高木教育センターのありふれた日々(11)

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著者: キョウダイ セブン

高木教育センターのありふれた日々(11)

第百一章「人生を伸ばす方法はある」

第百二章「学校の、『愛』ある虐待」

第百三章「ハイパー・スーパー・ウルトラ塾講師」

第百四章「古典的集客術」

第百五章「Mくんちの、不味いインスタント・ラーメン」

第百六章 「医者がエリートと思っていますか?」

第百七章 「トリプル・スリーで爆買して安心して、吐いてます?」

第百八章 「リケジョのタイムマシーン」

第百九章 「Love is blind.  ラブ イズ ブラインド」

第百十章 「高学歴男子に"頭が弱そう"と思われる禁句ワード」

 

 

 

第百一章

「人生を伸ばす方法はある」

  私も初孫が生まれてオジイサンになってしまった。中学生や高校生の受験指導をしていると中学や高校での経験を生徒に話してやることも必要なので、思い出すことも多い。

  人間は思い出したくないような黒い歴史は自然に封印してしまうのかもしれない。イヤな思い出は自然に記憶から削除されてしまうようだ。もしかしたら、私だけかもしれないが。

  逆に、楽しい思い出は長く心に残りすぐに思い出せる。

  つまり、楽しい思い出の数がその人の人生になる。だから、私はできるだけ冬かいな人は避ける。マナーのなってない人、非常識な人、時間を守れない人。そういう人がいたら、すぐ逃げる。人生がムダになるからだ。

 棺おけに入る時に走馬灯のように人生を振り返るとき、良い思い出だけが再現されると思う。良い人との出会いが多いほど、良い人生になる。ろくでもない人と出合った思い出は消えてなくなるとしたら、それだけ人生を短くさせられたということだ。

  結婚してから離婚するまでのことを思い出すことが困難になっている。たぶん、楽しかったこともあったはずだが、もろとも削除されてしまった気がする。もと奥さんと過ごした時間は自分の人生でなかったことになっている。

  人生の壮大な空白だ。

  アメリカでは、日本でなら10年に1回しか出会わないような素敵な人にたくさん会えた。そのせいで、あの1年は10年分くらいの時間の長さを感じる。英語や数学の勉強では、普段行かないような場所に試験を受けに行き、会わないような人たちに会えた。

  その全てが濃い人生の思い出になった。

  インパクトがあった人をあげろと言われたら、四日市高校で会った全国で5本の指に入っていたOくん。今は京大の教授だ。北勢線で一緒に通っていたSくんは京大病院の先生だ。名大で出会ったYさんは、大学院も国家公務員試験第一種も大手銀行にも合格した才女だった。車で下宿まで送ってもらった覚えがある。

  塾の卒業生では、3年間ほとんど塾内テストで一位だったNさん。京大大学院から研究職になった。暁6年制の特待生だったHさん、その後輩のIさん。二人とも、三重大の医学部に行った。Kくんは名大に行き、公認会計士をしている。Kさんは名大医学部。Iくんは京大医学部に進学した。

  近所でトラブルを起こした子もいたけれど、そういう悪い思い出は記憶にない。思い出すことがないので忘れてしまうのだろう。誰の仕業かさえ忘れた。

  感動した歌、ドラマ、人は長く記憶に残る。できるだけ良い歌、映画、人に出会うべき。それだけ人生は豊かになる。そして、できるだけ悪いヤツは避けるべき。人生が貧弱にさせられる。

 

第百二章

「学校の、『愛』ある虐待」

  皆さんが一日中いじっている携帯はどうしてこの世に現れたのでしょう。それは、マイクロソフトのビル・ゲイツとか、アップルのスティーブ・ジョブズなどの情報産業をリードしてきた人たちのお陰。

