天婦羅屋へ昼食の予約電話を指示する社長さんの声が聞こえたおかげで最終ネゴを粘って受注できた商談

著者: 阿智胡地亭 辛好

中に危険物を入れた大型容器を自動的に格納出庫できる設備の商談を、滋賀県のお客さんと一年近く進めていました。


ある日、先方の社長からこの商談の担当者であるK君に電話がありました。「明日11時に上司を連れて来てくれんか。最後に残った2社を呼んでベストプライスを言うてもろて、その場で安い方に発注するから」と。


もう1年近くも技術者とチームで、また時には単独でこのお客さんに通い続けた担当のK君は、その日お客さんに向かう電車の中で口数が少なかった。今日結果が出ると思うと緊張するのは当たり前です。


それまで私も3回社長に会っていました。一度は挨拶だけでしたが、そのときのやりとりで担当のK君が社長から気に入られていることがわかりました。


社長としても会社として初めて入れる設備であり、投資金額も大きいので導入するのに迷っていましたが、K君が勧めて実際に稼動している他のお客さんに納めた、ほぼ同じような設備を見学してもらいました。

社長に稼働している設備を見学してもらったあとから、商談が具体化しました。2回目の訪問時は雑談をしながら、社長室に飾ってあったスキー姿の写真に目を向けて、社長がカナダやスイスで今もスキーをしている話を聞いたりしました。

その時は話が弾んで社長の京都の大学時代の武勇伝などもじっくり聞かせてもらいました。


3回目の訪問の時は、社長は私の来訪目的をもう読んでいました。私の方は間に商社や代理店を入れずに直接契約をする積りですから、与信について信用調査会社から調査書類は取り寄せていました。財務上全く問題ない健全な会社でした。

しかしそれはあくまで第三者がビジネスとしてやった調査であって、この相手さんが間違いなく〇千万円の代金を支払ってくれるかどうかは別の話です。そんな値踏みを私がしにきたと見た社長が、さりげなく「阿智さん、これ優良納税者表彰でもらった楯ですわ。もう何年ももろてて、これのお陰で銀行さんも必要な金いつでも貸してくれるんですわ」と言われました。

それからまた地元のライオンズクラブの会員同士の鞘当などを面白おかしく話されました。ライオンズクラブのメンバーであることは事前の調査で承知していましたが楽しくお話を伺いました。

当日、11時少し前に社長室に入りました。社長が開口一番言いました。「阿智さん、向うの部屋にもう一社待たせてある。お宅のKさんが一番よう通うてくれたし、ここまで来てまだ駆け引きするのもワシも嫌やから、お宅の数字先に聞かせてもらいます。もしお宅の最終回答が私の心積りの数字に合ったら向うは断る。その積りで返事をして欲しい。」

私はある数字を申し上げました。自分の責任範囲で言えるギリギリの数字を言いました。

沈黙の時間が数分流れました。社長が席を立ち、呼んであるから向こうにも話をしてくると、部屋を出て行きました。

K君の懇願するような視線が私の頬に突き刺さりました。

社長が出て行ったドアが少し開いたままでした。しばらくして、こちらに戻ってくる社長の声が小さく聞こえました。

「○○さん、いつもの天麩羅屋予約しといてな」

入ってきた社長が言いました。「わし、インド人みたいな商売はしとないけど、もう一声なんとかなりませんかなあ」

もう少々なら社内の上と話をつけられるはずと思っているK君が、もう少し低い価格を提示してくださいと言うように、また私をじっと見つめるのを感じました。

 しかしその時には、こちらは腹を決めていました。社長はどちらかの会社を昼飯に天麩羅屋に連れて行く積りらしい。

という事は、ここで新たに値引きしようがしまいが、社長はもうメーカーを決めている。

「いや、もうこれ以上は・・・社長の言われるベストを申し上げましたんですわ。なんとかこの数字でお願いします」

しばらくしてから、社長が言いました。「まあ、昼メシでも食うて、またゆっくり午後から話続けよか」。

社長が運転する車で案内された天麩羅屋は小体なたたずまいの落ち着いた店でした。

80%は注文を頂いたと内心は思っても、まだ注文を出すとは言ってもらっていない中での会話としては、もう注文を頂いたような雰囲気で明るく話して天麩羅を食べました。

勘定はこちらで払わせてくださいと頼んでも「いやワシが招待したんやから」と、頑として聞いてくれませんでした。こういうタイプの方にあらがうと、突然空気が変わってしまう“イタイ”体験を何回もしているので、素直に支払をお任せしました。


結局午後は、「ほな阿智さん、あの値段でオタクにお願いするわ」の一言で決着しました。「こまかい話しは常務としてな」ということで、毎回挨拶してきた社長より年上の常務さんと、支払条件などを詰めました。常務が言いました。

「ウチの社長はボンやさかい最後のツメが甘いわ。阿智さん、社長がOKした値段やから契約金額はあれでええけど、手形のサイトもう一ヶ月延ばしてな」

これから、請負った仕様で設備を造り、工場へ搬入し、据付工事をし、試運転をし、検収検査を終えて入金するまでK君が相手をするのはこの常務さんです。

「K君どうしよう、採算もうギリギリやけど」とK君にバトンを渡しました。K君もしばし考えたかっこうをして「もう本当に死にそうです。しかしわかりました。ここはそれでお願いします」と返事をしました。

私は内心、自分も社長以上のボンやさかい、サイトの条件は飲んでもええわと思いながら、K君の嬉しそうな横顔を見ていました。(しゃんとしたどこの会社にも、この常務のような厳しい金庫番が社長の横についているような気がします。そういう人がいる会社のせいか、支払いも間違いはありませんでした。)

後日談ですが、長い間、懸命にやってきたK君は社長が部屋を出て行った瞬間、注文は逃げた、なんで私がもう少し低い数字を言ってくれなかったと、内心嘆いたそうです。

 長年の営業の交渉ごとで、私の鉄則は「こちらは必ず二人で場に臨む」ということでした。ボケと突っ込みも出来るし、気持ちの余裕も持てる。

このときの交渉では社長が時々K君の顔を見ている視線が、参考になりました。K君の上司がどこまで駆け引きしているかをK君の表情でチエックしていました。そこから私は値段はとことん叩くけど、社長は出来たら、他社ではなくK君に仕事を出してやりたいと思ってくれている表情だと読みました。


天麩羅屋に予約を命じる声が小さく聞こえたお陰で、追加の値引きをせずにすみ無事注文を頂きました。

設備納入の過程でいろいろ苦労がありましたが、無事納入する事が出来、契約金額もきちんと予定日に支払って頂きました。K君はその後も社長と常務に可愛がられ、社長の同業に彼を紹介してもらい、新しい受注につなげてくれました。

K君のお客さんへの喰い込みの努力と、それを認めてくれた社長と常務との最終ネゴはやはり忘れられない商談の一つです。













































































































著者の阿智胡地亭 辛好さんに人生相談を申込む