加藤三郎の生い立ちから現在までのストーリー

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こうして私は12002年12月末に熊本刑務所を出所しました。

そして岐阜県の無人の実家に帰り、 その荒れ果てた家を整理清掃する日々からはじめ

ある程度片付き、またこの山仕事もはじめました。

そして、精神病院に入っていた兄や、 大阪で結婚生活を営んでいた妹との関係も

少しづつできてきて、回復してきて私が出所して2年目ころには

妹が大阪の生活に行き詰まりを感じてか、実家に帰ってきました。

兄も5年目ほどから、実家に帰ってきました。

6年目くらいには父母が世話していた新実という少し知的障害のあ る人も転がり

込んできました。

さらには7年目くらいには大阪で失業した妹の夫も転がり込んでき ました。

いろぴろな事情もあり、 何とか彼らを受け入れつつ生活してきたのですが、

あまり仕事で稼げる人がいなかったため、 私の負担が大きくなり大変でした。

何とか、 山仕事をハードにこなすことでその生活を維持して来ましたが、

好きな本も読めず、文章も書けず、 ほとんど仕事と家族のために必要な行動で

月日がたっていく感じでした。

しかも、実家は古い家で、あちこち壊れかけていていました。 そこに台所を作り

風呂も作ったりしましたし、壊れかけている屋根を修理したり

雨戸の代わりにサッシを入れたりと、 やむことのない改修を続けなければ

家が住居として維持できないほどでした。

2年ほど前に、 もう私はこの家と家族にかかわっていては何もできないと感じ

住居だけでも他に移そうと思い、 友達が以前焼肉屋をやっていた店を借りました。

そうしてそこで暮らし始めてしばらくすると、 妹が拒食症気味になり

体重が35キロぐらいまで落ち、 心療内科の先生から命の危機だというところま

でなり

入院させたものの少しも回復しませんでした。

それもあって、実家に妹のくつろげる部屋を作り

退院させてそこで過ごさせていると次第に回復してゆきました。

しかし、妹に回復と時を同じくして、 今度は兄がうつ状態から回復したもののそ

う状態になり

金遣いが荒くなって、そのことで妹の夫と喧嘩になり

妹の夫はいるところがなくなったので、 私にいる店でともに暮らすことになりま

した。

兄はそう状態になると、病院では手に負えないということで、 近くに5つぐらい

の精神病院から

治療拒否、入院拒否されており、 どこも入院させてくれるところもありません。

行政や警察などにも頼んで、 昨年今年と二回強制入院させようとしましたが

病院が受けいてくれず、失敗しました。

そういうことの準備や実行ができるのは私だけであり

その間私はしごとができなくなるということもあります。 

こういう生活の中で昨年、私は投資による資産形成を試みて、 大きな失敗をし

700万以上の借金、負債を作りました。

1、私の生い立ち

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