、このような生き方や働き方、考え方に関するものもある。
だが、悲しいくらい何も効果がない。
何故なら、大人になる上で、価値観や人生観が形成されているからだ。
私が産業カウンセラーによって、価値観や人生観がより良く変わったのも、命の危険があったからだ。
大人になると、命に危険が及ぶようなことでもない限り、そうそう変わることはできない。
だから、そういうものが形成される前の子供の時に、どれだけ視野を広げれるかがカギとなる。
じゃあ、何故学校ではそのようなことを教えることができない(もしくは難しい)のか?
答えは簡単で、学校の先生は、基本的に大学を卒業して即、社会を経験しないまま教師に就いているからだ。
それだと、どうしても視野が狭くなってしまう。
学校の先生という職業がメジャーな職業ならば、それもアリだが、すごくマイナーな職業だ。
例えば、社長と呼ばれる人は、世の中に250万人ほどいる。
これはチェーン店ではない飲食店の店長(小売も同様)を社長扱い(ようは経営者)しての計算だ。
それに対し、学校の先生は、小学校~高校まで全て足しても91万人しかいない。
学校の先生の人数は、社長の1/3なのだ。
■私だからこそ、学校教育に携わる意味がある
起業の敷居は昔に比べると相当下がっていると言われている。
資金はクラウドファンディングで調達できるし、人はSNSで集めることができる。
そして、先進国でもある日本は、モノやサービスが溢れている。
シェアハウスやSNSを活用することで、生きていくために最低コストも下がっている。
幸せの形や生き方が多様化している中、全く新しいモノを生み出すというよりも、既存の古い仕組みをアップデートすることが起業の根底にあるように思う。
そして、ストーリーも大切になってきた。
何故その人がやる必要があるのか?ということだ。
例えば、店舗数だけなら、楽天よりも多い、無料ECサービスBASEの鶴岡代表は、自身の母親が得意としている裁縫スキルを活かした洋服や小物を気軽に誰かに売れる仕組みを作りたい、というストーリーの元、BASEが生まれた。
儲かるビジネスは、他社がすぐ真似してくる。
大企業だってそれは同じで、リクルート社なんかは流行に敏感だ。
例えば、あなたが始めた事業を、リクルート社が真似してきた場合、ストーリーの有無が存在意義を大きく分ける。
単に儲かるから、という理由だと、あなたがやろうがリクルート社がやろうが変わらない。
でもストーリーがあると、その時点で他社と差別化できてるし、それがユーザーへの付加価値にも繋がる。
私の場合、社会が良しとしてきたレールから外れてきた。
高校も大学も中退し、就活もせず、信じていた人に裏切られたり、会社に入ってまでいじめを受けたり…
学校生活や社会人生活でたくさん悩み、挫折してきたからこそ、それらの経験を生きたコンテンツとして学校教育へ提供することで、子供も親も安心して生きていける世の中を作ることに繋がると判断したし、それこそが私だからこそできること、やる意味があることだと思った。
何より、私が作ろうとしているサービスは、自分自身が欲しかったもの。
現状のシステム上、レールから沿った教育になりがちであり、それが結果的に就活の失敗を人生の失敗にように重く受け止めて自殺に繋がったり、やりたいことがないことが悪のような風習に繋がる。
これは学校の先生が悪いのではなく、閉ざされている学校教育のシステムそのものが問題だと感じている。
だから私は、民間経験者と教師が協業・分業し、学校教育に欠けているものや不足しているものを補い、学校教育をアップデートさせる(学校教育2.0と呼んでいる)ことを始めたいと思った。
幸い、前のベンチャー企業を辞めて、人付き合いも一新された私は、良い出会いも多く、ちゅうつねカレッジという、ビジネス向けのオンラインサロンで知り合った仲間と共に動けることになった。
そんな中、サイバーエージェントが運営しているクラウドファンディングサービス「makuake」のことについて詳しく知り、元々興味があったクラウドファンディングでプロジェクトを2014年11/14(金)からスタートさせた。
https://www.makuake.com/project/rebirthink
何故、高校も大学も中退し、就職活動もしていない私が、学校教育を変えたいと思ったのか?
ここまでの長文過ぎるほどの長文を読んでいただけた方には伝えることができたと思う。
苦労は買ってでもしろと言われるが、不必要な苦労はしなくてもいいと思う。
人類の歴史は、先人の苦労や失敗の経験と記録、改善からここまで発展した。
昔は、毒キノコなんてものの見分け方も、食べたらどうなるかもわからなかった。
昔の人がそのような事例を経験し、記録として受け継いできたからこそ、現代ではそのような事例はほとんどなくなった。
子供の教育だってそうだ。
大人になった時、子供の時にこんなことを知りたかった、学んでおきたかったという事例は、私の周りでもすごく多い。
だったら、それをふまえて変えていけばいい。
カネもコネもなく、社会が良しとしてきたレールから外れてきたけど、誰かに頼り、固定概念に囚われず疑問を持っていたことが、本当にやりたいことに繋がるカギになったようにも思える。
これを読んでくれた人の中で、近しい境遇だったり、レールから外れて悶々としている人が居たとしたら、その人の背中を押すことができれば幸いである。
※2016年2月3日追記※
クラウドファンディング、無事に成功し、現在は関東の学校を中心に、教壇に立たせてもらい、
やりたかった教育の形を少しずつやっている。
理想を語るのは簡単だけど、実行は難しい。
ただ、本気でやりたいなら、考え続ければいい。
解決できる課題しか、そもそも降ってこないんだから。
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