親の心構えを学ぶために、わたしは統合失調になったのかもしれない。

著者: 川嶋 愛子

十年前の初夏、わたしは子どもを産んだ。珠のように可愛い子だったけれど、わたしが第一声、子どもにかけた言葉は、「猿みたい」というものだった。本当は、可愛らしいと思っていたのに。



あの日、わたしは自分の心が自分でわからなくなった。可愛いはずの子どもを、可愛いと言ってはいけないのだ、そんなことを言えば看護師さんに笑われるーーと、強迫観念に苛まれていた。

(しっかりしなければ。上手に産まなければ。失敗できないんだ!)

20歳だったわたしは、とても幼すぎた。心を自分で、縛りすぎた。

一方で、お産は最初の陣痛から9時間ほどの早さで進み、安産だった。

けれどわたしは、不安だった。「難産でした」と、思い返すたびに看護師さんが頭の中で言う。

「赤ちゃんは出口で挟まって、死にそうだった」と。

そんなはずはない。悪い妄想だ。

分娩室から下がっても、わたしは眠りに落ちることはなかった。半日して個室に運ばれた食事のトレイも、自分で歩いて返しにいった。すたすた歩いて。


わたしは、本を買いに行って読もうとした。でも、何度冒頭の文を読んでも頭に入ってこない。ざるにでもなったようだ。

この頃から、幻聴が聞こえ始める。わたしは、お産で壊れてしまったのだった。


妄想と幻聴はひどく、眠れない。子どもにミルクをあげていても、ミルクの量が計算できない。

殺されるのだと言う声に、わたしはおびえ、しかし子どものために戦おうと、声の聞こえる方を睨みつける。でも、人などいない。そのうちに、電波で聞こえてくるのだと思い始める。

「だれかが、わたしの耳に受信機をつけた!!」

こわかった。夫も信じられない。母も、父も、だれもが、悲しそうな顔をしてこちらを見るから、(壊れてしまったから、捨てられるのだ)と思って、そしてやっぱり、「殺される」と思った。

逃げ帰った我が家。そこにも声は追って来た。声に従って、裸足で赤ん坊を抱えて表に飛び出したりもした。


限界だった。


母は、わたしを抱いて、「寝なさい」と言った。今思えば、寝ていないわたしを少しは休めようと思ったのだろう。けれど、わたしは母の胸に顔を埋めて、乳房で窒息しなさいと言われている気がした。



わたしは緊急病棟に入った。真っ白い部屋。ベッドとトイレ、そして鍵しかない部屋。壁はクッションになっていて、ぶつかると信号が働いて人が飛んでくる仕組みだ。

殺されると本気で信じていて、場所が移ったことに絶望したわたしは、トイレで舌を噛んだ。まさに焼き肉で言うところのタンである。噛み切れない。情けなくて涙が出た。


母の声が聞こえて来たのは、そのときだった。

「(娘=わたし)が苦しんで死のうとしている。わたしが(娘)を楽に殺して、一緒に死ぬ!」


これはもちろん幻聴である。しかし、これほど心強いことはなかった。

「おかあさん!」

「おかあさん!」

心の中で何度も叫んだ。そのたびに、まぼろしの母の声は現れた。


なぜ、あのようなまぼろしを聞いたのか、わたしは少し理由を知っている。

二十年くらい前、兄が人に迷惑をかけて、その上、叱られるので夜遅くまで帰らずにいたことがあった。母は烈火の如く怒り、「人様に迷惑をかけるようなやつは、生きてる価値がない。死んで詫びよう、いますぐ一緒に死のう!」と冗談ではなく、本気で言い放ったのだ。


母がそういう人だから、わたしはたぶん、自分のふけない尻を母ならふいてくれるような気がしたのだろう。ーー命の終わりを考えたときですら。


わたしは今生きているし、病気も軽くなった。あの時の子も、馬鹿みたいにかわいがっている。それでいい。それでよかった。でも。


数年前、わたしは第二子を授かった。それはもう、うれしくてたまらなかった。でも、誰も他に、「おめでとう」を言ってくれる人は、いなかった。


父は目に涙を浮かべて、「おまえに、おめでとうって言えないつらさ。わかるか」と言った。

「まだ薬を飲んでいる状態で、子どもがきちんと育つかわからない。お前は育てられるのか。旦那がもし死んだら、その子どもと、一人目の子を育てられるのか」

「もしお前が死んだとして、お前の可愛い子どもに、ハンデを背負った子を押し付けることになるんだぞ」

父は、泣いていた。


そして母は、いつものように、「お前が地獄に堕ちるなら、かあちゃんもついてってやる」と唇をひき結ぶ。「赤ん坊によく言い聞かせてあげなさい。それで、ーーペンチでつかまれる時は、逃げたらいかんよって。すごく苦しいだろうし、怖いだろうけど、先に行っててくれと。あの世で会えるからって。あとから行くから、待っててくれと」

……


毎年、わたしはお盆とお彼岸に花を飾る。おはぎを作る。あの子に会うのを待っている。


49日の法要をお寺さんにお願いしたとき、わたしは久しぶりに幻聴を聞いた。

キラキラして、とても小さくて、でも、聞いたことのないくらい愛らしくてきれいな声だった。


「おかあさん、ありがとう。

だいすき」


わたしは、なによりもそれが、一番の罰とーー救いだと思っている。


親の心構え、それは、命への思い。愛とか、義務じゃない。命のけじめを、どうつけていくか。

自分の命、子どもの命。

時代遅れだし、おかしいと言われるだろうけれど、わたしはそう思う。

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