【Part 5】「とりあえず、統合失調症患者になった自分が語る、26歳の人生。」~大学4年生編~
「上野俊哉に認めてもらえなければ、一生後悔する。」
そう、本気で思った。
そのころ、一人でアニソンばかり流れるクラブに行ったりしたので、「メディア文化論」のDJカルチャーから、社会を見る。知る。という講義が、一番しっくりくると感じたのだ。
その四年時を前に、上野俊哉に対峙するために、様々な訓練を積んだ。
小笠原善康の「新版 大学生のためのレぽと・論文術」や、齋藤孝の「原稿用紙を10枚分書く力」など、片っ端から、レポート作成マニュアル本を読んでいった。
そして、大学三年生の時に、「論文作成法応用」と言う授業を習い、添削の仕方や、要約のしかた、そして、引用をする手はずなどを勉強をしていった。
二年生の時に味わった、
「『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を、二十歳になるまでに読んでないの?!信じられない!!野崎訳か、村上春樹訳か読み比べるのはいいけど…」
と、どん引く先生を見て、どん引いたり、何を言っているのか、分からない。という状況も、三年生の時に、五十単位以上取った経験から、相手の意図を読み解く術を養って行った。
自分は、上野の問いに対し、勇気を振り絞り手をあげた。
「す、す、スターバックスとか?」
「うん!いいじゃない!スタバもそうだよね。」
よし!!と、心の中で小躍りをした。
結局、大学四年生の時に、履修した授業は、この「メディア文化論」だけになってしまった。
授業最終日の、一週間前にレポートを提出する事が出来た。
「DJを扱う授業なので、自分なりのコンピレーションアルバムを添付してもいいかもしれない…。」
と、書いてあったので、自分なりに編集したCDをクリアファイルに入れて、提出した。
内容は省略するが、自分でもほれぼれするほど、良いレポートを書けた。なぜ、そう言い切れるのかと言うと、文字数が、「11,111文字」ちょうどになっているからだ。
成績は…、「優」だった。
自分は、上野俊哉に認められた!
そう思った。うれしくなった。もっともっと、勉強して行きたいと思った。次は、いよいよ、「卒業論文」である。
・恩師・天野先生の励みと叱責と優しさ
天野先生には、頭が上がらない。
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