余命2ヶ月!末期ガン宣告された父を持った娘の日記-4-

前話: 余命2ヶ月!末期ガン宣告された父を持った娘の日記-3-
7.仕事の事
< 4月 中旬>


抗ガン剤による治療をはじめてから1ヶ月余りが過ぎた。

うちは自営業で、経営者である父の留守を残された私たちで守らなければならなかった。

去年くらいから、父も徐々に隠居モード?になりつつあったので
そこまでではなかったとは言え、やはり、そこは経営者の不在・・・。
皆それぞれに、負担を抱えていた。

でも仕事で たとえ、どんなに疲れ果てていても
父の前では「不安」を見せてはならないと思っていた。

「忙しいか?」そう父に問われても、
実際は、どれだけ大変に感じていたとしても
できるだけ、明るい笑顔で「大丈夫だよ」と答える・・・。

私たちだけが知っている「あの事実」の重みを考えた時
自然と そうするしかなかったのかもしれない・・・。


治療の回数を重ねるに連れて
父は仕事の事をあまり口にしなくなっていた。

色々な意味で感じる自分自身の負担から
気持ちの面で余裕がなくなってきたのか?

もしかしたら「もう、あいつらに任せておいて大丈夫だろう」と
思ってくれるようになっていたからなのか・・・?

当の本人が居なくなってしまった今
それを確かめる術はなくなってしまったけれど・・・。


父が入院してからは、そして今なお
「やっぱり社長がいないとダメだなぁ・・・」
そう周りから思われないように みんなでやってきたつもりです。

そして、これからも、意思を継いで頑張っていくつもりです・・・。


だから、お父さん・・・。

まだまだ若輩者の私たちだけど

ずっと ずっと見守っていてね。


8。父の想い・・・
< 4月 下旬>


病院も、ぼちぼちGWモードに入っていて
やるべき治療がない人は、けっこう外泊したりしていたので、
病院内もどことなく、静かだった。


そんな中、父の調子は?と言うと
相変わらず 食欲はないし、ご飯を食べる量も少なかったが
治療が休みのサイクルになると、比較的調子は良かった。


GWの直前まで、治療があったので、その副作用を心配して
「GWには、帰れるのかなぁ・・・」と しきりに父は気にしていた。

当然だけど、家に帰りたいんだろう・・・。

でも、その反面
「家に帰ると、お母さんは
ずっとお父さんの世話をしなくちゃいけなくて
大変だから、帰らないつもりだ・・・」とも言っていた。

父が入院してから、誰より大変だったのは、やはり母である。

自分のせい(?)で、母が色々なものを犠牲にしているという事は
他でもない父が一番 感じていたに違いない。

病気になってからの父は、母の前では
弱音を吐いたり、わがまま言ったりしていたようだけど(笑)
私たちの前では、常に母の事を気にかけていた。
だからこそ、そういう言葉がでてきたんだろうと思う。

もともと「食」に対して、「自分」を持っている父だったが
病気になって、治療がはじまってからというもの
それは、一層 強くなっているように見えた。

もちろん、それは父の意思だけじゃなく
この病気や治療が原因の一つであったのは
言うまでもない事だけど・・・。


外泊した時は、あまり食欲のない父に
いかにして、少しでも多く食べてもらうか?

毎食 父の食べたいものを、母なりに工夫して作っていた。

それは、すごく大きな負担だったと思うし・・・。
それまでは夏場、毎週のように父と行っていた
大好きなパークゴルフも できない日々・・・。

母は、やろうと思えば できなくなかったんだろうけど
誰よりもパークゴルフをやりたいと思っているであろう
「父」の気持ちを思うと、そんな気持ちには、なれなかったんだろうと思う・・・。



血小板検査の結果
GWには数日、外泊してもいいという事になった。

それでも父は、はじめ「帰らない」と しばらく言い張っていた。

けっこう頑固な性格なので、「本当に帰らないつもりかな?」と
一瞬思ったけど、今回の入院以後、これまでにも
直前まで そう言っていていた事を、ギリギリになって
急に覆すような事が度々あったので、きっと帰るような気がしていた。