  彼らはアメリカ人です。では

「なぜ、アメリカではユニークな企業が生まれるのか」

  私はアメリカのユタ州で、1年間中学校の教師をしていた。アメリカの学校では、どのような教育が行われているのか知っている。一言でいいうと

「人と違った人になれ。人と違ったことをやれ」

 という教育方針なんです。私が日本の中学時代の写真を見せたら

「これは、刑務所か軍隊のように見えるが」

 と言われた。制服を着るのは、アメリカでは囚人か軍人くらいなものだからだ。もちろん、一部の私立学校では制服を着るが珍しい。ギネスのような、下らないものも含めて、とにかく人と違うことをすることを奨励する。

  私は最初、カルチャー・ショックだった。なぜなら、私は日本一「日教組」の組織率が高い三重県で教育を受けたからだ。北勢中学校では、「違い」は差別であり格差であり悪いことだと教え込ませる。

「とにかく、みんなと違うことをしない」

  そのようなアメリカと180度逆の指導を受けて育ったからだ。社会主義の教育の結果はどうであったか。ソ連は国が崩壊し、北朝鮮や中国は軍事独裁国家だ。私の母校の北勢中学校の四日市高校の合格者は、隣の町の10分の1以下だ。

  みごとに、左翼の先生の目標が達成されている。

 しかし、これはアメリカの価値基準で言うと「大失敗」。

「すぐれた生徒の才能をつぶすために、ありとあらゆる手を使っている」

 としか見えない。私にも、そう見える。賢い子たちは、その異常さに気づいていて教師の言うことなどに耳を貸さない。私は自分が中学生のときから、自主的にクラブを引退したら教師から叱られ、夏休みの課題は拒否して、自分の好きな教材で勝手に勉強していた。

  だいたい、教師が100%左翼日教組の組合員というのがおかしい。日本社会では、選挙の結果を見れば分かるように左翼の人は2割ほど。つまり、三重県では採用の時に思想調査を行い、左翼でないと採用していないのかもしれない。あるいは、教師になったら強力な洗脳研修を繰り返し、全員を左翼に染めるのだろうか。

  いずれにしても、異常事態であることに変わりはない。

  このような現状報告をすることさえ、蛇蝎のように嫌われる。「愛」「絆」「助け合い」という空虚なスローガンに溺れている人が多いのだ。それは、生徒にとって虐待に近いのだが、気づいていない。

  「クラブは強制だ」「制服は強制だ」「教材は強制だ」「宿題は強制だ」「班は絶対だ」。一体、なんの権利があって生徒の自主性を奪うのだろう。全く、理解に苦しむ。保護者も、なぜ自分の息子や娘の才能をつぶされて黙っているのだろう。

  基本的人権は、憲法で保障されている。思想の自由も、身体の自由もあるはずなのに、学校ではみごとに否定される。こんな最低の教育を受けて、ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズとどうやって戦えと言うのか。

  もちろん、教師は生徒の将来のことなど考えていない。自分の「理想の教育」を実践できたら満足なのだ。まったく、

「ふざんけんじゃねぇ!!」

 ですよね。自分が三流大学しか合格できなかった恨みを優秀な生徒にぶつけているとしか思えない。そして、本当のことを言われて腹を立てる。一人くらい反旗を翻してもよさそうなものだけど、全員一致というのも気持ち悪い。本当にどうかしている。

  東大や京大は、学校に適応できない「浮きこぼれ」た才能豊かな生徒を推薦や特色化選抜で救い上げる試みを始める。今の学校制度では潰されそうな才能を生かさないと未来の日本は無い。

  世界的規模で見ると、日本の学校と教師、特に公立中学は異常すぎる。マスコミは全く報じない。それは、朝日新聞に見られるように日本のマスコミも左翼に洗脳されている記者が多いからだ。

  三重県では、今年「三進連」という最大の業者テストが倒産した。偏差値追放、業者テスト追放の「成果」だそうだ。生徒は校内順位さえ隠蔽される。目隠しのまま受験を強要される。

 これでいいのか。

 私は一方的にアメリカの学校を礼賛するつもりはないが、日本の学校は最低だと思っている。このまま横並びを強制し続けると、ソ連のように国家が崩壊する危険さえあると思う。

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