電車に轢かれて脚を丸ごと一本切断したサラリーマンが、半年後義足で職場復帰した話

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自分
怖いですよ。でも怖いことを怖いままにしておくのが嫌なんです

外に出ることは怖かった。

でも、やってみないと怖いことは怖いままになる。

できればそれは自信になるし、ダメならできる方法を考えればいいと思っていた。

そうして外に出てみると、それなりに苦労はあったが、本当にどうしようもない事態に陥ったことはなく、それが一つ一つの自信に繋がり、不安を克服していったのだと思う。


リハビリはさらに進み、日常生活できるレベルに近付いていた。

通常なら、退院を考える段階にきていた。

しかしここで、壁に突き当たった。


どうしても杖無しで歩くことができない。

リハビリ科の部長さんにそのことを相談した。


「症例が少ないし、あなたが目指すレベルまで指導できる自信がない」と言われた。

人によってはこの言葉は無責任と感じるものかも知れない。

しかしその部長さんの言葉は、患者のことを考えた誠実なものだと思った。


病院としてのプライドもあるだろう。

それを差し置いて、提供できる自信がないと率直に答えてくれた。

部長さんには、別の選択肢を考えるきっかけを頂いたと感謝している。


このやり取りを経て、症例を多く見ている鉄道弘済会への転院を考え始めた。

一方、早く復帰したいという思いもあった。

転院してリハビリを続けるか、早く復帰することを優先するか。


この2つの選択肢の中で迷った。


人に相談することはほとんどないが、この時は社会人として、人間として尊敬している兄に相談した。

自分
兄ちゃんならどうする?
一生を左右することだから、リハビリを続けた方がいい

この言葉で決心した。鉄道弘済会に移ってリハビリを続けると。

病院にも「多くの症例を診ているところで診てもらいたい」と説明して送り出してもらった。

義足も急いで仕上げて頂いた。


この病院の先生、理学療法士さん、義肢装具士さん、スタッフの方々には本当に感謝している。

義足に関して全くのゼロから、日常生活ができる程まで能力を高めてくれた。

この病院に出会えたことは運が良かったと心から思う。


また、転院に向けて鉄道弘済会での診察も受け、

「見せてもらったレベルに達していない。そこを目指してリハビリを診てもらいたい」と伝えた。

そして、3週間の予定で入所が決まった。


東京に転院するにあたり、前の病院の診察も受けにいった。

2ヶ月前、退院する時に予告したとおりに義足で歩いて。

命を救ってくれ、最も苦しい時期を支えてくれた方々に、歩く姿を見て欲しかった。

主治医の先生は、

先生
ほんまに歩いてきたね。
東京行っておいで

と喜んでくれ、送り出して頂いた。


その他スタッフの方々も義足で歩く姿を見て驚き、喜んでくれた。

そうして、2つの病院への感謝を胸に東京に移ることになった。


また新しい環境に飛び込み、さらに高いレベルで歩けるようになる期待でいっぱいだった。


弘済会初日、二本の脚で歩く。


鉄道弘済会義肢装具サポートセンターに入所した。

目標は杖無しで日常生活できるレベルになること。


自分の身体を見て言われた。

PTさん
筋肉質で細身。
義足履くには理想的な体型

今までやってきたことは無駄じゃなかった、と思った。


義足は臼井二美男さんに担当して頂けることになった。

また、大阪で作った義足はよくできていて、調整はほとんど必要なかった。


リハビリ開始初日。

歩きを診た理学療法士さんは、問題をすぐに見抜いていた。

能力的には杖無しで歩けるレベルに達しているが、杖に頼ってしまっていて、杖無しになると恐怖心が起こってしまうことが問題だと。


そして、園芸用の支柱を持ってきた。全く体重を支えることなどできない細い棒。

PTさん
これで歩いてみて


杖を棒に持ち替え、歩いてみると。

棒は地面に触れる程度。それでもバランスを崩すことなく歩けた。

PTさん
ほら。体重かけてないでしょ?
怖がってるだけ

その説明には説得力があった。

それから棒を離して、何も持たずに歩いてみると。


歩けた。


あんなに悪戦苦闘していた杖無し歩行。それがリハビリ開始初日にできるようになった。

自分の脚と義足、2本の脚だけで歩けたことが嬉しかった。

それから全く杖は要らなくなった。さらに頂いたアドバイス。

PTさん
義足を信じて乗れ

今では、これは義足歩行の極意だと思っている。


また、入院生活はここで終わる。

復帰に向けて、残りの期間何をするべきか考えるようになった。


精神の時の部屋のように


日常生活に戻るために重要で、かつ難しいことは長時間義足を履き続けること。

朝家を出て夜帰ってくる時間を考えると、16時間ぐらいは履き続けることになる。


そのためにやったことは単純。義足を履き続けた。

精神と時の部屋で悟空と悟飯がずっと超サイヤ人でいたように。


鉄道弘済会のリハビリでは屋外に出ることが多く、長い時には数キロも歩く。

体力的にまだそこまでの距離を歩くのは負担が大きかったし、屋外を歩くのは神経を使って精神的にも疲れた。


日常生活に戻れば日々色々な状況に遭遇する。

リハビリ中に屋外を歩く経験を積み重ねられたことは大きかった。


また、トラブルがあった時に自分である程度対応できるようになる必要もあった。

義足の調整の仕方を教えてもらい、多少の調整であれば自分でできるようになっていった。


こうして義足の知識を付けていった。

義足を履き続け、屋外を長い距離歩き続ける持久力。

様々な場面に遭遇した時の対応力。

義足の知識。

限られたリハビリの期間中、必要な多くのことを身に付けていった。


走ってみなよ


鉄道弘済会でリハビリの日々。

そんな中、臼井さんから臼井さんが主宰する切断者スポーツクラブ、ヘルスエンジェルスの練習会に誘われた。

臼井さん
ヘルエンおいでよ

その時は走れるとも思っていなかったし、走りたいとも思っていなかった。


参加者は義足暦数十年のベテランから、自分のように切断間もない初心者まで、幅広いメンバー。

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