小学校教員が安定した職を捨て、家族を日本に残し、発展開発国に単身赴任した話(1)

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私が教員になったのは、娘が小学校に入る年でした。

実は私は教員になる気など全くなく、大学は第一希望も第二希望も、「女に学問はいらない」と親が反対する理学部を受験しました。

その代わりに第3希望は「女の子は公務員になるのが一番幸せ」という両親の思い込みを満足させる、教員養成系の大学を受験することにしたのです。

結果、第一希望、第二希望の受験には失敗し、行きたくもなかった第3希望の大学に進むことになりました。

それでも私は、それまでの九州の山奥の田舎暮らしに辟易していたので、全く違う県に行けること、封建的な家を出られることに嬉しさを感じていました。

大学に通いながら勉強し直して、転学でもすればいいと思っていたのです。

ところが、教員養成系の大学で教育について学ぶうちに、心境の変化がありました。

「子どもはうるさくて、わけが分からなくて嫌い!」と思っていたけれど、ちょっとおもしろいかも……。

そのうちに同じ大学の先輩と恋愛をし、同棲を始めます。

これも、田舎の封建的な家庭で、「女の子はこうあるべき!」と厳しく育てられた反動だと思っているのですが……。

九州の田舎の箱入り娘には様々な知識がなく、大学2年の時に妊娠したと知った時には、驚きとともに嬉しさがありました。

大人の仲間入りをしたような、誇らしい気持ちでした。

両方の親に「勘当」と言われ、周りの友人に「うまくいくはずがない」「堕ろした方がいい」とアドバイスを受け、教授に「あなた、妊娠していると思うよ。わかってる?誰かに悪戯された?」と本気で心配していただき、それでも与えられた生命を絶つのはいやだからと周りの反対や心配を押し切って出産をしました。

産んだのは大学3年生の時。

体育の授業を「見学して感想文を書いたら単位をあげる」と言ってくださった教授、「赤ちゃんを連れてゼミに参加していいよ」と言ってくださった教授、「子守しようか?」と応援してくれた友人たち、お古の洋服やオモチャをくださった近所の方、そして始めのうちこそ反対していたけれども「ちょっと時期が早まっただけだよね」と理解してくれた双方の親、何より先に卒業して私たちのために懸命にバイトをしてくれたつれあい……みんなのおかげで大学を無事に4年で卒業することができました。

大学卒業後、つれあいが北海道の教員採用試験に合格し、小学校教員として未知の場所に渡ることになりました。

九州出身の私と、関西出身のつれあいは、知り合いもなく、だからしがらみもない新しい土地で、家族3人つつましく暮らすことを夢見ていたのです。

私はしばらく専業主婦に徹することにしました。

これは好奇心旺盛で、やってみたがりの私にはなかなかつらいことでしたが、「保育園でなく幼稚園に通いたい」という娘の意を汲んで、教員採用試験の勉強をしながら、いろいろなボランティア活動や地域のソフトボールチームなどで好奇心を満たしながら専業主婦を続けました。

そして娘が小学校に入る年、教員採用試験を受けて、晴れて小学校教員になることができたのです。












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小学校教員が安定した職を捨て、家族を日本に残し、発展開発国に単身赴任した話(2)

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