我儘になる勇気
青年「はい」
達人「子供が欲しいおもちゃをねだるのはわがままですか?」
青年「そうですね、条件によると思います。そのおもちゃが高くて買えないものなら親の都合でわがままと思うかも知れませんが、買ったばかりのおもちゃに飽きてすぐに次のおもちゃをねだってるなら、わがままだと思います」
達人「なるほど。では、子供の目線から見ればどうでしょう?高いおもちゃをねだる時と、飽きてすぐに違うおもちゃをねだる時は、違う感覚でしょうか?」
青年「同じだと思います。子供にとってはどちらも欲しいおもちゃですからね」
達人「ぼくもそう思います。つまり子供にとっては、おもちゃをねだる事はわがままだと認識してません。そのおもちゃが手に入ればいい訳ですから。親が金持ちなら手に入るし、子供に甘い親でも手に入る訳です」
青年「それがどうしたんですか?」
達人「もし、このおもちゃは高いけどねだれば買って貰えるかもしれない。または、この前買って貰ったばかりだけど、ねだればまた買って貰えるかもしれない。と理解してねだってるなら、それはわがままを言ってると自覚出来てるって事です」
青年「そうですね。それはかなりのクソガキですね」
達人「ええ。クソガキですよ。でも彼がもし、わがまま=悪だと認識してれば言わない可能性もありますよね?」
青年「よくできた子供です」
達人「まあ、親御さんにとっては都合のいい子供でしょうね。しかしわがままを言えば買ってもっらえるかもしれない、いや、ねだれば絶対買ってもらえると信じて疑わない子供だったらどうですか?」
青年「金持ちで甘い親なら買ってもらえる可能性は高いでしょうね。というか、手に入れますよ。そのクソガキは」
達人「はい。その通りです。そのおもちゃが手に入った子供はどんな気持ちでしょうか?」
青年「うぉおおお!やったー!ですよ。欲しいおもちゃが手に入るんですから」
達人「じゃあその子供は、わがままを言ったおかげで幸せになったんですよね。それでもわがまま=悪だと思いますか?」
青年「その子供にとってはいい事かも知れませんが、親にとっては困った子供でしょう!」
達人「お金が無くて、子供に厳しい親にとってはね。そうではない親にとっては良くも悪くもない。むしろ子供が喜んでる姿を見れて幸せな気持ちじゃないですか?」
青年「つまり子供が、自分がわがままだと認識してようがしまいが、おもちゃをねだる事で条件によってはお互いに幸せになれると。そう言いたいんですね?」
達人「そういう事です。わがまま=悪だと思い込むと、お互いに幸せになるチャンスを逃す可能性があるんです」
青年「じゃあみんなわがままになったら、買って貰えてハッピーな子供と、買って貰えない悲劇の子供が出てくるじゃないですか!それは不公平でしょ?」
達人「不公平ですよ。世の中は」
青年「買って貰えない子供は、落ち込むし、妬むし、グレてヤンキーになるかもしれないんですよ!?」
達人「落ち込むし、妬むし、グレてヤンキーになるかもしれませんね」
青年「それで良いんですか?!」
達人「それがいけないんですか?」
青年「良くはないでしょう!」
達人「子供が落ち込んだり、妬んだり、グレてヤンキーになる事は、その子供がその後の人生をどう送るかによって良かった、悪かったになります。あなたが今どうジャッジしてるかは別として、それはわがまま=悪という事では無いんです」
青年「それは、そうですが…」
達人「わがままを言わない子供は居ません。それは誰に遠慮するでもなく、相手の条件も関係なく、ただ純粋に自分の幸せを掴みとろうとしてるだけなんですよ。しかし、大人になると良い悪いで物事を判断し始めます。それは得てして他人の目や常識的、社会的立場を天秤にかけるからです。わがままになると誰かが不幸になる、自分が傷付くかもしれないという恐怖が、大人がわがままになれない理由です」
青年「誰かを不幸にしたり、自分が傷付くのは嫌じゃないですか!だったらわがままなんてならない方がいい。現実に私は傷付いてるんですから!」
青年は声を荒げ、少し涙ぐんでいた。
それは、思うようにならなかった事への怒りと、選択を間違えた事への後悔からか。
達人「では、あなたがわがままにならずそのまま嫌な仕事を続ていれば、誰も不幸にならず、あなたは傷付かないのですか?」
青年は押し黙っていた。
そんな訳無いだろ!と、言ってしまいそうになった。それは同時に自分が言ってる事を否定する事になるからだ。自分がわがままになろうが、なるまいが、誰かの不幸も自分が傷付く事も無くならない事を理解していた。
達人「あなたが今の仕事が嫌で会社を辞めたなら、嫌な仕事をしなくてよくなったという元の状態に戻っただけです。幸せになった訳ではありません。他にやりたい事があって、その為に仕事を辞める。その結果会社に迷惑を掛けたり周りの人に心配を掛けるなら、それはわがままです。自分の幸せを純粋に求めた訳ですからね。しかし、辞めた後どう生きるかも決めず、TV局に入る為の努力は何も考えず諦め、世間の目や体裁を気にして、あげく私のせいにするのはただの身勝手な考え方だとぼくは思います」
青年「つまり、私がした事はわがままではなく、単なる身勝手だという事ですか」
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