ちゃんと言えた「ありがとう」

著者: 石黒 雄太

接客業をしているのに「ありがとうございます」がちゃんと言えない。

ここ2ヶ月ぐらい、そんな状態でした。

最初の「あ」の音が出てくるのに時間がかかってしまうんです。どもる感じで。

自分
っ!っ!ありがとうございます
(お客様の背中を見ながら)

みたいな。

この間がすごくもどかしいワケです。

カッコ悪ィな、どうにかできんかなと思いつつ声は出ず、1日それの繰り返し。

何だかスッキリしない日々でした。


そんな私がつい先日、詰まりを解消できたのです。

やったことは「とにかく声を出すぞ」、そう決めただけ。

そう決めただけで驚くぐらいすんなり「ありがとうございます」と言えたのです。

一度だけでなく、その後2回目も3回目も。ちょっと怪しい場面もありましたがその日のラストまで乗り切ることができたのです。


「できたじゃん」

ごくごく小さなことですが、ほんのり嬉しい気持ちになりました。

これが自信、なのかもしれません。

一歩踏み出してみると何とかなるもんなんだなぁ、と思えた瞬間なのでした。



=============================================================


と、ここで話を終えても良いのですが。

ちょっと分析もしてみました。

どもるようになったのは管理者としての仕事が増えてからのように思います。

周囲からの期待、要望。慣れない立場。気を配ったり頭を下げたり。

やらなければならないことが格段に増え、息つく暇もないように感じる。

それらがストレスとなりプレッシャーとなっていたのでしょう。

モチベーションは今の仕事を始めた頃に比べて確実に低下していました。

自分がどうしたいのかも見出せない。それぐらい内面が落ち込んでいたのでしょう。

そしてそれが発声にも影響を与えていたのかもしれません。よくこれだけで済んだなと。


一方で詰まりの解消にも内面の影響があると見ています。

実は「とにかく声を出す」と決める前に自分に問いかけをしていたのです。暇だったので。

現状に満足していないんじゃないか? 今の自分は妥協した人生を送っていないか? 本当はどうしたいんだ? どう生きたいんだ? どんな自分になりたいんだ? 等々。

こんな問いかけをするぐらい、最近の私は自分に満足していませんでした。

小さくまとまろうとしている自分。逃げや妥協の色合いが強くなった自分。どこか出し惜しみしている自分。

そんな自分を持て余しているような感覚もありました。

そこに


—これは自分の望む姿じゃない、いつだって全力だったあの頃を取り戻したい—


ふっと浮かび上がってきたのがこの答え。

思い返せば例えば学生時代。自分の中では授業もバイトもサークル活動も全て全力で取り組んでいる感覚を持っていました。

そんな自分に満足感もありました。充実感もありました。

ならばこれを基にしよう、そう思いました。

そう、内面に変化が生まれたのです。

それがあったからこそ、これまでしてこなかった「声を出す」決意ができたのだと思っています。


小さな一歩のお話でした。

著者の石黒 雄太さんに人生相談を申込む