育児奮闘日記〜vol.3〜

前話: 育児奮闘日記〜vol.2〜

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現在、2歳9ヶ月のママをしています。

この日記には、私が日々の育児の中で感じた事や思っている事をありのままに綴っていきます

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仕事復帰までの葛藤


私は、息子が1歳6カ月の時に仕事に復帰しました。

とは言え もともと個人事業主だったので、さほど保育園の事情など見ていなかったのですが…

あまりの惨状に愕然としました。

探し出したのが6月と、微妙なタイミングだった事もあり もちろん認可保育園には入れませんでした。

駅近の保育園では40人待ちという事を聞き頭がクラクラしたのを覚えています。


運良く私の住む区は認証保育所にもかなり高額の補助金が出たので、とりあえず年度末までは認証保育所に通わせようという結論に至りました。

もちろん 我が子を預けるにあたり、本当に安心して預けられるかどうかを調べるために いろんな保育所に見学に行きました。

認証保育所は、やっぱりそれぞれ特性があって、かなり遅い時間帯まで預けられたり、早期教育がかなり盛んだったり、とりあえず 値段が安かったり…

認可保育園とまではいかなくても、やっぱり人気の高い保育所もキャンセル待ち状態でした。


まぁ、我が家の場合は、幸運にも幾つか見学に行った中で、1番気に入った保育所に晴れて入所出来たわけですが…

私がその保育所を選んだ理由は主に2つ。

1、施設長が元 看護師で、38.5までは保育園で保育可能

緊急を要する場合には、施設長判断で病院に連れて行ってくれる。

これは本当にありがたい。

保育園に通わせている方は、経験があると思いますが、かなりの率で病気をもらってきます。

冬なんて、風邪・胃腸炎の繰り返しで、毎週 病院通いでした。


2、アットホームで、家庭的な事がウリの保育所だった事。

小さな保育施設で、クラスも3歳児まで。

園庭も無ければ 特に施設が新しい訳ではありませんでしたが、小さなスペースを上手に活用した、清潔感のある園だなーって印象がありました。


初めての登園の時は、覚悟はしていましたが、それはそれは、この世の終わりのように息子は泣きわめきました。

そりゃそうですよね。

この1年半 ほとんど1時間と離れた事が無いのに、いきなり見ず知らずの場所に置き去りにされた訳ですから。


それまで、

外に出たい!
ママになっても、やっぱり仕事をしたい‼︎
社会に出たい!出たい!出たいッ‼︎‼︎‼︎


と、ずーっと思ってきた私ですが あの絞り出す悲鳴のような声を聞いた時には、それは私のエゴなのかもしれない…と本気で悩みました。


保育園の入所の際には、初め 慣らし保育というものがあります。

初日は1時間。

2日目は2時間。

お昼まで、午睡まで、14時まで…と段階を踏んで希望時間まで伸ばしていきます。

母親から離されて 少し経てばケロっと慣れてしまう子もいれば、その間 ひたすら顔が赤黒くなるまで泣き叫ぶ子もいます。


息子はもちろん後者でした。


慣らし保育中は、そんな短時間では仕事にもならないので 近くのカフェでお茶をしていました。

あの時の珈琲の不味さときたら、きっと生涯忘れられません(笑)

息子の事が気がかり過ぎて、落ちつかない。

何度も何度も時計とにらめっこ。

待ちわびた自分だけの時間なのに、罪悪感で押しつぶされそうでした。



私は何故、仕事をしたいのか?

もちろん経済的な事もあります。

よく世帯収入が年600万円を超えると生活レベルが変わると言われていますが 1人で稼ぐより 2人のほうが断然効率が良い。

保育料を差し引いても 絶対に。

夫の収入に不満を持って文句を言うくらいなら、私は外に出て働きます。


そして、私の一番の理由は、《社会との接点》が欲しかった。

ママとしての私ではなくて、篠崎英恵という 1人の人間として社会に認められたい。

それだけを切に願っていました。


息子と2人で過ごす時間は楽しくもあったけど、正直焦りや葛藤の連続だった。


「今日は朝までスタジオに缶詰なんだよね」

「明日からの出張はハードだから」

「今回はこの紙面に載りました☆」


友人や昔の同僚の何気ない言葉に、心底 嫉妬もした。

成功を心から喜べない自分がいた。

以前ほどの業務量は確実に無理だとわかってはいるけれど 、私もその輝かしい世界に戻りたかった。



数ヶ月前から 無事に第1希望の認可保育園にも転園でき、息子も新しい環境に慣れて 楽しそうに日々を過ごしている。

だけど、たまにふと寂しくなるのか、保育園に行きたがらない事もある。

いつだったか、「ママ どうしてお仕事するの?」って聞かれた事がある。

その時に私は、こう答えた。

「真生くん、お菓子食べたいでしょ?ママがお仕事しなかったらお金ないからお菓子も食べられないんだよ?」

息子は、小さな声で言った。

「…もう、お菓子いらない」


自転車に乗っていたから、風の音とペダルを漕ぐ音が重なって今にも消えそうな、か細い声で。


自分が恥ずかしかった。

そのあと、息子は何も言わなかったけれど、私の頭の中はその事ばかりグルグルしていた。


私は、何故 仕事をしたいのか?

誰のためでもない。

自分のためだった。

1人で育児をこなす事に限界を感じたし、社会に認めてもらいながら1人の時間を持つためには、仕事をするしかなかった。

だから、仕事に復帰しただけ。

私は神や仏では無いので、自分が満たされなかったら家族に優しくなど出来ない。

自分が成功しなかったら 友人の成功を喜べない。

だから まず自分の欲求を全て満たしただけだった。


それを全て息子のせいにした。

息子はその日 大好きなチョコを食べなかった。


あの日の事はきっと一生忘れない。

忘れたらいけないと思っている。



仕事復帰して、生活は忙しさを増した。

時間には追われるし、家事に、育児に、仕事に、正直 パンクしそうな日ももちろんある。

余裕がなくて、息子に優しく出来ない日もある。


だけど、それでも仕事へ向かう自分に誇りを持っている。

仕事を終えて息子を迎えに行く時のワクワク感はずっと一緒にいたら気付けなかった宝物。

ずっと一緒にいられるないからこそ、休みの日にはめいっぱい息子と向きあうと決めた。

たくさん抱きしめてあげたいし、息子の笑顔のためなら何だってやってやろう!と思える。


そして、「ママじゃない私として認められたい」とずっと思ってきた私だけれど、

ママになったからこそ見えてきた視点を活かしていきたいと思うようになった。

だから、ママになる事で、キャリアの足かせになったり、会社に後ろめたく思うことなんて無い。

と、たくさんのママに言ってあげたい。

私は・・・

どんな事を差し引いても、みんなが譲れない唯一の職業は、
やっぱりママだと思っているから。

2014年の抱負は確か、「仕事でのきちんとした自立」だったと思う。

まだまだ挑戦中の事が多いけれど、スタートをきることが出来たことは良かったと思っている。

2015年の抱負は、実はもう決めてある。

『ママになる前より、もっと自由なママの私になる』

まだまだ 日々 奮闘中の私ですが、遠くから見守っていただけると嬉しいです。








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