就活せずにインドで9ヶ月修行した。【新卒1年目で人生最大の挫折をし、プライドを捨て、社会変革を志すまでの話②】

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「そうだ、インドへ行こう」


中村天風という思想家がいる。

彼は日露戦争の軍事探偵として活躍した。

肺結核を発病し、心身ともに弱くなったことから人生を深く考え、人生の真理を求めた。

その結果、インドでヨガの聖者と出会い、真理を悟ることとなった。


僕は優しくも厳しい彼の思想に共感し、

彼の人生と自分の人生を重ね合わせた結果、次の行動が見えてきた。

「生」と「死」が入り混じったインドという国を、この眼で観てみたい。


そう閃いてからは早かった。


気付けば、デリー行きの往復チケットを携え、始めての海外への一人旅に、

鼓動を高鳴らせながら、大きなバックパックを背負い関西国際空港へ向かっていた。


就職活動を控えた大学3年生の夏であった。


インドで問われた「生」と「死」


オートリキシャーの通る道のどまん中を、悠々と歩く牛

喜捨を求める、手足のない物乞い

鼻を突く、犬の糞や食物の腐敗臭


観えるもの、聞こえるもの、感じるもの、

全てが衝撃であり、脳内からアドレナリンが出続けていた。


バラナシのガンジス川の辺りにある火葬場では、

生命を終えた亡骸が、輪廻の流れに身を委ねる様を観た。


中には、まだ小学生にも満たないような幼い子どもの遺体が、

その順番を待っていた。


「生きるとは何か?」

「死ぬとは何か?」

「両者は背反しているのか、あるいは一体なのか?」


あまりにも死が身近に感じられ、生を問われている気がした。


その日の夜、ガンジス川の辺りで一人、

キングフィッシャーというインドビールを片手に、こう誓った。

「死ぬときに、後悔しないように生きる」と。


アップルの創始者スティーブジョブスは、スタンフォード大学の卒業式でこう言った。

「If you live each day as if it was your last, someday you'll most certainly be right.」

(毎日を人生最後の日だと思って生きれば、いつか必ずその日は来るだろう。)


何度も口に出して覚えてた彼の名言が、頭の中で何度も再生された。


ちなみに、ゲストハウスに帰る途中、犬の集団に追いかけ回され、

早くも危うく「死」を迎えるところであった(笑)


「もし今日死ぬなら、インドで修行がしたい」



「このまま、就活をするべきか?」

「就活を1年遅らせて、自分のやりたいことをやるか?」


アグラーにある「タージ・マハル」に思ったより心を動かされず、複雑な気持ちを抱え、

デリーに向かうバスの中で、黙々と考えた。

これからやることの、あらゆる選択肢を洗い出した結果、答えは既に出ていた。


「ここ、インドに戻ってきたい」

「インドで、何かに本気で打ち込みたい」


ゴールに向けて、あたかも一直線に伸びる「人生のマラソン」を、

始めて自分の意思で離脱しようと、覚悟した瞬間であった。


帰国後、たまたまtwitterで見つけた、

「インド・バンガロールでフリーペーパー事業の立ち上げメンバー 1名募集」

という投稿に運命を感じ、即申し込んで社長とSkypeで話し、トントン拍子で渡印することとなった。


インド・バンガロールの日系企業駐在員向けフリーペーパー事業



大学を1年休学して取り組んだことは、インターン生としての、

インド・バンガロールでの、日経駐在員向けのフリーペーパー事業の創出だ。

今ではデリーやムンバイにも支店を出しているようだが、

当時はバンガロールのみで、たった24ページの冊子だった。


以下一部「一般社団法人日本ギャップイヤー推進機構協会」への寄稿記事に抜粋したもの。


フリーペーパーのコンテンツは、現地のビジネスや生活情報(レストラン・ホテル等)であった。

具体的な仕事内容は、現地の会社やレストラン、ホテル等への飛び込み、

またはテレアポ営業で広告掲載の契約を取ってくるというものであった。

「ここに広告を掲載することによって、これだけのメリットがあって・・」と

営業を行う相手はもちろんインド人の経営者ばかりで、全て英語で行わなければならない。


当時、お世話になったクライアント達と。


営業を始めたばかりの時は、インド独特の英語や表現がほとんど理解できなかった。

電話では英語が全く通じず、

「Sorry..?Pardon..? I can't get you..(君の言ってることが理解できない)」と

言われ、怪訝そうに電話を切られたことが何度もあった。


さらに、営業先をリストにして一つ一つ管理していくことができずに、

仕事がうまく回せず成果が出ない日々が続いた。

営業目標と進捗のギャップの大きさと、社長から激詰めされる毎日。(今は優しいらしい。笑)

先が見えない中、仕事をはじめて3ヶ月が過ぎた頃から「インド英語」にも慣れ、

ようやく安定して契約を獲得することができるようになってきた。

インターン9ヶ月を迎える頃には60社ほどのクライアントを担当するまでになっていた。


最初に受注したカバン屋のオーナーと。

ここで買ったカバンは、自分の原点を忘れないよう、今でも愛用している。


振り返ってみれば、数多くの困難があったものの、ここまで続けてこれたのは、

大きな「やりがい」があったからだ。大きく分けると、それは三つある。


一つ目は、自分の行動によって事業が成長していくのをありありと感じられることだ。

最初は24ページであったフリーペーパーも、インターンが終わる頃には倍の

64ページまで増やすことができた。

また、隣町のチェンナイでも新しいフリーペーパーを創刊することができ、

事業が成長し、拡大していくことに大きな喜びを感じた。


二つ目は、手に取ってくれた日本人駐在員の方が非常に喜んでくれたことだ。

「フリーペーパーに載ってた店、行ってみたよ。おいしかった」と、

自分たちが提供した情報によって、駐在員の皆さんに価値が提供できた時は大きなやりがいを感じた。


三つ目は、広告を出稿してくれたクライアントが喜んでくれたことだ。

あるカバン屋が、「広告を載せてから多くの日本人が店に来るようになった」と言ってくれ、

とても感謝された時には何にも代え難い喜びを感じた。


インドでの「修行」が終わり、日本に凱旋した後、

いわゆる「就活無双」の状態で、一番理念に共感し、やりたいことが出来そうな会社に入社を決めた。


「ASEANで働くを近くする」メディアの運営


その後も、「アジア」というフィールドに軸足を置いて活動したいと考え、

当時非常に悩める男であった元アセナビ代表の鈴木くんを助けるためにも、

バックパックを担ぎ、東南アジアを周遊した。


現地で起業している方を中心に、数十人にインタビューした。

記事によっては数万PVに到達するほどのものを書くことができた。


東南アジアのスタートアップ業界の重鎮で、

エンジェル投資家の加藤順彦さんとイベントでご一緒させていただいた時の写真。



当時は、「自分の方向性が見えた」と思い込んでいた。

「インドではうまくいった。人ができないような経験を積んだ」

「就活もうまくいった」

「アセナビでも結果を残せた」

何もかも、これでうまくいくんだと思い上がっていた。傲慢になっていた。

経験それ自体を成長であると勘違いしていた。


あらゆる行動の背景には、どんな欲求があったのか、どんな不安があったのかを

振り返ろうとせず、ただ自分に言い聞かせていた。


「今後、全てはうまくいく」と。


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