そして、何より・・・

これから、どれだけ 一緒に過ごせるのか、検討もつかないけど
せめて 外泊の許可が出た時くらいは 家で過ごしてほしいと思っていた。

それが、母の負担になるかもしれない事は、百も承知だったけど
そうさせてあげたいと思った・・・。

弟や私の進言もあって?
結局 GWの前日になって 父は 帰る事に決めた。

もちろん、それが父の本当の気持ちだったと思う。

母は だまって それに従った・・・。


9. GWの幕開け
< 5月 上旬> 


それまで、(特に私たちは)週末と言っても
両親と別行動する事が多かった。

二人(両親)は数年前から始めた、パークゴルフに
ここ最近 すっかり はまっていた。
まだまだ 全然、老け込むような年ではないから
夫婦で自由に行動していたし
私達も、自分たちの思うままに
好きなドライブに行ったりしていた。

父が健康(?)だった時は、それで良かったんだろうけど・・・。


この頃は、週末になれば父を病院に迎えに行って
実家で、みんなでご飯を食べて、一緒に過ごし
日曜日の夜、また 父を病院まで送って行く、
というような生活が続いていた。


用事がある時を除いて
できるだけ父のそばに居たいと思っていたので
私たちも弟達も、別に約束したワケではないけど
自然と そうしていた。



この生活リズム?になってから、3ヶ月・・・。

私たちが、自分たちの(遊ぶ)時間をほとんど取っていないことを
母は しきりに気にかけていたようで
「お父さんの事は気にしないで、どこか遊びに行ってきていいんだよ~」
と、それまで何度か言ってくれたりしていた。

でも自分の気持ちとしても
また父の体調や状況を考えてみても
これまで、なかなかそういう気分になれずにいた。

そんな中、数日、外泊する事になった父・・・。

GW前は比較的、体調が良かったし
心のどこかに「気分転換が必要かな?」という気持ちもあったので
母の薦めに甘えてGW初日、ドライブにでかける事にした私たち。

ちょうど、その夜 札幌から妹たち家族が帰旭したので
翌日は、体調のいい父を連れて みんなでどこかに行こう!という事になった。


ニセコ、黒松内方面まで、日帰り750キロの遠出を楽しんで帰宅。
その日は、疲れて、ぐっすり眠りました・・・(笑)


10.最後のドライブ
< 5月 上旬>GWの中日


翌日は前夜、札幌から来た妹達と一緒に
父も連れてみんなで遊びに行こうという話になった。



少し前くらいから、父は「麺類が一番食べやすい」と言って
もともと好きな そばをよく口にするようになっていた事もあり
父のお気に入りの「そば」を食べに士別まで行く事に。


弟達は、友人と でかけて居なかったので
父のクラウンと、妹一家の車2台で行くことに・・・。

「運転するかい?」

父に聞いてみると「いや、任せる・・・」
そう言って一人、早々と助手席に乗り込んだ。

Hが父のクラウンを運転する事になり
2台の車に適当に分乗して いざ出発!

みんなでドライブするなんて、ものすご~く 久しぶりの事。

お天気はイマイチだったけど、父が入院してからというもの
暗い気持ちになるような出来事ばかりが続いていた私達にとっては
片道たった1時間のドライブでも、父と一緒に
みんなで遊びに行けるだけで すごく嬉しかった。

何より 父の本当の病状を知っているからこそ
そんな何気ない外出でも、楽まなくちゃ・・・と思っていた。


まずは、士別の名水を汲みに。

ここは、もともと父のお気に入りの名水ポイントだったんだけど
実は、「ガンに効く」という噂?のある水だった。
※余談ですが、ここは私がポリタン族として初のTV出演を果たした場所でもあり
その取材の際、お寺の住職の奥様が そんな話をされていました。


そういえば、病気(事実)を知って 間もない頃
父が喜ぶだろう・・・と、みんなで水を汲みに
でかけた事があったっけ・・・と思い出す・・・・・。



・・・・・それは、まだ雪が降る寒い時季だった。

外泊する父を病院に迎えに行く時間(AM9時頃)までに
旭川に帰ってこなければいけないので
早朝まだ薄暗い時刻に出発した。

しんしんと雪が降っていたし
朝だから、道はアイスバーンになっていて
とても滑りやすい路面状態だったので
運転手のYは大変だったと思う。、

それでも、あの日、父が外泊する前に
水を汲みに行き、飲ませてあげたかった。

そうすれば、きっと父が喜んでくれるんじゃないかと思っていたし
まだ、あの事実を知って、まもない頃だったので
その「水」に一縷の望みを託したい・・・という
祈りにも似たところがあったかもしれない。

その気持ちは、たぶん、みんな同じだったと思う。。。




私にとっては、そんな特別、思い入れのある場所だった・・・。



車内で、わいわい賑やかに お喋りしていたりしたけど
ふとした瞬間に、その時 感じた言いしれぬ気持ちを思いだして
ぐっとこみ上げるような事が 実は何度かあった。

そのたびに、膝をグイっとつねって、涙をこらえた・・・。





お昼は、予定通り おそばを食べてから
このまま帰るのもなんだかつまらない(特に子供達が)・・・という事で
士別のサフォーク牧場へ遊びに行った。

羊の毛狩りショーを見たり、みんなで楽しく遊んでいたんだけど

途中から父が「疲れた」と言い出し
車に先に戻ってしまった。

父の体調も心配だったし
それから、ほどなく帰路に着く事に・・・。

帰りの車内では、ずっと うつらうつらしていて
なんだか、辛そうに見えた。

病院の生活で体力的には(特に足腰)弱っているとは思うけど
お店と駐車場間を歩いた程度だし
運転はおろか、他に何をしたというワケでもない。

それなのに、こんなにも疲れてしまうんだなぁ。。。

病気の怖さを・・・

そして 今 目の前に 突きつけられた現実に
なんだか愕然とした。



改めて 思い返すと、この時が父と一緒に行った
最後のドライブになったのだった・・・。
11.ラーメン
<GW 後半> 


妹一家が札幌に帰って、急に静かになった実家・・・。

翌日は弟達も 用事があったので、
私たちは両親と4人で お昼にラーメン村に行く事にした。


連休や長期休暇の間なんかは、いつも
帰省客や、観光客で混む「ラーメン村」だけど
GW中とあって、やはり どこも混んでいた。

しかも、この日は
5月上旬と思えないほどの寒波がやってきていたので
その混雑が更に拍車をかけているようだった。

どこのお店も混んでいたけど
ラーメンが大好きだった父が、その頃
一番気に入っていた「いってつ庵」も、やはり例外でなく
数組のお客が(駐車場から見ていても解るくらい)外まで並んでいた。

父は、先日、士別に行って以来、異常なほど「お疲れモード」だったし
今の父の体力を考えてみても、この寒空の下…外で
しかも立ったまま待たせるのは、たとえ数十分でも厳しいだろうと判断し、
車の中で父と母を待たせて、私たち二人が並んで待つことにした。

店外で20分くらい待ったかな~?
「どうぞ中へお入り下さい」と声をかえられ
車で待たせている父と母に連絡する。
やがて、やってきた二人とお店に入り、しょうゆラーメンを注文。

混んでいたので、この日は注文してから更に15分ほど、待ちました。
(いつもは、もっと早いんだけどね)

本当に寒い日だったし、そこそこに待たされて
お腹もすいていたので、その時食べた
ラーメンの、温かくって、何とも美味しい事・・・。

あっというまに たいらげてしまった(笑)


でも、ふと横を見ると・・・・

父の どんぶりは、まだ半分近く 麺が残っていた。。。。

いつも、ラーメンを食べるのは早い父なのに・・

少なくとも、猫舌の私よりは
ずっとずっと 早かったはずなのに・・・??


ちょっとした衝撃を受けている私に対して
更に驚きの一言が 投げかけられた。

「うーん、もうダメだ、これ以上 食えないなぁ・・・」

心なし 元気なく そうつぶやいたのだ・・・。

父は人一倍、食べ物を残すのが嫌いな人間だった。
どんなに お腹がいっぱいでも
多少無理をしてでも全部食べる人だった。


その父が大好きなラーメンを「残す」なんて・・・。



だんだんと、食べられなっている事を
おそらく自らも認識し、
最後まで食べられない事を嘆き
きっと、すごく悲しかっただろうと思う。


たった 一杯のラーメンさえも
食べられなくなったのだから・・・。



「お昼にラーメンを食べに行く」なんて
ラーメン好きな父や、私たち家族じゃなくとも
誰にでも、ありがちな日常の出来事だと思う。

だけど、私にとっては、この日が父と一緒に食べた
最期の想い出の1杯となってしまったのだ・・・。

今でも、この時の光景が目に焼き付いて離れない。。。


そして、もう二度と叶う事のないシーンを何度も夢に見る。

父と一緒にラーメンを食べに行く、という夢を・・・。

12.病気と食欲の関係


< 5月 上旬> 

GWが終わり、数日、一時帰宅していた父は病院へ戻り・・・

「仕事が終わったらお見舞いに行く」という
いつもの生活が またはじまった。


父の食欲は 徐々に減っている様子で
主食となるもの(ご飯、麺類)は、だんだん食べる量が減っていた。

そんな中、果物は ちょっとでも食べられる(受け付けられる)ようだった。

いつか、誰かからお見舞いに戴いたメロンを
「すごく美味しい」と言って食べていたので
ある時、母がメロンを買って持って行った。

すると 「美味しい、甘い」
「これなら 食べられるんだよ~」と言って
すごく喜んで食べてくれたので
母も私もそれから、何度となく、メロンを持って行った。

(※でも、父は、もともとメロンが大好きな人っていう訳ではないんだよね。
もしかして 病気のせいで、味覚も変っていたのかなぁ・・・?)


まだまだ この頃 、地物のメロンが流通する時季ではなく
内地物がほとんどで、お値段も高めだったけど
持って行くといつも喜んで食べてくれる父の姿を見るのが嬉しかった。

「美味しそうに食べてくれる・・・」とは言っても、もちろん
そんなに たくさん食べられるという訳ではなかった。

でも、その頃の父は、もう、かなり食欲が落ち込んでいて
ほとんど何を食べても「不味い」という言葉しか、口にしなくなっていた。

ある日の夕飯時、お見舞いに行った私が、全然食べようとしない父に対して
「ちゃんと食べたの?」とか「頑張って、あと一口 食べたら~?」とか
言っていたのを見て、同室のHさんが こっそり教えてくれた事があった。

「あまり無理して食べさせようとすると、食事恐怖症?みたいになっちゃうから
そのへんは 病人と割り切って適当なところに しといた方がいいよ~。
本人も食べたいとは思ってるんだけど、身体が受け付けてくれないはずなんだ。
食べられなくて 一番 辛いのは、たぶん お父さん自身なんだと思うから・・・」


それを 聞いた時、はっ!と我に返った。

もちろん、頭の中では その事を解っているつもりだった。


Hさんが言っているのは、ちょっと考えれば解る事で
誰にだって経験があるように、風邪を引くと
「食べよう」と思っても、身体が そうはさせて くれないものだ。
(大病のガンと風邪を引き合いに出すのも おかしいかもしれないけど・・・)

でも、私は以前「娘さんが来た時は、ちゃんと食べてるよ」と言ってくれた
Hさんの言葉を、たぶん、無意識のうちに「あの時と同じ状態」で、解釈していた。

だけど、あれから 月日は経ち、
父の病状は明らかにあの時とは違っていた・・・。

ただ私は お父さんに少しでも食べて栄養つけてもらいたくて。。。

可能な限り、食べて、早く元気になってもらいたくて。。。。

自分でも気づかないうちに、父の悪化した病状を考えなしに
父に「食べさせよう」という意識が働いていたのかもしれない。

おそらく「食」に対して
今、一番 辛さを感じているのは、他ならぬ父である。

焦る余り、その事を 忘れそうになっていた私・・・。

そんな自分自身を深く反省し
その事をそっと気づかせてくれたHさんに感謝した。

それからは、決して 無理にそうさせる事はやめて、
父の気持ちに・・・

そして・・・
病気に冒されている「その身体」に従う事にした。

どんなに頭の中では「食べて欲しい」と思っていても・・・。


13.モニター・・・そして、東藻琴ドライブ


< 5月 中旬> 

医師から「モニター」になってもらないか?と頼まれた父・・・。

日数は10日間ほどで、その期間は外泊ができないけど
モニター治療を受けている間の治療費は、一切かからないという話だった。

その頃の父は、週に1度・・・
体調が良ければ許可のでる「外泊」を何よりの楽しみにしていた。(たぶん)

その事を解っていたから
「治療費が、かからない?ったって、微々たるもんなんだし・・・
無理に、そんな事しなくても いいんじゃない?」と言ってみた。

でも父は・・・
「お父さんが帰ると、お母さんが三度三度
ご飯支度するのも・・・大変だからね。
(※ここでは、はじめて書くけど、実は毎食前には、自ら血を採取して
  インシュリンの投与(糖尿の治療)も行っていた)































< 5月22日> 

弟のお嫁さんKちゃんは、会社の行事があって不在だったので、
私たちと弟と母の4人で行く事にした。

東藻琴・・・と 簡単?に言っても
けっこう遠い場所(道東)なので、朝早くに出発。

せめて、今日ぐらいは 父の事は忘れて楽しもう・・・

(と言っても 誰一人、頭の中で父の事を
考えてない人は居なかっただろうけど・・・)

お天気にも恵まれ、車は順調に進み・・・
ちょうど上湧別のチューリップ公園がそろそろ見頃だろう?と 寄ってみた。

その時、弟のケータイ宛に1本の電話が。。。
ちょっと イヤな予感がした。


案の定、父からだった。
その後、弟との会話の感じで、悟った・・・。

父は、やはり「帰る」と言い出したのだ。

でも、今日は 母の(そして私たちの)休養日。
そう決めて、でかけたのだ。

弟も、内心では、父の事が気になってたまらなかったと思うけど
あれだけ、念を押して出発したんだし・・・。
ここから、今すぐに(父のワガママ?を聞いて)戻る気はないようだった。

「今、上湧別で、これから東藻琴に行って花見して
旭川に向かうから、帰る時間は現時点では全く読めないな。
でも、けっこう遅くなると思うよ!?8時は過ぎるんじゃないかな?」

ちょっぴり強い口調で言った(ように私は感じた)

結局、それでもいいから、今夜は 外泊したいと言ったらしく
とりあえず、帰り道に差しかかったら(目処がたったら?)
また連絡する、という事にして 電話を切った。


さっきまで、楽しいムードになろうと努力?していたのに
なんだか一瞬にして、空気が重くなったように感じた。


その後・・・あえて 父の事を 気にしないようにしながら
予定通り、ドライブ&芝桜見学を消化し、帰路についた。


その帰り道・・・。
おそらく、迎えの到着を待っているであろう父の事を思って
心なし 急ぎ気味のY・・・。(けっこう飛ばしてた?と思う)

その甲斐あって?6時台に旭川に戻ってこれた。 

誰も何も言わなかったけど、父の事が気にならないワケなどない。

そのまま家には帰らず、病院に直行。
着くとすぐ 母と私は、病室へ飛んで行った。


なのに、部屋に入ると 父からは 思いがけない言葉。

「こんなに早く、来ると思ってなかったから まだ何も準備できてないよ!」

ちょっと怒り気味に パジャマ姿でウロウロしながら、そう言い放った。

ショックだった・・・。

(父の為に)あんなに ぶっ飛ばして 迎えに来たのにね。。。


確かに 時間は少し予定より早まったけど、
帰る途中、おおよその時間は 電話で伝えてあったはずだし・・・
怒られるような事は してないと思うんだけどな・・・?

おそらく、この頃から、断片的な記憶障害?も
病気の症状(or副作用?)として、てでていたと思われる。

(このような事も起こりうると、事前に医師から聞かされていました)



楽しむ為に、でかけたはずだったものが
一転(?)して、なんとも 言いしれぬ・・・
「重苦しい気持ち」になったのは・・・
たぶん、私だけではないと思う。



そして・・・
実は、これも この時、初めて 解ったんだけど・・・

どうやら、いつも外泊する事が決まっている時は
迎えに来る時間が解っているので、その時間を目標にして
早くから、ゆっくりと 準備をしていたと思われる。

つまり、もう この時点で父は
着替えすら自分の力だけでは、満足にできなくなりつつある程
(もっと、正確に言うと、自分一人で着替えると
かな~り時間がかかってしまう程・・・)衰弱していたのだ・・・。


着替えは、もちろんだけど
外泊用の荷物を用意をするのも、かなりのスローペース・・・。

結局、1時間近く 病室で待たされ、ようやく帰ることに・・・。

「(父が)すぐに来るだろう」と車の中で待ってた2人は
その間、ずっと車内で待っていたんだよね。。。


「待たされた」と言うほど
その時間を長く感じたというワケではないけど
短い間に 色々な事を知ってしまい
ショックな気持ちが強かったから
きっと、そういう表現になってしまったんだろうな・・・。




でも、今・・・思えば

それも これも・・・

全部、全部、病気のせいだったに違いない・・・


ああ。。。

憎き ガン・・・。







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