お寺で育った幼少期、異国での日々、3.11での被災、ライターで食いつないだ東京でのじり貧生活...こわがりだった私の半生の中で、唯一ゆずれなかったもの
黒澤優子。
子供のころの夢は、作家になること。
それは、自分のイメージとして、ずっとあったこと。
だけど、どうやって作品を書いていいのか、
どうやって作家になったらいいのか、
まるでわからなかった。
◇
見ためもふつう、勉強もふつう、運動もふつう、
平凡を絵に描いたような子供だった私の、
唯一の特徴といえば“こわがり”だということだった。
そんな私が生まれそだった場所はお寺。
母の実家もお寺で、寺同士が結婚した純寺の子。
当然のように家の前は墓場というシチュエーション。
日が暮れてから、ずらりと並ぶ人気のない墓場
それはもうスリリングで、
子供のころは、いいえ、高校生のころも、
暗くなってからの帰宅はすべてダッシュだった。
怖いのは何も墓場だけの話ではなく、
お寺と住処が融合したような
家の中もまた、なかなかのスリルで。
寝室のある2Fに行く際には、
本堂につながる廊下を通らねばならず、
その本堂にむかって鏡が置いてあり、
鏡と本堂が向かい合うその通路は、
“あの世とこの世の通り道になっている”
と、今でも私は信じているのだが、
とにかくただならぬ雰囲気がただよっていて
家の者はみな、寝るのが早く
うっかりTVに夢中になって最後まで起きていてしまうと、
電気を消しながらそのコーナーを回らねばならなくなり、
その恐ろしさといったら、お化け屋敷どころの話ではなく、
2Fにあがるための決心をするために、
2時間もかかったときもあるほどだった。
そして怖いのは家の中だけではなかった。
お寺という場所に、いろんな人がきた。
ある日留守番を頼まれた私は、
携帯電話で友達と長電話しようと2Fにあがった。
すると、そこに。
まったく見たことも、会ったこともない、
知らないおじさんが立っていた。
「え!!!!」
って、声を出す間もなくたたずむ私の前で
おじさんは
「うわぁぁーーーー!!」
と、叫びながら両手に靴を、階段を駆けおりる。
いやいや、叫びたいのは私の方だから!
っと、後をおいかけたものの、
おじさんのスピードに負けて、
見失ってしまった。
空き巣だった。
また別のある日。
深夜11時ころ。シャワーをあびていると、
扉の外で、なにかごそごそと音がする。
そんな時間たいてい家族は寝ているので
なんだろう?っと、嫌な感じがしたのだが。
シャワーから出てみると、母親が起きていて
「大丈夫だった?」と、聞かれた。
「大丈夫だけど、大丈夫ってなに?」
聞けばたった今、
チャイムが鳴って、男性の声で
「今、人を殺してきました」
という申告があったそうな。
話をきこうと、おりてみると、誰もいなかったという結末で、
玄関付近にあるお風呂場でシャワーを浴びていた私は大丈夫だったか?
という次第だった。
……。一応、大丈夫だった。
「お金をください」
「かくまってください」
「死にたいんです」
etc……
実にバラエティにとんだ人々の様々な一面。
子供ながらに、大人の深刻さコミカルさ、
ドラマチックな一面が、日々かいま見れるお寺生活。
そんな、サバイバルな毎日をおくっていた子供のころ、
唯一リラックスできる時間が本を読むことだった。
特別な読書家というわけではなかったが、
好きな本を読んでいるときは、その世界に没頭できた。
日々、ぎょっとするようなハプニングが事欠かない
この家での至福の時間だった。
こんな至福の時、世界を作れる人、
作家というのは私の中のヒーローであり、
いつしか憧れるようになっていった。
◇
22歳、夏。私は漫画の編集者になっていた。
就職したばかりで、右も左もわからず、
がむしゃらに漫画家さんの原稿を受け取りにいっていた。
ある日、電車にゆられているとインスピレーションがおりてきた。
横一列に並んで電車の椅子に座っている自分を見て。
「これってトウモロコシみたいだな」
そんなイメージが頭に飛び込んできた。
トウモロコシの気持ち、お話が浮かんでくる。
これって作品にしたら面白いんじゃないだろうか?
その夜。23時。
著者のKurosawa Yukoさんに人生相談を申込む
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