保険金詐欺ばあさん。

著者: Izumi Unimam

おばあちゃんって呼ばれる人に悪い人はいない。
おばあちゃん子だったせいか、自分の中にはずっとその「定説」が頭にあって
お年寄りを労わる精神は小さなころからずっと持ち続けている。

「無駄にダイダイいただいてきておりませんわ!」


おばあちゃんがよく言っていた言葉だ。
正月に飾る鏡餅の上に乗っかったダイダイのことを意味し、たくさんの年明けを迎えてそれを繰り返して歳を重ねてきただけの経験はありますよ、年寄りには!って意味のことをよく言っていた。

そうか。おばあちゃんてなんでも知ってるもんなぁと子ども心によく感心していた。

その大切にしてきた「定説」をぶち破る年寄りに遭遇したのは、これまた管理事務所勤務していたときのことである。

ある日一人のおばあさんが管理事務所に傘を杖代わりにしてヨロヨロと現れた。


おばあさん
あの〜こちら管理事務所ですか?
unimam
はい、いかがされましたか?
おばあさん
わたいな、今買いもんしようおもて歩いてましたらな、このビニールで滑ってこけてしまいましてん。
unimam
あー!それは大変でしたね!痛いことないですか?まぁとりあえずお座りになりますか?どうぞ入って座ってください!



痛そうにするおばあさんを気の毒に思い、応接に案内しお茶を出した私。

unimam
おばあちゃん大変でしたね〜。お茶でも飲んで休んでいってくださいね。
おばあさん
おおきに。


するとおばあさんはお茶を飲みながらこう言い出した。


おばあさん
このな、傘入れる袋ですべってこけましてん!ここの通路に落ちててんさかいここの管理の責任ですやろ。
unimam
いえ、当社ではそのような袋を配っておりません。お気の毒でしたが誰かが捨てはった袋だと思います。


(ちょっとー。なにこのばあさん。めっちゃ悪い目つきしたでー今。おっかしいなー。なにこれ。もしかして金出せって話なんー?えー勘弁してよ。)

毎度のことながらトラブルは自分一人のときに限って発生する。
面倒くさそうなクレームが舞い込むときは決まって自分一人のときだ。
どっかであいつ今ひとりやな!ってチェックして狙われてるんちがうかと疑いたくなるくらいに。

するとこのばあさん、ガサガサと自分のカバンの中に手を入れて何かを必死で探しながらこう言った。

ばあさん
あんたのいうことはよーわかった。ほんでもな、わてかて年寄りやし、こけたとき大丈夫でもあとでどんな後遺症が出てくるかわからん。あんた責任取れるか?えっ!
unimam
は?なにを言ってはるのかよくわかりませんが、こちらに責任があるとかないとかそんな話違いますよね?こちらになにを求めてはるんでしょうか?

(こりゃあかん。一回はっきりと向こうが金出せ!って言い出すか確認しとかなあかんわ!もーなんやねん、めっちゃかわいくない年寄りやんか!)

するとばあさんは悲しげな顔をして泣きはじめたのである。

嘘泣きにしても、なんか辛い事情があってこんなことしてるんかもしれん。
年寄りの涙なんか見たないよ。なんかすごく悲しくなってくるやん。

そんなことを考えながら心を痛めた私。

unimam
おばあちゃん、泣かんといて。治療費は出されへんけど痛かったら病院一緒に付いていくよ。


すると今泣いたカラスがなんとやら。

ばあさんは急にシャンとした表情になって早口でまくし立てはじめた。


ばあさん
こんなん恥やけど病院行ったりする金もそんなにないんやわー。しゃーからな!ちゃんとあんたとこらに迷惑かけへん手がありますんや!
unimam
は!?なんて?なんの手があるの?

びっくりしてそう訊ねてみた。

すると一枚の書類をテーブルの上に差し出した。
あぁ、さっきカバンをガサガサして探してたんはこれやってんなと思い、書類に目を通してみた。

なんと!損害保険の請求書である。
ばあさんは、ニタニタしながらこう言った。


ばあさん
な!ここに今日の日にちと時間書いてもろて、こけて足を怪我しましたってあんたが書いてくれるだけでいいねん!そしたらわても病院いけるし保険金も入るねん。あんたとこにも迷惑かからへんねん!な!はよここに書いて!

おーーーーい!ばあさん!たいがいにしーよ!
なんやねん!ただの保険金詐欺やんか!



unimam
おばあちゃん!悪いけどこんな書類よー書かんわ!こけたとこも見てへんのにこけたとか怪我したとか私が書けるわけないやん!医者でもないし!


ここまでお年寄りに向かってきつい言葉を吐いたことなどなかったので、ものすごく複雑で自分自身も傷ついて、よくわからないが涙が出そうになった。



ちょうどその時、所長がお客さんを連れて事務所に帰ってきた。


ことの顛末をかいつまんで報告したところ、所長も私と同じ意見だと言い、ばあさんに保険金請求書は書けないことを説明した。

保険金詐欺ばあさん
ほんまどいつもこいつも冷たい人間ばっかりや!もうこんなとこ二度とこーへんわ!


捨て台詞を吐いてばあさんは椅子から立ち上がり、ものすごいしゃんしゃんした足取りで早足に事務所を出ていった。

「ほんま疲れましたわー。お年寄りやし、なんか可哀想になってしまって。」
こういう私に来客できていた一人の男性がこう言った。

「あれ?ご存知なかったですか?あのばあさんこのあたりのショッピングセンター順番に回っては、こけましてん、痛いですねん、損害保険請求書にサインしてくれって言う常習の詐欺師ですよ!うちの事務所にも来たことあります!」

なんだか救われた気持ちとやりきれない気持ちで脱力したクレーム対応であった。

保険金詐欺ばあさん、今はどうしてるんだろうか。


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