【Part 5】「とりあえず、統合失調症患者になった自分が語る、26歳の人生。」~大学4年生編~

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 奇声をあげていないと、落ち着かない生活を抜け出すために、自分は帰省した。寄生虫のようだなと自嘲しながらも、母親は、迎えに来てくれた。








 そこで、今もかかっている柏崎厚生病院の赤羽先生と対面した。




 「どうされました~?」






 優しい口調で問いかけてくださる赤羽先生。でも、自分は、卒業できないと、親にもっと迷惑をかけてしまう。と信じ込んでいたため、塞ぎこんでいた。




 そこで、「心理検査」と言うのを受けた。「巨視的」や、「人権蹂躙」の意味を答えたり、時系列順にパズルを並び替えてください。と言う検査があった。




 そこで自分は、「語彙力、ボキャブラリーは豊富だが、こまごまとした作業は、苦手」という検査結果だった。




 あまりにも力を入れて検査をしたので、頭が痛くなり、病院と反対側の整体に連れて行ってもらった。




 その整体で、電流を流してもらい、少しずつ、思考がスッキリとして来て、母親に、






 「大学留年してもいいから、卒業論文、書きに戻っていいかな」




 と、言った。




 母親は、




 「やりたいようにやりな。留年しても仕方ないから」




 と、勇気づけてくれた。




 自分は、一抹の不安を抱えつつ、東京に戻った。




 201011月3日。ALI PROJECTのLIVEがあった日に戻った。










・大学生活で一番楽しかった四〇日間




 やついいちろう生誕祭も終わり、いよいよ、主査である天野先生の元に報告する時が来た。




 「スタバにする?研究室にする?」と言われたが、部屋から近い、先生の研究室で面談をすることにした。




 

くわばら
「卒論が完成できるかわかりません。だけど、卒業後、新潟の実家に戻って、就職活動をしようと考えています。」




 と、言うと、






天野先生
「くわばらくんなら、できるよ!」






 大学一年生の時に、微笑みかけてくださった先生の笑顔がそこにあった。




 方向性が決まれば、後は帆を進めるだけ。歩みを止めずに、部屋が汚くなるのもお構いもせずに、書き進めた。




 途中、コーヒーの飲みすぎで、立って歩けなくなり、近くの整体に通ったりもした。


 「コーヒーじゃなくて、しょうが湯がいいですよ」


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