電車に轢かれて脚を丸ごと一本切断したサラリーマンが、半年後義足で職場復帰した話

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この出会いが今後、新しい世界に脚を踏み出す勇気ときっかけを与えてくれた。


そして、退院の日。

お世話になった先生、PTさん、看護師さん、ソーシャルワーカーの皆さんに

自分
次は歩いて戻ってきます

と宣言した。


この病院は命を救われた場所であり、左脚を失った場所。

最も辛い時間を過ごし、新しい希望を見つけ、第二の人生がスタートした場所。

様々な感情が入り交じったが、ここで過ごした二か月半のことは一生忘れない。

そして退院するにあたり、病院、そしてお世話になった方々に感謝の気持ちでいっぱいだった。


「ありがとう」


感謝の気持ちを胸に、次の病院へと移った。

新しい脚に出会えること、そして自分の脚で歩けるようになること。

その期待と希望でいっぱいだった。


リハビリ病院、そして帰る場所。


2月末にリハビリ病院に転院した。

目的は義足で生活できるレベルになること。義足のリハビリは歩行訓練と調整。


義足を扱うためには筋力が必要。

義足ができるまでの間、そして義足ができてからも筋トレは続ける。

そして健足(右脚)は一度バラバラになって繋ぎ合わせた、というぐらいの大怪我を負っているので機能回復のためのリハビリも並行して行う。

PTさん
元気だし暇でしょ?

と筋トレはメニューを作ってもらい、自主的にやっていくことになった。

入院生活は時間はたっぷりあって、リハビリ室が開いてる朝から夕方までずっと筋トレ。

リハビリ室で腕立て、腹筋、背筋、懸垂など本気の筋トレをやっている自分は明らかに異質だった。

前の病院の先生の勧めでプロテインも飲んでいて、ずっと筋肉痛で全身パンパン。


もはや何を目指してるのかわからないぐらいだったが黙々と続けた。元より、この病院に転院したのはリハビリが目的。できることはそれしかなかった。


この頃からかも知れない。

現状は変えられない。

その中で、今何をするべきかを強く意識するようになったのは。


義足ができるまでの時間はもどかしかったが、リハビリ、義足の情報収集とできることをやっていた。

看護師さんが言うには、「自分を追い込んで、鬼気迫る感じだった」らしい。

余裕がなかったのかも知れない。


そして、ずっと戻りたいと願っていた友達のバーに戻る日が来た。

「ただいま!」と店に入る。 見慣れた店内… そしてみんなから返ってくる「おかえり」の声。 


約3ヵ月振り、相変わらずの面々は全く変わってなくて、入院中なことを忘れさせてくれた。

帰ろうとしたところで、一冊のアルバムを渡された。

そこには撮ったばかりの集合写真と、みんなからの寄せ書きが。

こんな嬉しいサプライズをもらって、つくづく自分は幸せだと思った。 


病院のベッドで、世界が自分と自分以外に分かれてしまった感覚に襲われたこともあった。

でも、自分には「ただいま」と言える場所があって、「おかえり」と迎えてくれる仲間がいる。

いつかこの日が来ることが、どれほど力を与えてくれただろう。


そして、その日を迎えてみんなに再会して、改めてこれから先何があっても大丈夫、もっともっと強くなれると信じることができた。


初めての義足


型取りから2週間、義足ができあがってきた。

初めて見た義足を見た印象。


でかい。


(1年後に作った2本目の義足。1本目はもっとでかかった)


形は知っていたが、実物は思っていたより大きかった。

履いてみると、どう歩いていいのか全くわからない。

脚を着く位置を少しでも間違えると、膝からがくっと力が抜ける「膝折れ」を起こして転倒しそうになった。

さらに義足に接する部分の皮膚が擦れて、慣れていない弱い皮膚はすぐに傷ができてしまった。


初めて履いた義足は思った以上に難しかった。


日付は3月になっていた。

当初目標にしていた4月復帰は難しいことがわかってきた。

しかし、今自分にできることは地道に歩行訓練を続けること。

慣れない義足に悪戦苦闘しながら、「絶対歩けるようになる。歩く。」と毎日歩行訓練を続けた。


鉄道弘済会との出会い


義足リハビリを初めて数週間。

何十、何百回と平行棒の中でひたすら往復する日々が続いたが、どう歩けばいいのかわからなかった。


そんな中気付いた。

この病院に来た理由は義足の歩行訓練。ということは、歩けるようになれば退院。

日々のリハビリは、確かに目標に繋がっていると。


全力でやってやろうと決めた。


それから「その日一日全力を尽くしたか」、自問自答するようになっていた。

次第に平行棒から離れ、片手に杖で歩くようにもなっていた。

しかし、まだ杖を離すと全く歩けず、屋外では杖をついていても歩くことは難しかった。


そんな中、東京に行く機会があった。

東京では行ってみたいところがあった。

同じ股関節離断の方に紹介してもらった鉄道弘済会義肢装具サポートセンター。

多くのユーザーがいて、義足に関して多くの症例を診ている施設。

そして、初めて訪れたその施設で目にしたものは衝撃だった。


リハビリ室で目にしたのは、

患者は全員義足。

自転車の練習をしている大腿義足の女の子。

ホットパンツ、ハイヒールで歩いている大腿義足の女の子。

リハビリの概念を覆された。

そしてここでは、義足であることは特別なことじゃない。

想像していなかったほど、明るい光景だった。


理学療法士さんは股義足で杖無しで歩いているユーザーの動画を見せられ、「これぐらいにはなって欲しい」と話してくれた。

どう歩けばいいのか、どこが目標なのかわかっていなかった自分にとって、初めて目標となる形を示してくれた。


ほんまに歩いてきたね


鉄道弘済会で目標となる形を見せてもらい、試行錯誤でリハビリする日々が続いた。

リハビリだけでなく外に出ることも社会復帰に向けて必要と思っていたので、毎週末外出許可を取って外に出ていた。

まだ義足で外には出れなかったので、松葉杖で。

そんな姿を見て、看護師さんから言われた。

看護師さん
怖くないんですか?

無理していると心配してくれていたのだろう。

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