あこがれの関西トップ大学の入学式にいったのがエイプリルフールだった話。
発表は郵送でも届くが、朝の10:00からインターネット上に発表される。
僕はいまかいまかとパソコンの前で待ち続けた。
そして10:00になった。
おそるおそる自分の学籍番号を打ち込み、合否を確認する。
結果は
R大学試験の受けた4つのうち、、、
・・・
・・・・
・・・・・
1つだけ見事に合格していた!!!!!!!!
第一志望の大学に行ったのが4月1日だった話
こうして僕は見事に自分が決めた第一志望の大学に合格した。
世間からみてこの大学に受かった事はすごいことではないだろう。
東大でも京大でもないし、慶応でも早稲田でもない。
試験だって4回も受けたし、もしかしたら運かもしれない。
(たぶんけっこう運です。。笑)
ただ運だとしても、それを引き寄せたのは自分だと思うし、それだけのことをやってきたつもりだ。
なにより自分が決めた目標のために、それを達成するために努力し、やり方はなんにせよ成し遂げたのだ。サッカー以外でこんなにも本気で取り組んだのは人生で初めてだった。
ただそれはもちろんサッカーで挫折したからこそ、受験で成功し周りを見返したいと思った訳で、
その分第一志望に合格できた事はほんとうにうれしかった。
自分の高校でもこの大学に入るのはなかなかすごい事だったので、友達もほめてくれた。
そして部活の後輩に自分のサッカーでの挫折経験とそこからの受験の成功談を語り、僕は高校を卒業した。
なかには受験に満足できず、浪人する友達も当然いた。
僕にはもう1年間の間ずっと机に向かって座り、勉強することなんて考えられなかった。
もはや1年頑張って、もう1度R大学を合格しろとゆわれても合格できる自信もなかったし、
本当に現役で合格できてよかったなと思い、存分に友達と春休みを楽しんだ。
そして
桜咲き、新たな人生の始まりとなる4月1日を迎えた。
R大学は4月1日が学校の初登校日で、クラス分けの最初の授業があり、
その翌日の4月2日が入学式であった。
僕は高校の友達で、同じR大学に合格した友達と大学に一緒に向かった。
R大学は京都の大学で、家から1時間ほど電車にのり、そこからバスで20分ぐらいの距離だった。
いままで高校までは自転車通学で15分歩ほどの距離であり、1時間以上の通学は初めてだった。
電車を降りバスに乗った。
友達「うわー、大学通学ってめっちゃながいなー。」
僕「ほんまそれなー!おれ毎日こんなんとかまじでむりだわw。なえるわーーー。」
友達「ほんまそれなーww」
そんなことをいいながら僕は内心
僕「・・・(まじか。京都めっちゃきれいやん!!、毎日この景色みながら登校とかまじでテンション上がるー!!www)」
発言とは裏腹にテンションめちゃくちゃ上がっていた。
合格したからこそいえる発言である。僕は完全に調子に乗っていた。
こうしてバスを降り、念願のR大学に到着した。
(ここに毎日通うようになるのか。。。)
いままで本当にがんばってよかったとその時思った。
友達とは学部が違ったので、途中で分かれる事になった。
僕「んじゃ、また終わったら一緒にかえろーぜ。」
友達「おっけー。あ、帰りに京都のお店でカバンとか見に行かへん??これからまた勉強はじまるし大学生っぽいカバン買いたいねん!」
僕「おー、いいねー!おれら大学生やしな、新しいの買わんとw、いこいこ!!」
友達「おーけー!、んじゃまた!!」
僕たちは笑顔で別れを告げそれぞれの学部に向かった。
しかし、その日僕は彼とあの後再び会う事はなかった。
そして僕は自分の学部に向かった。
僕の学部は「政策科学部」である。
政策科学の学部なのか、政策科の学部なのか、つっこみたくなるような学部だったが、
僕には大学に受かる事が目標だったのでどうでもよかったし、どっちの意味なのかも忘れた。
どちらにせよ受験を乗り越えたように、目の前のことを本気でやってやると決めていた。
そして自分の教室につき、担当のひとから座席表をもらった。
そこにはたくさんの名前があり、受験を乗り越えた人達の名前が書かれていた。
もちろん受験に失敗し、やむおえずこの大学に来た者もいるだろう。
ただ僕はみんながんばったのだろうなーと勝手に想像し、自分の名前を探した。
ぼくの名字は「水野」だ。
マ行なので、後ろから探せばなかなかはやめにみつかる。
・・・はずだった。
(・・・ん?)
著者の水野 直さんに人生相談を申込む
著者の水野 直さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます