あこがれの関西トップ大学の入学式にいったのがエイプリルフールだった話。
このままここで立っていてもしょうがないので僕は友達と二人でいこうとしていた京都のカバン屋さんに1人でいった。
京都の景色はむなしくもとてもきれいだった。
しばらく歩いてカバン屋とか服屋とかを見て回った。
しかもなんということか。気づいた事があった。
お店を見回っても全くおもしろくない!!
(・・・はぁ。帰るか。)
そうして駅に向かう途中、サッカーショップの「KAMO」というお店が、目に入ったので立ち寄った。
そこにはサッカーの実況中継や、たくさんのスパイク、ユニフォームであふれていた。
それを見ていると自分のいままでが思い返されてきた。
幼稚園からサッカーを続け、高校では挫折し、みんなを見返すために第一志望に合格した。
合格したのはまぎれもない事実だった。しかし入学できなかった。
この時初めて涙が目にあふれてきた。
そして思った。
(あー、、サッカーしたい・・・)
何もかも忘れたかった。
家に帰っても両親に謝られるだけだとわかっていた。
そして僕はいままで通っていた高校へサッカーをしに戻った。
大学受験に成功したけど浪人した話
結局両親は大学に直接話を聞きに行き、なんとかお願いしたが結局無理だった。
高校にも相談しに行き、なんと裁判まで考えたが無理な話だった。
そしてなにより落ち込んでいたのは僕よりも両親だった。
そしてまたしも僕は将来について考えなおす必要があった。
また1年勉強するかと思うとそれはもうしんどかった。
もう一生勉強したくないと思って必死に勉強して、しかも第一志望に合格したのだ。
なのにいま僕は大学生ではない。
大学ってなんなんだろう。
そんなにしてまで行かなくてはいけないのだろうか。
やりたい目標があるわけでもないのに・・・
もしかしたら神様が将来についてもう一度しっかり考える時間を与えてくれているのかもしれない。
そう思って、また将来やりたいことについて考えたけどやっぱり答えなんて出てこない。
結局僕は浪人することとなった。
周りの浪人生は、自分の受験を成功させるために1流の塾である河合塾だとか、駿台だとかに入っていた。
僕もそんな環境で勉強したかったが、1年間で100万前後払う余裕はうちにはなく、以前お世話になっていた塾で年間10万円で自習室と授業を受けさせてもらったが、浪人生は僕を含めたった2人。
特別に浪人生向けの授業もなく毎日ほぼ自習だったが、それでも感謝だった。
(またここに戻ってきたか・・・)
もう一生ここにはくるまいと勉強してきたのにまた戻ってきてしまった。
受験には成功したが。。。もはや笑うしかない。
Twitterをみれば、みんな新歓だの、サークルだのリア充ツイートをしている。
→「本気で受験頑張ってよかった!!w」
→「大学の友達とタコパ!!友達できた!!楽しい!!」
(いや、おれも大学受験がんばったし!むしろ成功したし!)
自分もその場にいるはずなのにと思うと、とてもむなしかった。
ためいきしかでなかった。
数少ない友達も心配してくれて駆けつけてくれた。
また、仲のいい友達も浪人していた事が救いだった。
結局僕は私立大学のD大学というところを第一志望に決めた。
関西では関関同立といわれる枠組みがある。
そのなかでもD大学は飛び抜けて入るのが難しかった。
R大学も同じ関関同立であるが、D大学とは僕から見てレベルが違っていたし、ここに入れたらすごいよなーと現役のころも思っていた。
それでも僕としてはなんとしてもD大学に入りたい訳でもなかった。
なんせ大学に行く意義を見いだせない。大学に入ってやりたいことなんてない。
結局そこだった。
ただここで僕があきらめれば1番苦しむのは両親だった。
僕がもう一度やりとげれば両親も喜んでくれる。
ランク上のD大学に入れば浪人してハッピーエンドだ。
毎日朝の10時には塾に行き、夜の10時に帰る。
ほぼ自習だ。
とにかくしんどかった。
ストレスのせいか、原因不明のじんましんがでるようになった。
またニキビもなかなかひどくなった。
昼間は僕ともう一人の浪人生でひたすら無言の自習。
毎日10時間前後は塾にいたが、始めのころは全然集中できなかった。
友達も心配してご飯やカラオケに誘ってくれた。
最初はうれしかったが、だんだんそれさえもストレスになった。
友達は親切で誘ってくれているとはわかっていても、こっちは受験勉強。
断るもノリがわるいと思われるのがいやだった。
毎日ため息をしていて、軽い鬱も経験した。
1000回ため息をすれば誰でも鬱になるなんて聞いた事があったがそれは本当だった。
(あー、これが鬱か。。。)
なんて思っていたので、本当の鬱ではなかっただろうが、眠れない毎日が続いた。
眠れない夜ほどしんどいものはないと本当に実感した。
実際僕の状況なんて全然ひどい事なんてない。
自分よりしんどい状況のひとなんて世界、いや自分の周りでさえももっといるだろう。
でもやはりしんどいものはしんどかった。
それでも勉強するしかなかった。
両親は夏休みに休暇にいって僕にお土産を買ってきてくれた。
それは1枚の絵。
そこにはこう書かれていた。
「When Life Makes Waves,,, Enjoy the Ride!!」
「人生が波を作るなら、それを楽しめ!」と。
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