【Part 5】「とりあえず、統合失調症患者になった自分が語る、26歳の人生。」~大学4年生編~
ついに迎えました、最終学年。
一番激動で、一番濃密で、一番楽しかった一年間。
ではでは、大学4年生の時の統合失調症患者(後の)を、ごらんください~♪
大学四年生
・上野俊哉との出会い
・恩師・天野先生の励みと叱責と優しさ
・救急車から救急車
・奇声から帰省。規制通り、卒論制作へ。
・大学生活で一番楽しかった四〇日間
・卒業と3・11~もれなく発症~
・上野俊哉との出会い
「メディア文化論」と言う授業を、大学四年生の時に、履修した。
先生が開始ベルの一〇分経っても、先生が来ないので、どうしたのかな?と思ったら、突然、教室の扉が開いた。
自分は、目が見開いた。
台車に、ターンテーブル、スピーカー、ウーハ(で、正しいの?)を持ってきたのだ。
「一体何が行われるんだ?」
と、どよめいていると、
「俺、九〇分喋るの面倒だから、半分、音楽流すね」
と、言いながら、四十五分間、DJを始めた。「ミュオ~ン」みたいな、良く分からない、とにかく聴いた事のない音楽で、「何なんだ?この人?!」と、思っていた。
「何なんだ、この人?!」の人こそ、自分の恩師である、上野俊哉氏である。
もともと、「和光大学総合文化学科」と言うのは、広く浅く、いろんな学問を学ぶ。という変わった学部で、先生たちがやりたい事をやりたいようにするクレイジーな学部である。
そんなクレイジーな学部を象徴する、「THE・和光大学」と言っていいのが、先の上野先生だ。
まず、授業の進め方からクレイジーだった。どんなシラバス(講義要目)を読んでも、上野氏のシラバスに、「出席を取る」という事は明記されていない。
「2800文字のレポート一本勝負」
それが一貫されていた。じゃあ、一回も授業に参加しなくても、レポートさえ書けばいいのか?答えはYESだ。しかし、「授業で取り扱ったレギュレーションを逸脱したレポートは認めない」とのことだ。
うまくできている。出席はとらないが、授業に参加しないと、認めてもらえるレポートが書けない。
中でも人気だった講義が、「現代文化批評3・4」だった。
一年の時は、「鋼の錬金術師」、二年生の時は、「スカイ・クロラ」、「精霊の守り人シリーズ」、と、アニメ、漫画、小説、という、今で言う、クールジャパンを教えてくれる授業だ。
人気がある講義だが、厳しい先生だった。
私語を話している生徒がいれば、
「俺より面白い話をしているんだろ?出てけよ!教室から出てけよ!!」
と、怒号が浴びせられる。
大体百人ぐらい最初の講義に出席して、レポートを提出できるのは、一割か二割程度だ。
中でも印象的だったのは、
「先生、ガンダムの○○って、○○じゃないんですか~?」
という質問に、烈火のごとく反論していた。
あとは、
「自分は、オタクだけど、オタクが嫌いだ。」
などなど。
毛嫌いする生徒も多数いた。レポートを提出できない生徒も多数いた。
自分は最終学年の四年になって、やり残したことはないか。そう考えたときに、
著者の桑原 和也さんに人生相談を申込む
著者の桑原 和也さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます