余命2ヶ月!末期ガン宣告された父を持った娘の日記-3-

前話: 余命2ヶ月!末期ガン宣告された父を持った娘の日記-2-
次話: 余命2ヶ月!末期ガン宣告された父を持った娘の日記-4-
★プロジェクト X

ある時、病院に行くと、父と同じ病室の患者 KさんがNHKの人気ドキュメンタリー番組
「プロジェクトX」の書籍版を読んでいるという事を父が教えてくれた。

「本になってるなんて、知らなかったよなぁ~!?」

この番組の大ファンである父の興奮気味の声は、更に続く。
「こないだ、Kさん半分以上読み進んでると思ったのに昨日また序盤あたりのページを見てるからおかしいなぁ~と思ったら何冊もあるんだって!
本当は、Kさんが読み終わったら貸してもらおうかと思ったんだけど学校から借りてるみたいだから、無理なんだ~」


同室のKさんは、市内の高校教諭で、学校の図書館から  その本を借りてきているのだという。

父もさすがに、学校からの借り物である その本を
 「また借り」するわけにはいかないと思ったんだろうね(笑)

と同時に、いくつかの情報を話す事で、遠回しに
「どうにかしてほしい~」と 私に甘えて(おねだりして?)いるようにも聞こえた。

ネットでちょっと調べてみたら
確かにNHKからプロジェクトXの書籍は発刊されており
その冊数も、けっこうな数になっていた。

はじめは買ってあげようかな?とも思ったりしてたけど
本当にちゃんと読んでくれるかどうか(欲しいのか?)、解らないし
全部買い揃えるとなると、万単位の出費も必要だったので
翌日、単刀直入に 聞いてみた。

「お父さん、プロジェクトXの本、読みたいの?
病院で読むような時間なんてある?
かなりの冊あるから、買うとなると、けっこうかかるよー」

父 「買ってまではいらないよ~。
ちょっと見てみたいとは思っているけど、実際見れるか解らないし・・・
もし、どこかで借りれるなら、見てみたいかなぁ~って思ってただけだから」

私「そっか~、じゃあ、もしどこかで借りられそうなら借りてみる?
図書館にあるかどうか、ちょっと調べてみようか?」

その提案に、父が大きくうなづいたので
早速 図書館に問い合わせてみる事にした。

本は、あるにはあるんだけど、近くの図書館に揃っていないらしい。
お取り寄せできるというので、とりあえず1巻から3巻までをお願いしておいて
約1週間後、近所の図書館から「入荷した」との連絡を受け、借りに行った。

図書館に行くのなんて、学生時代以来だから、なんか物珍しくって
いろいろ アタリを物色(笑)

でも、気づけば 医学書のコーナーで
ガンに関する本をあれこれ引っ張り出している私・・・。

結局、お目当ての本の他に
医療に関する本も3冊ほど借りて、図書館を後にした。

その日の夜、仕事が終わってから病院に行った。

「これ、借りてきたよ!」と張り切って本を差し出すと
「今は、見る(読む)もの、たくさんあって
すぐには読めないかもなぁ~」と つれない返事・・・

図書館へ本を手配している間に、父は病院内の売店で
自分なりにこれかた闘う相手(病気)の事を勉強しようと
ガンに関する書籍を数冊、購入していたのだ。

入院していても、相変わらず、父という人は研究熱心である。

とりあえず、「2週間は借りられるみたいだからさ」と、その本を置いていった。

すでに抗ガン剤の治療も始まっており、
薬の副作用なのか?疲れからくるものなのか?解らないけど
父は、その頃から異常なほどの睡魔に襲われる傾向にあり
横になって本を見ていたら、気づけば寝てしまう有様。。。

TVをつけっぱなしで眠ってしまった父の代わりに
同室のHさんが 「もったいないから」と何度もTVを消してくれていたっけ。

そんなんで、研究材料として買ったその本も、ちょっと読んでは寝て
ちょっと読んでは寝て、の繰り返しで、なかなか先に進めない状況だった。

この状態では、図書館から借りてきた この本も
決して広くはない、病室の片隅でお荷物になりかねないなぁ~と思っていたが・・・

予想通り、結局、いくつかのタイトル(TV番組と同じで1話ずつの区切りとなっている)を
ちらっと見たくらいで、ほとんど読まないうちに 返す事になってしまったのだった。

自分が興味のある本を読むのは嫌いな人ではないので
もっと、元気な時だったら、きっと一気に読めるはずなのに
これも、ある意味 病気のせい?だったんだろう。

「読んでもらえなかった本」を借りた事は、後悔してないけど・・・

もう少し早く本を借りる事ができたら
もっとたくさん、読んでもらえたのかもしれないなぁ~
そしたら、喜んでくれたかな?と思うと
やっぱりちょっと、残念な気がします。




4.すきやき
<3月中旬>

この日は、札幌から妹一家が来る事になっていた。

「お父さん、夕飯 何か食べたいものある?」
たぶん、「何でもいい」と答えるんじゃないかな、と思いつつ聞いてみたら

意外な事に「すき焼きが食べたいなぁ~」と答えが返ってきた!

一瞬「え~!?また~?」と思った。

そう・・・
実は、少し前にも、すき焼きを食べたばかりだったのだ(笑)

その時は、病気療養中の父に、少しでも元気がでるようにって
いつもの精肉店で、ちょっと奮発して(笑)美味しい和牛を買ってきたら
すごーーく美味しかったらしく、
近頃 めっきり、食欲の乏しい父が
久しぶりに人並み以上に食べてくれたのだった。

内心では・・・
こないだ食べたばかりだから、あまり気が進まないなぁ~と思っていたけど
やっぱり、父の食べたいものを食べさせてあげたかったし
何より、あんなに美味しそうに食事をする父の姿を また見たかった。

それに、今日は人数も多いので
下ごしらえもラクで、みんなで楽しめるだろうという事で
結局、父の提案をのんで「すき焼き」に決まった。


弟に、行きつけの精肉店へ電話で注文しておいてもらい、
私がお買いに行くことになった。

お店に行くと、ご主人に
「こないだも、すきやきじゃなかったっけ??」と、気づかれてしまい・・・
(ごく最近の事だから、覚えているに決まっているけど)
「こないだ美味しかったから、また食べようかって話になったんですよ~」
とか何とか適当に言いつくろって、帰宅した。
 (g@780円の和牛を680円にオマケしてもらった♪)


数日前、病院食がまずい、という父のために
美瑛で買ってきた、自然卵がまだ少し残っていたけど
せっかくだから、いくつか他にも美味しい卵を買って
食べ比べしてみようか?という事になった!

母が前から買っているO養鶏場の卵(1個40円)を10個。
弟のお嫁さん Kちゃんが、最近お気に入りのパンやさんで売っている卵
(下川の養鶏場のもので、こちらも1個40円)を6個買ってきた。

食べる前からみんなして「どれにしようかなぁ~?」と
悩んで、騒いで大騒ぎ!(笑)
それぞれ別のものをといてみて、味見の しあっこ(ばくりっこ)をしたり
なんか、面白かった!

もちろん、お肉の方は旭川の有名すきやき店、
三光舎とも大差ないほど高レベルの霜降りで、とっても美味しかった♪


久しぶりにみんなで和気藹々、賑やかで楽しい晩餐となった。

いつも、こうだったらいいのになぁ・・・

いつまでも、こんな日常生活が続けばいいのになぁ・・・・。

5.小さい ぼたもち
< 3月 下旬 >


お彼岸には、朝から母と二人で「ぼたもち」を作りました。
最近すっかり食の細くなってしまった父でも食べやすいようにと
かなり小さい(通常の半分くらいの)サイズにしました。
いつも、お世話になっている、同室の方で
食事制限のない皆さんにも、ちょっとだけ、お裾分け。
喜んで食べてもらえたようです。

本当は母と一緒に病院に行って、ぼたもちを届けたかったけれど・・・
弟の友人から結婚式のプロフィール、式次第などの制作を頼まれていたため
休日出勤?して作業する必要があったので、行けなかった。

昼食代わりに、作った「ぼたもち」を持って、会社に出勤。

その日、結局、父は一時帰宅する事になって、
みんなで買い物とか行ったらしい。

私も行きたかったなぁ・・・。

一日いっぱい、作業に追われ
仲良しのお友達が東京から旭川に来ていたのに
空港までお見送りに行く事もできなかった。

なんで、こんな時、ひとりぼっちで
作業しなければいけないんだろう?と思うと
ふと、急激な寂しさに襲われ
どうにも、いたたまれない気持ちになったりした。

ちょっと 辛い一日でした・・・。

その日の作業を終え、帰宅すると
父は、もう疲れて眠ってしまっていた。

「ああ・・・」

そんな私の気持ちを見透かしたかのように
「今日は一日、お疲れさま~。
ご飯出来てるから、食べなさい」と母の優しい声。

こみあげそうになる気持ちをこらえて 夕飯を食べた。






<納  車>

 一時はどうなる事かと思ったけど・・・
頑張って雪解け追い上げしてくれたおかげで
どうにか 無事に父の楽しみにしていた車が この日 納車となりました。

父からは
「4月になって、雪がすっかり融けてからの納車でいいよ」
そう言われていたけど・・・

みんなで相談して、
「一日でも早く、乗せてあげたいよね」という事になり
当初の予定通り、納車してもらうようにしてあったのです。

子供のように 喜んで はしゃぐ
あんな父の嬉しそうな姿を久しぶりに見ました。

良かったね、お父さん・・・。

辛い治療に文句も言わず(?)
頑張っているお父さんへ、神様からのご褒美だよ。

これからも 頑張って★


6.抗ガン剤の怖さ
< 4月 上旬>


父の入院から、まもなく2ヶ月になろうとしていた。
抗ガン剤の治療は当初、3週続けて、1週休むというサイクルで
やっていく予定だった。
父はまだ若く、同じ年齢の人と比べてみても体力があるという事
そして、腎臓系がけっこう強いという理由から
ちょっと強めの「シスプラチン」をいう薬を投与する事になっていた。

この薬が使われるようになってから
膵臓癌の平均寿命が1~2ヶ月は延びるようになったというほどの
実績のある薬だった。

でも強い薬ということは、それだけ副作用も強くなる可能性が多いという事・・・。

一般的な抗ガン剤は、ほぼ一日かけて、投与するようなものだけど
この薬の場合は副作用を抑えるために、抗ガン剤を投与する前後一日に
はき気止めや、食欲不振を抑える薬や、
栄養を補給する点滴なども投与しなければならない。

つまり、丸3日間は、管をつなぎっぱなしという状態になっていた。
父は、毎週水曜日に抗ガン剤を投与するサイクルになっていたので
火曜と木曜は副作用を抑制する点滴類を投与していた。


実際、抗ガン剤を投与している間は 父曰く「全然何ともない」んだけど
翌日くらいから、若干体調が崩れてきて、
食欲が信じられないくらい なくなってしまい
「何も食べたくないんだよね~」
「美味しく感じない」と、いつも不快感を表していた。

それでも、私たちが病院に行って「頑張って食べないとダメだよ~」と
発破をかけると、無理してでも、ちょっとずつ食べたりしていた。
ほんのちょっとのお粥を いかにも不味そうに、30分以上かけて・・・。

