【Part 3】 「26歳、職ナシ、彼女ナシ、実家暮らし男子が、とりあえず、統合失調症になってみた。」
良く言えば、「個性を大事にしている大学」。悪く言えば、「どんなバカ野郎バカガールでも、入れてしまう大学」。
家でも、例にもれず、奇声をあげていた。ギターをぶん投げたり、部屋のありとあらゆるものをひっくり返したり。
親にSOSを出した。
荒れ果てた部屋から、自分を救いだし、実家の新潟県長岡市まで、連れてってくれた。
授業に遅れてしまう!と、必死に教科書を読んだが、意味が分からず、またパニック。
一週間ほど経って、心情も落ち着き、再び大学へ戻る事にした。
一番興味があった、日本語学の先生、「天野みどり」先生の教授室を訪ね、
と、泣きながら懇願した。
すると、先生は優しく、
と、声を掛け返してくれた。
やっと、大学の中で居場所を探せた気がした。その天野先生の授業をほとんど取り、ちょっとずつだが、授業に復帰する事が出来た。
ゴールデンウィークを過ぎたあたりから、うるさかった教室が、しんと静まり返り、集中力も高まりながら、授業を受けることが出来た。授業中にうるさかった生徒は、どこに行ったのだろう?
・「この世に正しい日本語なんてありません!」
その、天野先生の最初の授業、「日本語学序論1」で、衝撃的なことを言われた。それが、この節の表題である。
高校までは、正しい日本語を教え込まれたが、この大学に来た以上、というか、日本語学と言う学問自体、実態のない言語と言うしくみ、要素を掘り起こす学問である。と言う事だった。
なるほどな~。自分がめちゃくちゃだと言われ続けた、ネットラジオに投稿していた文章も、「日本語」に間違いないんだな。と、肩の荷が下りたような気がした。
そして、先生は次の生徒の事を話した。
「『とか』だけで、卒業論文を書いた生徒がいるの!『とか』って、否定的に使われていて、ネガティブなイメージ・風潮あっただけど、彼女は、徹底的にアンケートを行って、お茶『とか』行かない?と、選択肢を増やすようないい方でも活用できるって、発見したの!私、迷っている卒論制作者に、この論文を必ず見せているの!」
へ~と思ったのと同時に、せっかく四年間この大学にいるのだから、先生の記憶、記録に残る卒業論文を書いてやろう。そう思ったのが、大学一年生の四月の出来事であった。
・白い染みつきジーパンに、赤いフリース。
「洋服を買うお金があったら、ゲームセンターのドラムを打つシミュレーションゲームにつぎ込む。」
が信条だった自分は、全くと言っていい程、オシャレに“むとん着”だった。白い染みつきジーンズに、赤いフリース、その下に青いぴったりとしたパーカー。薄紫のマフラー、年中風邪をひいていたので、マスクをしていた。卓球サークルを覗いたら、「おい!マスク!」と言われ、すぐにその場を離れた。
「入門ゼミ」というものが、うちの大学には存在しており、図書館の使い方や、レポートの書き方、基本的な学業を習う20人前後の少人数制のゼミだった。
その最初の授業で、「自分の○○ベスト3」という課題が提出された。
普通の生徒であれば、好きなアーティストベスト3。あまりにもベタで、誰もが避けていたが、「好きな食べ物ベスト3」でもいい。とにかく、人前でプレゼンテーションを行う訓練を行った。
自分の選んだ「○○ベスト3」は、
「自分の好きな古畑任三郎ベスト3」だった。
大学生活が、ままならなかったため、いわゆる「かまし」を行った。
第3位は、大地真央。
第2位は、SMAP。
第1位は、村人全員が犯人の回だった。
この事を、構成作家のミラッキさんにメールで伝えたところ、「渋いね~」と言われた。
こんな、オシャレに“むとん着”だった自分に、ある日、転機が訪れる。
・オシャレオタク、ひろとの出会い。
それが、ひろが自分に持った第一印象だった。
自分には、当時好きな女の子がいて、その子とデートをする機会があった。しかし、二人っきりではなく、友人二人を呼んでとのこと。
今思うと、デートでも何でもない、ただの秋葉原観光だったのだが、とても楽しかった。
めぼしい店を見つけ、メイドが接客する喫茶店に入り、四人で談笑をした。必死に盛り上げようとする自分の姿を見て、ひろは、
と、自分を認めてくれた。
後日、大学近くの町田に、ひろと二人で足を運んだ事があった。自分は、早くドラムゲームをしたかったのだが、ひろがそれをそれとなく断り、
と、誘われた。
別段、断る理由が無いので、了承した。
しかし、これが楽しい地獄の始まりだった。
まず、ひろは「百貨店」と言うものに、自分を招き入れた。
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