辛そうに、嫌々・・・
それでも必死に食べようとする
そんな父の姿をみるのが辛かった・・・

いっそ、様子を見に行く頻度を減らしてしまえば
気が楽なのになぁ~と思うほどだった。

でも、ある時、Hさん

「娘さんが来た時は、ちゃんと食べてるよ~。
また明日も来てやってね」と こっそり、教えてくれた・・・。

それを聞いて、たとえ見るのが辛くても 来てあげなくっちゃ、と思った。
それが唯一(?)、家族のできる事なんだから・・・。


※美深から入院していた同室のHさんと父は
入院時期も1週間しか変わらず
年も近く(確か1歳違い?)
体重も同じくらい(この時点で52~53キロ?)
更に、病気の箇所(膵臓)も同じという事もあって
いつからか、とても仲良くなっていた。

話もすごく合うらしく、お見舞いに行った時や、外泊で帰宅した時
何度となく、父はHさんの話題を私たちに話した。

性格が温厚なHさんは、ちょっとクセのある父を、うまく、あしらいつつ?も
持ち前の明るさと頭の良さで、常に仲良く付き合ってくれたんだろうな・・・。


初めて病気と闘う父にとって、たぶん大きな不安がたくさんあったはずだけど
そんな中、このHさんと同室になれて、お互い励ましあったり
冗談を言い合ったりできたのは、すごく良い事だったに違いない。

ほぼ毎日、病院に行っていた私たちも
Hさんとはすっかり顔見知りになっていて
みんなで くだらない雑談をしたり、さっきのように
父の昼の様子をこそっと教えてくれたり(笑)
何度か入退院を繰り返している先輩として、様々なアドバイスをくれたりして
いつしか、私たち家族にとっても、信頼できる存在になっていた。


Hさんには、私とさほど年の変わらない年頃の娘さんがいるらしく
聞きもしないのに「名寄に住んでいて、バツイチ、子持ち」だとか
「看護婦やってるんだよ」なんて事を教えてくれた。

そういう境遇だから、なかなかお見舞いにこれないと内心解ってはいても
私の顔を見る度に「毎日来て、本当に偉いね~」とか言いながら
その表情はとても寂しそうに見え、ちょっと可哀想に思えた。

父もその事をうすうす感じていたようで
「いつも、Hさんに、うらやましがられるんだよ
こんなに、しょっちゅう みんなに来てもらえて、父さんは幸せ者だよな」

そんな言葉、今までなら、滅多に口にしないはずの父が
しみじみとつぶやいた。

その言葉は父の本心として 純粋に受け止めたけど
反面、Hさんの気持ちを思うと、なんだか少し 心が苦しかった・・・。



Hさんの名前は、おそらく後に何度かでてくると思いますが
最期の最期まで、Hさんと父は深いく強い絆で結ばれていたのです・・・。





抗ガン剤の投与がはじまって、1サイクルが終わると、いつも
医師との密会は何度か行われていた。

先生は、具体的な数字や症例をあげて説明してくれるけど
やはり人それぞれの状況、体力、様々な条件によっても違うらしく
いつも「明言」を避けていたので、
治療の成果がどれくらい得られているのか?
話を聞いていても 実のところ よく解らなかった。

私達としては、難しい専門用語を理解しにくかったのに加え
何よりも「良い方に解釈しようとしていた」部分も強かったから
なおさらだったと思う。


でも、父の副作用の中でも
「血小板の減少」はかなり重要で
先生曰く・・・
「他の症状は比較的軽いのに(副作用で)
ここまで(血小板の)数値が落ちる人は初めてです」

たぶん、そんな言葉も昔勉強したり、どこかで聞いたような覚えはあるけど
その中身は、すでにすっかり忘れている私たち。

血小板の数値が低くて、外泊できないと言われても、イマイチ ピンとこない。

ネットで調べたら、「血が止まらなくなる」ような事を書いてあった。

看護婦をやっている友達に聞いてみたら、
「ちょっとした出血でも血が止まらなくなって、ヘタをしたら
すごく危険な状態になるんだよ」

そっか~。

だから、こないだは外泊できなかったのか・・・。


何をするにも、初めての事ばかりだから、毎日が勉強で
  そして。闘いなのです・・・。

続きのストーリーはこちら!

余命2ヶ月!末期ガン宣告された父を持った娘の日記-4-

著者のくり てんさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。